わたしがLGBTQ Allyになった理由
こんにちは、SUMMERです。
今回は、わたしがLGBTQ Allyになったきっかけを、みなさんにシェアしたいと思います!
“Ally”って?
そもそも【LGBTQ Ally】ってなに?という方もいますよね。
LGBTQとは、恐らくみなさんがご存知の通り、
Lesbian(レザビアン:女性同性愛者)
Gay(ゲイ:男性同性愛者)
Bisexual(バイセクシャル:両性愛者)
Transgender(トランスジェンダー:身体の性に違和感をもつ人)
Questioning / Queer (クエスチョニング / クィア:性的指向や性自認が定まっていない人)
を表しています。
そして【Ally(アライ)】ですが、直訳すると支援 / 味方といった意味ですが、要は、サポートする人 / 支持者といった意味になります。
現在では、【Ally】という1語のみで、【LGBTQを理解して支持/支援する人】を指す場合が多いです。
闇の高校時代
いまわたしはマーケティング業界でお仕事をさせてもらっていますが、若者の文化や流行について調べることがたびたびあります。現代の若者文化について知るたびに、「あ~。うらやましいな。女子高生を全うしておけばよかった・・・」と感じるわけです。
ただわたしにとって、この『女子高生への憧れ』の気持ちをより一層強くするものがあります。それは、SUMMERの知られざる『闇の時代』です。しかし、この『闇の時代』こそが、いまのわたしの思想の土台となっていると感じます。
『闇の時代』になにがあったのか、簡単にまとめるとこんな感じ。
・男勝りな女子中学生だったわたしが、県内でも「かわいい女子」が集まることで有名な高校へ進学
・バトン部への体験入部で「かわいい子カースト」にショックを受ける
・教師に「女の子らしくしろ!」といわれる
・女の子らしくしようと頑張ったところ、「可愛い子振るな」とディスられる
・ダンス部を作ろうとしたところ、教師たちに「気品がない」とことごとく潰される
その① わたしの高校
中学時代のわたしは、クラスの中でも、部活動でも、放課後でも、ほとんどの時間を男の子たちと過ごしていました。それは「男子に好かれている女子」という感じでは全くなく(笑)、「男勝りな女子」という感じで、腰パンをしたり、もちろん男の子と喧嘩をしたりもしました。
そんなわたしが進学した高校は元女子校の共学高校で、キラキラした校風の高校でした。セーラー服が可愛いと女子から人気で、「可愛い女の子が多い高校」として県内でも有名でした。そんな高校になぜ進学したのかというと、ただ単に偏差値が高めで、「ここに入学したら自慢できる」と当時のわたしは思ったからです。
そして入学後に驚かされたのが、夏の通学路を行き交う女子のほとんどが、日傘をさして登校することです。そんな中、わたしは超マッハで自転車を漕ぎ、通常1時間ほどかかる距離を40分ほどで通っていました・・・笑
その② 『可愛い子カースト』
これはどこの高校でも、女子高生たるものこんな感じなのかもしれませんが、『可愛い子』=『すごい/偉い』みたいな風潮があるわけです。中学時代の『連れてる後輩がつよい/多い』=『つよい』、『可愛いだけの奴は所詮よわい』みたいな文化に浸っていたわたしには衝撃的でした。
小学生の頃からダンスが好きだったわたしは、学校で唯一ダンスができる【バトン部】に体験入部に行くわけですが、ここで同級生の女子たちが可愛い先輩たちにゴマをすりまくるわけです。わたしは、「こんな面倒なのは御免だ」ということで、バトン部への入部は諦めます。
その③ 人生最大の転機『女の子らしさ』ってなに?
わたしはバトン部への入部は諦めたものの、仲がいいクラスメイトはみんなバトン部へ入部しました。わたしの学校では、【サッカー部の男子】と【バトン部の女子】が学校を牛耳っていたので、そんなバトン部の友達が多いというだけで、スタートは順調でした。
この高校の校則には「髪を染めたり、巻いてはいけない」という記載がありました。わたしは割とまじめだったので、校則は破らず、髪を編んだり、サイドを刈り上げたりしておしゃれを楽しんでいました。校則の範囲内で遊んでいたわけです。ただ矛盾することに、バトン部だけは、髪を巻いたり、染めたりしてもなんとなく許されていたような雰囲気がありました。
そんなある日、私は担任の教師に呼び出されます。
担任 「なんでこの高校に通う他の女子生徒たちのように、女の子らしい身なり、服装ができないんだ!?」
わたし 「でも彼女たちは校則を破っていますよね?」
担任 「でも彼女たちは女性らしい。あなたの髪形は校則違反も同等だ。」
わたし 「じゃあわたしが彼女たちのように女性らしくしてれば気が済むんですか?」
担任 「気が済むとかの問題じゃない。そうすべきだろ!」
この一連の会話で、わたしは間違った高校に入学してきてしまったと後悔しました。
とはいえ、わたしもトラブルは御免だったので、学校にいるときだけは『女の子らしく』しようと決めました。
ところが、ここで予期せぬことが起こります・・・
バトン部のクラスメイトがわたしから離れていったのです。そして、とある友達からこんなことを言われます。
「あのね、さっきバトン部の子たちと話したよ。『最近私たちに雰囲気合わせようとしてきて無理。男でも狙ってんのかね。』って言われてるよ。」
もう頭は真っ白です。こうすればああ言われて、ああすればこう言われる。
これがわたしの人生最大の屈辱でした。
その④ 大人たちの勝手な先入観に希望を奪われる
屈辱的な経験から、わたしは自分の道を進むしかない!と決意します。じぶんが輝ける、ありのままでいられる環境を、じぶんで創ればいいんだと。
そこでわたしは【ダンス部】を設立し、わたしを理解してくれる人を部員として持とうと決めました。
教師たちの頭が固いことは知っていたので、わたしは真っ先に校長室へ向かいました。「ダンス部が作りたい!」と伝えると、校長先生は「素敵な志しだ。応援してるよ!がんばれ!」と言ってくれました。
ただこの希望もすぐに泡となって消えます。
数日後、再度校長室を訪れると校長先生に「ごめんね。理由は言えないけど・・・というよりは、理由は私にもわからないのだが、ダンス部の設立を後押しすることができないんだ。」と言われました。
校長先生は当時異動してきて1年ほどの新任でした。この高校に長く勤めている教師たちから反感を買ったことは容易に想像ができました。
そして当時の担任からは、「おまえ、ストリートダンス部を創ろうとしているだろう?なんでそんなに行儀の悪い、小汚いものをやるんだ。この高校の校風にそぐわない。気品がないだろう!」
わたしはまた、じぶんが好きなもの、じぶんらしくなれる場所を否定されたわけです。
その⑤ アイデンティティと向き合い、LGBTを知る
この『闇の高校時代』を経て、わたしは『自分を作り上げるものはなんなのか』を考えました。
「わたしには『女の子らしさ』がないのか?」
「『女の子らしさ』はわたしには似合わないのか?」
「わたしが好きなものは、社会では『気品がない』と思われているのか?」
「この先も、わたしは理解されないまま生きていくのか?」
こうした問いを考えるなかで、わたしはLGBTというワードにたどり着き、LGBTについて調べ、『じぶんはなにものなのか』について考えたりしました。
いまでこそ、【Q】の存在がありますが、当時のわたしは Questioning であったと思います。
女でいることがなんなのかもわからなくなってしまったし、高校時代はクラスの男子たちを「かっこいい」と思ったこともなかったし、いわゆる【アセクシャル(無性愛者)】なのではないか。と思ったりもしました。
さいごに
わたしは最終的に 女性 として性自認をし、好きになる対象は男性です。
ですが、 女性 としての在り方、生き方は多様であり、『女らしさ』などは決して誰かが決められるものではありません。
そして、『個人が美しいと思うもの』『愛したいと思う対象』『じぶんらしくいられる生き方』 に関しても、他人がどうこう批判できるものではありません。
また、やっと世間でもLGBTQの話題が多く取り上げられるようになりましたが、どこか『特別扱い感』を感じます。もしもわたしがLGBTQであったとしたら、決して特別扱いはされたくないし、「普通の人とは違って~」だとか「LGBTQだから~」といった言葉は聞きたくないですし、恐らくLGBTQの方々もそのように感じているはずです。
だからこそ、わたしは【Ally】として、まずは自分自身がLGBTQについてもっと深く理解しなくてはならないと思いますし、周りの人たちにも理解してもらえるようなアクションを起こしていきたいです。
これが、わたしが LGBTQ Ally になった理由と、
これからも Ally でいたい理由です。