この曲が売れるほど、みんなの感性は豊かになったのかなあと思った。ヨルシカのだから僕は音楽を辞めたという曲だ。 透明感のあるピアノや、余計な音が一つも入っていないんじゃないかと感じるくらいに洗練された音色と全体構成からは、そんなに反逆的な感情は読み取れないかもしれない。しかし、歌詞はその逆といっていいだろう。ここでは歌詞に焦点を絞ってみる。 ポスト青春の葛藤考えたってわからないし 青空の下、君を待った 風が吹いた正午、昼下がりを抜け出す想像 ねぇ、これからどうなるんだろうね
SNSと若者の関係をこれほどうまく描いた作品はないと思う。 たった140字で他人のことがわかるわけがない、という先輩の一言が主人公にささるシーンがあったが、私たちは実際のところ、他人どころか自分のこともわかると思っているのかもしれない。というのは、SNSに投稿するために行動する人もいるからだ。 では、はたしてそれが悪いことだと言い切れるだろうか? 人間の行動の良し悪しを考えるのは簡単なことではないが、写真だけ撮られて捨てられてゆく食べ物などもすでに問題となっており、これ
私はそんなにアニメに詳しくないし、何回も見たわけではないので、伏線の解説や作品としての位置づけについては書かない。それよりも、シンプルに、この作品を見て自分が感じたことを書いていきたいと思う。 まず、この作品は改めて僕に生きがいというものを教えてくれた。死後の世界の話とはいえ、誰もがくるわけではない。ゆりっぺの解説によると理不尽な人生を送らされ、青春時代を満喫できなかった人がくる、という。そこで、ずっと頭にひっかかっていたのが、主人公の妹のことだ。彼女は体が悪く、ほぼ学校に
よく少年による殺人事件が起きたときなどに、加害者が暴力的なコンテンツを含むゲームを使用していたという報道がなされることがある。そこで今回は、暴力的なゲームを規制するべきかどうかについて意見を述べたいと思う。 まず、ゲームというコンテンツにおける表現の自由を尊重するという意味で、暴力的なゲームを規制するべきではないと思う。ゲームが悪いのではなく、扱う人が悪いという論理だ。ただ、ゲームで見た暴力行為がプレーヤーの脳裏に焼き付いていないか、影響していないかといえば、全くゼロではな
YouTube等のネットメディアが発達し、オールドメディアといわれ始めたテレビは、過酷な競争を強いられていると思う。視聴者に見てもらおうと、気を引く話題が増えていく。 しかし、気を引くことは本来のテレビの役割ではない。 テレビには、ネットメディアにはない、公的放映権がある。だれもが自由に発信できるわけではない。だからこそ視聴者は、それなりの権威あるものとして情報を得る。そこで、偏向報道があってはたまらない。 しかし、テレビが視聴者の気をひこうとすれば、多少の偏向報道が起こ
中学生の頃、親に言われたことや、大人の人がしていることはすべて正しいと思っていた。だからずっと真面目に受験勉強に勤しむことができた。 けれど高校に入って、この世界には正しくないことがありふれていることがわかった。今までは正しいことをしていると思えたから勉強できたが、何が正しくて何が正しくないのかがわからなくなった私は、何をすることも怖くなった。 小学校から持ち続けてきた、この世界を2度と戦争が起きないようにするという夢も、本当に持っているだけだった。中学生の頃、音楽の道に進み