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Twitter上の自転車交通をめぐる炎上を覗いてみよう 〜自転車と自衛のお話〜

Twitter(現X)上の自転車交通をめぐるしょうもない炎上を真面目に分析・考察し、人間の争いの根源を突き止めようとしました。

ついでに、自転車の自衛についても考えてみました。

先に結論を書くと「人間は愚か」です。

はじめに

Twitter(現X)では、毎日のように道路交通に関するレスバが繰り広げられています。

投稿された交通状況から自転車やクルマの善悪の断定が始まり、次第に異なる立場間の非難の応酬に変わり、仕舞いには「法律を守れ」「免許返納しろ」「勝手に轢かれて死んでろ」などと罵り合う、スラム街の路地裏のような世界がそこには広がっています。

そのような様子がおすすめTLに流れてくるたびに「なぜ人は分かり合えないんだ…」と心を痛めています。

そんなある日、自転車用品のネット通販をしている「ワールドサイクル」という企業のアカウントのツイートがTLに流れてきました。

その内容に引っかかり、リプライや引用リツイートを見てみたところ、ツイートの内容に対して様々な意見が寄せられていました。
それどころか、意見を寄せている人同士が互いに批判し合ったり、空リプで罵り合ったりと、まさに炎上の様相を見せていました。

「またいつものか~」

と思ったのですが、ツイートの内容を何度も思い返して考えるうちに、ふと、

「なぜ、意見の違いが生まれるのだろう」
「これらの意見は本当に正しいのだろか」
「この言い争いに答えはあるのだろうか」

と、思うようになりました。

ツイート内では比較的しっかり状況説明がされ、リプライの数も100件程度とちょうど良い数だったので、全員の意見・主張を読んでみて炎上の構造や発生理由を考えてみました

また、炎上の論点の1つとなっていた自転車の「自衛」についても、自分なりの考えを整理してみました

社会の解像度を上げるぞ~


※目的別読み方ガイド

この記事は長いです。(約5万字)
手短に内容を確認したい方は、目的に合わせて読む章を選んでください。

◆記事の概要をさくっと読みたい人
 →「まとめ(自分なりの結論)」の章

◆炎上で寄せられた意見の統計を見たい人
 →「元ツイートへの反応を概観してみる」の章

◆炎上で寄せられた主張を詳しく見たい人
 →「炎上の構造と主張の内容を整理してみる」の章

◆自転車の自衛に係る問題についての考察を見たい人
 →「炎上の問題を深掘りしてみる ~自転車の自衛と情報発信~」の章

◆自衛を求める人の動機についての考察を見たい人
 →「なぜSNSで自衛を求める発信をするのか」の章

◆今回の炎上に対するAIの見解を見たい人
 →「余談② ChatGPTに聞いてみた」の章


今回の問題を考える上での大前提

まずそもそもの大前提として、自転車を取り巻く現在の状況を整理しておきます。
結論から書くと次の3つです。

①自転車(ママチャリ含む)の車道走行が徹底されるようになってきた
②現状、自転車は車道でクルマと混在して走ることになる
③自転車で車道を安全に走るには、クルマの安全運転に期待するしかない

戦後、日本ではクルマが急速に普及した一方、道路整備が追いつかず、交通事故とその死者数は増加の一途を辿りました。
今から50年ほど前には年間の交通事故死者数が約1.7万人となり、日清戦争での日本の死者数を上回ったことから、その状況は「交通戦争」と表されるほどになりました。
この時、自転車の事故も多発していたため、自転車の安全を守る措置として、許可がある場合には例外的に歩道を走行できるようになるとともに、歩道内に自転車の通行スペースが確保されるようになりました。
こうして、自転車の歩道走行が定着していきます。

それから徐々に交通事故が減っていったものの、多くの自転車が歩道を走行していたことで、今度は自転車と歩行者の事故が目立つようになりました。
そこで警察は、2011年に自転車は「車両」であることを道路利用者に徹底させるという姿勢を打ち出し、自転車の走行位置は車道が原則であることを強く訴えるようになりました

警察庁が策定した自転車安全利用五則(2022年11月改訂)
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/bicycle/pdf/2nihonngo.pdf

自転車の交通違反に対して罰則や指導・取締りを強化するとしていて、今後始まる青切符による取締りには「徐行せずに歩道を走行すること」も対象となっています。

このように自転車の通行ルールが厳しく問われるようになり、一部の例外を除きどのような自転車であっても、これまでなあなあで許されていた(見逃されていた)自転車の歩道走行はできなくなりつつあります。

ルール周知や取締り強化だけでなく、道路改良といったハード整備による対策も進められています。

国土交通省が2012年に「安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン」を策定し、2016年の改訂版では整備するべき自転車通行空間の種類や構造が示されました。
策定後、車道における自転車の空間整備が進み、2021年時点では2016年比で約3倍の約4,686kmの自転車通行空間が整備されました。

しかし、これは日本の道路延長約122万km(2021年時点、高速自動車国道を除いた実延長)に対してわずか0.4%にしか過ぎません。
加えて、自転車通行空間のほとんどが道路に矢羽根をペイントしただけの「車道混在」型(下図③)で、クルマと自転車の空間を分離した自転車道や専用レーン(下図①②)に絞ると、その割合は0.07%にまで下がります。

第1回安全で快適な自転車等利用環境の向上に関する委員会 資料3より抜粋
https://www.npa.go.jp/koutsuu/kisei/bicycle/kentoiinkai2/01/jitenshakojo_01_03.pdf

ある年の年末ジャンボ宝くじの1万円の当選確率が0.3%だったようなので、その4分の1以下の確率でしか空間分離された自転車通行空間に出会えないことになります。(めちゃくちゃな仮定の強引な結論)

つまり何が言いたいかというと、自転車は車道走行が原則と言われ、その車道ではほぼ必ずクルマと混在して走行することになります

そのような状況でクルマと自転車の接触事故が発生した場合、クルマは車体に傷がつくだけで済むのに対し、生身の人間である自転車利用者は路面やガードレールに身体を強打したり、後続のクルマに轢かれたりするなど、簡単に死傷するリスクがあります。
いくら自転車が法律を守って運転していても、クルマのドライバーの運転次第で自転車に死傷リスクが生じる状況は、いわば、クルマのドライバーが自転車利用者の命を握っているようなものです。

もちろん自転車がルールを守るのが大前提ですが、自転車は原則車道を走らなければならない以上、クルマの安全運転に期待するしかないのが現状です

(間違った内容があったらこっそり教えてください。)


ワールドサイクルの発言内容を整理する

それでは、炎上の中身を見てみましょう。

はじめに、事の発端となったワールドサイクルの発言内容を整理してみます。
発言の文章を文字どおり解釈し、主観が混じったり、思い込みや誤解が生じたりしないように整理していきます。

ツイート内の状況

ワールドサイクルのツイート(以降では「元ツイート」と記載します)の記述をなぞって、クルマや自転車の挙動などの状況を整理します。

場所は「路肩が狭く交通量が多い道」です。
路肩が狭いため、道路の左端に逃げる余裕が無いと読めます。

次に場面は「車(特に大型)がもうすぐで追い越し完了しそうな時」です。
(以降「車(特に大型)」はクルマと表記し、図ではトラックで表現します。)

ここで「追越し」とは何か確認してみます。

追越し 車両が他の車両等に追い付いた場合において、その進路を変えてその追い付いた車両等の側方を通過し、かつ、当該車両等の前方に出ることをいう。

道路交通法 第二条第一項二十一号

図で表すとこうです。

もうすぐで追い越し完了しそうな時」というのは、図中の「クルマが元の進路に戻る」最中と考えられます。
少しだけ時間に余裕を持たせて「クルマが自転車の横を通過する」時も含まれているかもしれません。

では、クルマが「もうすぐで追い越し完了しそうな時」に「自分(自転車)に寄ってくる」とはどのような状況でしょうか。
「寄る」とは、物理的に近づくことを意味するようです。

クルマがどのような挙動をしたら、「もうすぐで追い越し完了しそうな時」に「自分(自転車)に近づいてくる」のでしょうか。
自転車とクルマの相対的な位置とクルマの取り得る挙動を場合分けして考えてみます。

クルマが自転車の右前方にいる状態から「寄ってくる」のは、クルマが急に減速した場合となります。
また、クルマが自転車の横にいる状態から「寄ってくる」のは、クルマが進路変更した場合となります。

ちなみにですが、「進路変更=車線変更」ではないのでご注意ください。

元ツイートでは、クルマがこのような挙動をする理由として、「車が対向車線にはみ出して追い越ししているので、対向車にぶつからないように急いで戻りたいから」としています。

ここでクルマは「急いで(元の進路に)戻りたい」意識があります。
先ほど挙げたクルマが「寄ってくる」4つの状況の中で、ただ急に減速しているだけのものは元の進路に戻ろうとしていません。
なので、クルマの挙動は次の3通りと考えられます。

また、自転車の追越しのために対向車線にはみ出していることから、片側1車線の道路であることが分かります。

このようなクルマの挙動を受けて、「自転車は足を緩めて、少し減速気味に走る」としています。

ここまでが元ツイートで描写された状況です。


問いかけ「普通ですよね?」の意味

元ツイートでは上記の状況が描写された後、ワールドサイクルの言葉として「普通ですよね?」という問いかけで締められています。

この「普通」の意味は、“当たり前”や”日常”など複数の解釈ができます。
また、「ですよね?」という疑問形も、”念押し”や”内容の確認”、”ただの質問”など様々な意味で使われます。
さらに「普通ですよね?」が指すものは、”自転車の減速”だけでなく”クルマの追越しと自転車の減速”という道路の全体的な状況である可能性もあります。

これらを踏まえると、「普通ですよね?」の解釈例として次のようなものが挙げられます。

そんな時自転車は足を緩めて、少し減速気味に走るって、普通ですよね?」の解釈例

・危険が迫っている時に自転車が減速するのは、やって当然ですよね?(まさかやらないなんてことはないですよね?)

・危険が迫っている時に私は自転車で減速しますが、間違ってませんよね?

・クルマが危険な追越しをするのも、それに合わせて自転車で減速するのも、日常的ですよね?

このように様々な解釈ができますが、ワールドサイクルは補足リプライをしていないため、他者が意味を断定することはできません


以上の整理を踏まえて、元ツイートの内容を図示するとこうなります。

点線内がツイートの内容


自転車とクルマが取りうる行動

炎上の中で「自転車/クルマは**すべき」「自転車/クルマの**は違反だ」のような主張が出てきます。
この章ではクルマの追越しに関する一連の動作の中で、自転車とクルマが取った行動を整理し、他に取り得た行動や法令違反の状況を確認しておきます。

※自身の行動を決めるための法律の理解は、法律を読むだけである程度可能です。
しかし、起こった事象の法令違反の判断は素人が行うには難しいそうです。(故意・過失で罪状が変わる、民事・刑事で罪状や量刑が変わる、判例の確認が必要となるなど)
なので、法令違反の判断はなるべく可能性の確認に留めます。

クルマが自転車を追越すにあたり、両者が取り得る行動は次のとおり考えられます。

それぞれの判断、行動について危険性や法令違反の状況などを確認します。


①自転車が後続のクルマに進路を譲る/譲らない

今回の炎上では、自転車が後続のクルマに追いつかれた際、自転車が進路変更や一時停止などをしてクルマに進路を譲るべきかどうかが論点に挙がっています。

法令違反の状況を考える場合、往々にして道路交通法第二十七条「ほかの車両に追いつかれた車両の義務」が自転車にも適用されるかどうかについての議論になります。

調べたところ、道路交通法二十七条は自転車に適用されないそうです。
なので、後続のクルマに追いつかれても進路を譲らない自転車に違反は認められません

以下のブログで詳細に理由が解説されていて、本庁にも照会済みとのことです。

自転車が進路を譲らないことで、後続のクルマが安全を確保できるまで追越しを待ち、数台のクルマが速度を落とす可能性があります。
しかし、上記のように自転車に法令違反は認められず、「自転車が進路を譲らずに走り続ける」行為そのものが直接的にクルマに危害を与えることもありません

もし、自転車が後続のクルマに進路を譲った場合、法律で定められない予防的な安全行動を取ったと言えます。


ちなみに、「道路交通法二十七条(ほかの車両に追いつかれた車両の義務)は自転車に適用される!」と主張する方もいます。
そのような方は、大抵以下のブログ記事を持ち出します。

・県警から本庁に照会されている回答を「現場レベルのいい加減な回答」として認めない点
・道路交通法第二十七条の「第二十二条第一項の規定に基づく政令で定める最高速度」という記載を「第二十二条第一項で定める最高速度」と読み替えている点

が記事の正当性を破綻させていて、この記事を理由に「自転車には追いつかれた車両の義務がある」と主張するのは無理があるので、ここでは前者のブログ記事(道路交通法二十七条は自転車に適用されない)が正しいものとします。


②クルマが追越しを始める/始めない

ワールドサイクルのツイートでは、「クルマがもうすぐで追越し完了しそうな時」について述べられています。
ツイートが示す範囲から外れますが、まずは追越しを始める直前のクルマの判断について考えてみます。

追越ししようとする車両に関する法律には次のものがあります。

(前略)追越しをしようとする車両は、反対の方向又は後方からの交通及び前車又は路面電車の前方の交通にも十分に注意し、かつ、前車又は路面電車の速度及び進路並びに道路の状況に応じて、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない。

道路交通法 第二十八条第四項

ざっくり言うと「ちゃんと周りの状況を見て安全に追越しをしなさい」ということだと思います。

結果的にクルマは自転車に減速を強いているため、自転車に死傷リスクを負わせるような危険な追越しをしました。
追越しを始める判断をする段階で自転車に減速させてしまうことが分かっていた場合、クルマの法令違反に当たる可能性があります。
しかし、追越しを始める段階では安全を確信していて、予見できない事象により自転車に減速をさせてしまった場合はどうなるのでしょう。
法律やその運用方法について全く詳しくないので、法令違反となるか分かりません。

ワールドサイクルのツイートには追越しを判断する場面が描写されていないため、この時点での法令違反の状況は判断できません。

そのため、「結果的に危険な状況を引き起こしたが、追越しを開始する段階でのクルマの違反状況は不明」とします(させてください)。


③クルマが自転車に寄るような進路変更をする/しない

次に、クルマが追越し完了しそうな時に、自転車に寄るような進路変更をすることについて考えます。

道路交通法での「追越し」の定義では、追越し完了直前の挙動を「(追越される)車両等の前方に出る」としており、進路変更という言葉は使用していません。
が、今回の場合は、クルマが自転車の前方に出る際、自転車の側方通過時の進行方向や道路の延長方向とは異なる方向で進行する必要があるため、進路変更しているものとします。

「追越し」や「進路変更」に関する以下の法律が関係すると思われます。

(前略)追越しをしようとする車両は、反対の方向又は後方からの交通及び前車又は路面電車の前方の交通にも十分に注意し、かつ、前車又は路面電車の速度及び進路並びに道路の状況に応じて、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない。

道路交通法 第二十八条第四項

車両は、進路を変更した場合にその変更した後の進路と同一の進路を後方から進行してくる車両等の速度又は方向を急に変更させることとなるおそれがあるときは、進路を変更してはならない。

道路交通法 第二十六条の二第二項

安全に追越ししようとしているか自転車が速度や方向を急に変更させられていないか、が問題になりそうなので、改めてクルマの挙動を見てみます。

この道は片側1車線で路肩が狭い道路でした。
クルマが「寄ってくる」状況では、自転車がそのまま走行した場合はクルマと接触する恐れがあり、自転車が減速せざるを得なくなっています。

後方から来る自転車に減速させる進路変更をしていることから、クルマは道路交通法第二十六条の二に違反している可能性があります。
また、自転車と接触する恐れのある追越しをしていることから、クルマは道路交通法第二十八条にも違反している可能性があります。

クルマが自転車に寄るような進路変更は、法令違反の可能性が高いと言えます。


④自転車が危険回避のために減速する/しない

③で整理したとおり、自転車がそのまま走行した場合はクルマと接触する恐れがあります。
そのため、自転車の減速は義務どうこう以前に、危険回避のためにせざるを得ない行動です

ですが、後ほど「自転車に危険回避の減速を強制するべきか」という話題が出るため、自転車の減速が義務であるかどうかを考えてみます。

まず、③で整理したとおり、本来であればクルマは他車の進路や速度を急に変更させないような進路変更が求められています。
誰もが安全に道路を利用するために法で定められ、自転車側から予測されうる行動を取らなかったクルマに即座に対応するのは自転車の義務である、というのは無理な話かな、と思います。

また、そもそも、自転車は免許不要で誰でも利用できる乗り物です。
自転車利用者の中には、まだ自転車に乗り始めたばかりの人や身体的な理由で反応が遅れてしまう人など、どうしても咄嗟の危険回避行動を取れない人もいます。
そのような人が、クルマに寄られて減速が間に合わず接触した場合に、安全運転をしなかったと責められるのは無茶な話かと思います。

そのため、自転車の減速は危険回避のためにせざるを得ない行動であり、他人に強制される行動ではない(だろう)、と考えられます。


・まとめ

自転車とクルマが取り得る行動をまとめると次のようになります。


ワールドサイクルの発言内容まとめ

ここまで整理した内容まとめると以下のようになります。

元ツイートは「追越しが完了しそうな時」の状況について述べています。
追越しの途中より前の時点、例えば、後続のクルマが自転車に追いついた時などは元ツイートで触れている状況から外れています

また、自転車は違反の無い走行をしている中で、クルマが寄ってきたことで危険回避のため減速せざるを得なくなっています。
クルマは自転車に減速をさせる危険な追越しをしていて、法令違反が認められる可能性が高いです

そして、ワールドサイクルは「普通ですよね?」と問いかけていますが、「普通」の意味もその対象も明確にはなっていません

ここまでが元ツイートの内容の整理です。


元ツイートへの反応を概観してみる

次に、ワールドサイクルのツイートへの反応を収集・整理して、どのような意見・主張が出ているのか全体的な傾向を見てみます。

元ツイートへの反応の収集

今回収集した元ツイートへの反応は
・元ツイートへのリプライ
・元ツイートの引用リツイート
です。

以降ではこれらを「反応ツイート」と呼びます。

本来であれば「空リプ」や「引用リツイートの引用リツイート」などの全ての反応を網羅的に収集する必要がありますが、収集漏れによって意見・主張の偏りが発生しないように上記の2種類の反応ツイートに対象を絞っています。
また、非公開アカウントの反応ツイートは収集していません。(というかできません)

元ツイート投稿3日後の6月12日10時時点で、リプライ90件、引用リツイート138件、合計228件の反応ツイートが集まりました。

リプライ        90件
引用リツイート   138件
合計        228件

これらの反応ツイートを集計・分析してみます。


意見・主張の傾向を整理してみる

全ての反応ツイートを対象に、意見・主張のおおまかな傾向を把握してみます。

集計方法は、全ての反応ツイートを1つずつ読んでその内容を判断する地道な人海戦術(1人)を取りました。
集計の際、主観が混じるのを防ぐため、文字として書いてある内容をそのままの意味で捉えるようにし、意味の推測はなるべくしないようにしています。

元ツイートの状況や集計した反応ツイートの内容を踏まえると、意見・主張の対象は「クルマ」「自転車」「道路環境・社会」「ワールドサイクル」の4つとなります。

これを踏まえて、意見・主張を見てみます。


■クルマに対する意見

まずはクルマに対する意見です。
元ツイートでは「車(特に大型)がもうすぐで追い越し完了しそうな時に自分(自転車)に寄ってくる」とありました。

このクルマの挙動に対する意見は次のとおりでした。

「反応ツイート」の意見の割合

全体の半数近くの反応ツイートがクルマの挙動の危険性を認識しており、そのうちの半数以上が「やるべきでない」と主張しています。
一方、クルマの挙動を肯定しているツイートは全体の1%未満とごくわずかでした。


なお、全体の半数以上の反応ツイートはクルマの挙動に対して「言及なし」でした。
これは「全体の半数以上がクルマの挙動に対するコメントをしなかった」という事実だけを示しています。

各々が自由に発信できるSNSの投稿は、発信者の認識・意見の一部だけが言語化された、いわば不完全な情報です。
ツイートという140文字制限の文章では、情報の不完全さはより顕著になります。
そこに「言及していないから黙認している」といったような推測を行うことは、自身の思い込みによるツイートの恣意的な解釈を引き起こしかねません。

そのため、
・「言及なし」の割合は“言及しなかった割合”としてのみ捉える
・意見・主張の偏りは「言及なし以外」に占める割合を中心に見る
というように分析しています。
以降ではこの点に留意してご覧ください。


■自転車に対する意見

元ツイートではクルマが寄ってきた時に、自転車は「足を緩めて、少し減速気味に走る」としています。

これに対して反応ツイートでは、

・自分が自転車の立場だった場合に減速するか
・自転車は減速するべきか

の2種類の意見が挙がりました。
それぞれ見ていきます。

まず、「自分が自転車の立場だった場合に減速するか」は次のとおりです。

「反応ツイート」の意見の割合

言及した人のうちのほぼ全てが「減速する」とコメントしており、「減速しない」や「加速する」と回答した人はいませんでした

この「減速する」とツイートした人の理由は次のとおりです。

「反応ツイート」の意見の割合

全体の7割近くが「接触を回避するため」に減速するとしています。


次に、「元ツイートの状況で自転車は減速するべきか」の意見は次のとおりです。

「反応ツイート」の意見の割合

「言及なし」以外で最も多かったのは強い肯定の意見(「減速するべき」「減速は大切」など)や肯定の意見(「減速はした方が良い」など)で、それぞれ全体の1割程度でした。

また、「減速は義務」や「減速せざるを得ない」の意見も3%程度ありました。

このうち、減速に肯定的な意見をした人の理由は次のとおりです。

「反応ツイート」の意見の割合

もちろんですが、「減速は義務」と主張する人の理由は「義務・法律で決まっているから」です。

それ以外では「接触を回避するため」が半数以上でもっとも多い理由になっています
また、「強い肯定」→「肯定」→「せざるを得ない」と肯定の程度が弱くなるほど、「接触を回避するため」を理由とする割合が多くなっています。

「強い肯定」や「肯定」では思いやりの必要性を理由に挙げている人も一定数見られます。


■「普通ですよね?」という問いかけに対する反応

元ツイートでは、クルマの危険な追越しに対して自転車が減速するという状況説明の後、ワールドサイクルが「普通ですよね?」と問いかけています。

この問いかけに対する「普通/普通じゃない」といった反応の割合を見てみます。

「反応ツイート」の意見の割合

「『普通である』と明言」と「肯定的・同調」の肯定寄りの意見と、「『普通でない』と明言」と「否定的」の否定寄りの意見が真っ二つに割れました。

この結果を深掘りしていきます。
「普通ですよね?」の反応別にどのような主張が繰り広げられているのか見てみましょう。


先ほど自転車に対する主張として「自転車は減速するべきか」の主張の割合を確認しました。
これを「普通ですよね?」の反応別にクロス集計して詳しく見てみます。

否定寄りの人よりも肯定寄りの人の方が「自転車は減速するべきか」について言及している割合が多くなっています

また、肯定寄りの人のほとんどが「義務」「減速するべき」「減速した方が良い」といったように自転車に減速を強いるような主張をしています。
一方、否定寄りの人は、「減速せざるを得ない」「義務ではない」の主張がほとんどであり、肯定寄りの人とは対照的となっています。


次に、クルマに対する意見を詳しく見てみます。
クルマがもうすぐで追い越し完了しそうな時に自分に寄ってくる」についての意見を反応別のクロス集計で見てみます。

こちらは、先ほどの自転車に対する意見とは異なり、否定寄りの人の方がクルマの行動に言及している割合が多くなっています

肯定寄りの人のほとんどが「危険な追越しはやるべきでない」と主張しています。
一方、肯定寄りの人は、半数以上がクルマの危険な追越しに対して肯定も否定もしていません。


最後に、ワールドサイクルへの意見を見てみます。
「自転車販売店がこのようなことを発信するのはいかがなものか」といった反応ツイートが多数あったため、「自転車販売店の発信として疑問視しているかどうか」を反応別にクロス集計で見てみます。

肯定寄りの人の中には、ワールドサイクルの発信を疑問視する人はほとんどいませんでした。
一方、否定寄りの人は、半数以上がその発信を疑問視しています


ここまでの集計結果をまとめると、ワールドサイクルの元ツイートに対して肯定的な意見を寄せている人は、自転車に減速を強いるような主張をしている傾向にあることが分かります。
一方、否定的な意見を寄せている人は、クルマの行動を批判したり、ワールドサイクルの発信を疑問視したりしています


なぜ、このような意見・主張の違いが発生するのでしょうか。

数多のリプライの応酬を見る中で、いくつか話が噛み合っていない様子を確認できました。
あまりにも話が噛み合っていないので、ふと、「反応ツイートを寄せた人たちの中で、元ツイートの解釈や認識にズレがあるのではないか?」という考えが頭に浮かびました。

以降ではこの仮説についても検証してみます。


■解釈や認識の違い

反応ツイートの中で「譲る」という言葉が多用されていました。

元ツイートの中で「譲る」という言葉は出てきません。
しかし、元ツイートの状況を正しく理解すれば、「クルマが追越し完了しそうな時に自転車が減速して進路を“譲る”」ことであると判断できます。

にも関わらず、いくつかの反応ツイートでは「後続のクルマが追いついた時に(=追越しが始まる前に)進路を“譲る”」という意味で「譲る」という言葉を使っていました。

そこで、反応ツイートの中で述べられている「譲る」という行動が、「追越し中のクルマに前方の進路を譲る」と「後続のクルマに進路を譲る」のどちらの意味で用いられているのか見てみます。

「普通ですよね?」に対して否定寄りの人は、判断できる中では全ての人が「譲る」を「追越し中のクルマに前方の進路を譲る」という意味で使用していました。

一方、肯定寄りの人には「譲る」を「(追越しが始まる前に)後続のクルマに進路を譲る」という意味で使用した人が一定数見られます。

このことから、同じ言葉を使っているもののその解釈が違う(=思い浮かべている状況が違う)ために、意見の違いが生まれている可能性があると考えられます。

なお、この場合、元ツイートでは「追越し中」の状況についてのみ述べているため、肯定寄りの人の一部が話題の範囲を広げていると言えます。


もう一つ、解釈の違いを確認してみましょう。

前章でも触れたように、「普通ですよね?」という問いかけの意味は曖昧です。
この「普通ですよね?」に反応した意見・主張の中で、言及している対象は「自転車の減速」と「クルマの危険な追越しと自転車の減速」の2つがありました。
この意見・主張の対象の違いは、おそらく「普通ですよね?」の対象の解釈の違いによるものだと思われます。

こちらも、元ツイートへの反応別に解釈の違いを見てみます。

肯定寄りの人は、半数以上が「普通ですよね?」の対象を「自転車の減速」と解釈していました。

一方、否定寄りの人は、ほとんどの人が「普通ですよね?」の対象を「クルマの危険な追越しと自転車の減速」という道路全体の状況と解釈していました。

このことから、元ツイートの「普通ですよね?」という問いかけの対象の解釈の違いでも、意見の違いが発生している可能性があります


最後にもう一つ、解釈の違いを見ます。

元ツイートでは「自転車」という言葉が出てきますが、それがどのような種類なのかは明言されていません。
しかし、反応ツイートでは「ロードバイク」という特定の種類の自転車が言及されたり、ママチャリの走行についての話が例示されたりと、発言者が想像している自転車の種類に違いが見られました。

そこで、「普通ですよね?」の反応別に想像している自転車の種類を見てみます。

サンプル数は少ないものの、肯定寄りの人はほとんどが「自転車=ロードバイク」と認識しているのに対し、否定寄りの人はほとんどが「自転車=ママチャリを含むすべての自転車」と認識していました。

このことから、想像している自転車の種類の違いでも、意見の違いが発生している可能性があります


意見・主張の傾向まとめ

ここまでの集計結果をまとめると次のようになります。

ワールドサイクルの元ツイートに否定寄りの人は、元ツイートの状況である「追越し中」の挙動について述べていました。
一方、肯定寄りの人は、「追越し中」だけでなく「追越し前」にまで話題の範囲を勝手に広げていました。

また、否定寄りの人が「クルマの危険な追越しと自転車の減速」について言及していたのに対し、肯定寄りの人は「自転車の減速」にのみ言及していました。

これらの認識や話題の対象の違いは、ワールドサイクルの発信内容が曖昧であったことが原因で起こっている可能性があります

そして、このような認識や話題の対象の違いによってか、以下のような意見・主張の違いが出ています。

肯定寄りの人は、クルマの行動を批判せず、自転車に対して減速を強いるような主張をしています。
一方、否定寄りの人は、自転車は減速せざるを得ないとしたうえで、クルマの行動とワールドサイクルの発信について批判をしています。

なお、肯定寄りの人と否定寄りの人のどちらも、自身が自転車の立場であれば減速するとしています。


炎上の構造と主張の内容を整理してみる

ここまでで反応ツイートの意見・主張の全体的な傾向を把握しました。
ただ、これでは炎上の原因がはっきりしません。

ここからは、人の対立の構図に焦点を当てて炎上の構造を明らかにしたうえで、主な反応ツイートを深掘りして主張の内容を整理してみます。

炎上の構造を把握してみる

まず初めに「炎上」の定義を確認してみます。

「炎上」とは、「ウェブ上の特定の対象に対して批判が殺到し、収まりがつかなさそうな状態」「特定の話題に関する議論の盛り上がり方が尋常ではなく、多くのブログや掲示板などでバッシングが行われる」状態である。

総務省 情報通信白書(令和元年版)

ざっくり言うと「糞の投げ合い」ですが、もう少し綺麗な言葉で具体的に言うと「ネガティブな意見(批判、非難、否定)が殺到しているさま」かと思います。

意見・主張の対象は「クルマ」「自転車」「道路環境・社会」「ワールドサイクル」の4つでした。

今回の炎上では、これら4つの対象それぞれにネガティブな意見が寄せられた可能性があります。

ここで、クルマや自転車などに対する批判・否定を「一次的な批判」、一次的な批判をしている人に対する批判・否定を「二次的な批判」と呼びます。
例えば、「ツイート内のクルマは良くない!」というツイートは”クルマに対する一次的な批判”、「クルマを批判している人はどうかと思う」というツイートは”二次的な批判”となります。

収集した全ての反応ツイートの内容をまたしても人海戦術(1人)で1つずつ確認し、批判・否定の対象を確認しました。

批判・否定の対象別の件数は次のとおりです。

反応ツイートの件数

最も批判・否定の対象となっていたのは「ワールドサイクル」で44件、次点で「ツイート内のクルマ」が38件でした。
次いで、「クルマに批判的な人」が20件、「世間一般の自転車」が15件となり、それ以降は全て1桁の件数となっています。

件数は少ないものの「『クルマに批判的な人に批判的な人』に対する批判」という三次的な批判まで確認できました。
炎上してるね~

より炎上の構造を明確にするため、リプライや引用リツイートがたくさん付いていた反応ツイートに絞った件数も集計しました。
リプライが3件以上、または、引用リツイートが3件以上付いた反応ツイートの件数は次のとおりです。

リプライが3件以上、または、引用リツイートが3件以上付いた反応ツイートの件数

こちらも「ワールドサイクル」「ツイート内のクルマ」「クルマに批判的な人」「世間一般の自転車」の順で、批判・否定の反応ツイートが多く寄せられています。

前の章との整合を確認するため、これらの盛り上がった反応ツイートのスタンスを確認しておきます。
それぞれ、元ツイートの「普通ですよね?」の問いかけに対する反応の割合は次のとおりです。

「ワールドサイクル」「ツイート内のクルマ」に対して批判的な人は、元ツイートに対して否定的な姿勢を取っている傾向にあります。
一方、「クルマに批判的な人」「世間一般の自転車」に対して批判的な人は、元ツイートに対して肯定的な姿勢を取っている傾向にあります。

前の章で整理した全体的な意見の傾向と紐づけて図示するとこうなります。


特に盛り上がった主張を見てみる

ここからは、特に盛り上がった反応ツイートの批判・否定の内容を、実際のツイートの文章を確認しながら詳しく見ていきます。

繰り返しになりますが、反応ツイートの中でも特に件数が多かったのは「ワールドサイクル」「ツイート内のクルマ」「クルマに批判的な人」「世間一般の自転車」への批判・否定でした。

これらの反応ツイートの主張をまとめると、概ね次のようになりました。

以降では、これらの主張を詳しく見ていきます。
ただ見るだけでは意味が無いので、以下について主観を排除して確認していきます。

・主張の内容の正当性(誰がみても主張の理由・根拠が正しいか)
・主張すること自体の正当性(誤った情報を流布するなど対外的に発信するべきでない内容ではないか)
・元ツイートへの意見としての妥当性(元ツイートの状況から外れたこと・突飛なことを言っていないか)


「ツイート内のクルマ」を批判している人たちの主張

①クルマは自転車に減速させる危険な追越しをするな(そもそも法令違反)

自転車に減速させるような追越しはダメだろ、するなよ、というクルマに対する批判です。

元ツイートの中では、クルマが自転車に寄ってきた状況が描かれています。
もし、クルマと自転車が接触した場合、自転車はガードレールとクルマの間に挟まれたり、転倒して頭部を強く打ったり、後続車に轢かれたりして死亡するリスクがあります。
クルマの行動は法令違反の可能性が高い一方で、自転車は法令違反をしておらず、かつ、このような死傷リスクが生じています。

このように自転車に一方的に死傷リスクが生じている状況で、リスクの原因に対して批判の声を上げるのはおかしなことではありません
また、リスクの原因が法令違反の可能性の高い行動であるため、その批判の正当性も認められます

②クルマは自転車が減速するのを期待して追越しをするな

自転車が危険回避する前提でクルマは運転するなよ、というクルマに対する批判です。

利用者の年齢やその時の天候などにより、自転車の反応速度は変わります。
急に寄ってきたクルマに対して自転車が減速できなかった場合、接触事故が起きて自転車利用者が死傷する可能性があります。
また、そもそも自転車に減速を強いるような追越しは法令違反の可能性があります。

そのため、一方的に死傷リスクを発生させているクルマを批判することはおかしなことではありません
また、クルマの行動が法令違反であれば主張の正当性は誰の目から見ても明らかです。


「ワールドサイクル」を批判している人たちの主張

①自転車販売店がクルマの危険な運転を咎めない発信をするな

クルマが自転車利用者を死傷させかねない運転をしているにも関わらず、その点を咎めないワールドサイクルの発言やスタンスに対する批判です。

自転車販売店の発言内容やスタンスに社会的な決まりごとはありません。
自転車販売店として望ましい発言やスタンスは人によって意見が分かれるところです。
次章で考察してみます。

②自転車販売店が独自のルールやマナーを自転車に押し付けるな

自転車販売店という立場で独自のルールやマナー(謎マナー、独自ルールとも)を自転車に押し付けるな、というワールドサイクルに対する批判です。

文章を文字どおりに捉えれば、元ツイートは「自転車の危険回避の減速」についての話をしています。
そして「普通ですよね?」とコメントしてます。

この反応ツイートは元ツイートが「自転車の危険回避の減速はできて当たり前、できないのは普通じゃない(異常)」という意味であると認識し、自転車に危険回避の減速を強要するなと主張していると考えられます。

自転車の危険回避の減速は義務ではなく、やむを得ず取る行動です。
自転車利用者の中には咄嗟の危険回避行動を取れない人もいます。
そんな「せざるを得ない行動」を他人に強要するのは余計なお世話ですし、減速できないような人を「普通じゃない」と断ずるのは過激な発信であり、問題視する声が上がるのはおかしなことではありません。

ただ、ワールドサイクルがどのような意図で「普通ですよね?」とコメントしたのかは元ツイートだけでは判断できません。
そのため、ワールドサイクルが「自転車の減速は当たり前」という意味で発信していた場合はごもっともな主張となります。


③自転車の減速とそれ以外の行動を区別して発言しろ

自転車が危険回避のためにした減速と、それ以外のクルマや自転車の行動を区別して発言しろ、というワールドサイクルに対する批判です。

上記の反応ツイートでは、マナーを「自転車が危険回避のために減速すること」、ルールを「クルマが安全に追越すこと」として、この2つを区別しろと批判していると思われます。

自転車の減速は、危険回避のために取らざるを得ない行動ではあるものの、法的に強制されるものであるかは不明確です。
一方、クルマの安全な追越しは法的に定められた義務で、必ず守らなければならないものです。

元ツイートでは淡々と状況が綴られ、この2点の区別について一切の言及が無いまま、「普通ですよね?」という対象が曖昧で意見の強い押し付けとも感じられる問いかけをしています。
これによって、「自転車の減速は普通」という主張と「クルマの危険な追越しは普通でない」という主張の反応ツイートが寄せられ、両者間で認識の食い違ったレスバも発生しています。

企業アカウントとして発信力があり、不特定多数が閲覧できるSNSの投稿であれば、不要なレスバの応酬を発生させるなという意味合いでも、ワールドサイクルへの批判になり得ます

ただ、Twitterの平和を望む方の意見としては成り立つものの、自転車販売店の発言内容やスタンスに社会的な決まりごとがあるわけではありません。
「自転車販売店として望ましい発言やスタンス」というのは人によって意見が分かれるところです。
こちらも次章で考察します。

また、この反応ツイートでは、「危険回避の行動(自転車の減速)」と「ルール・マナー」を区別しろと批判しています。
ここでの「ルール・マナー」は、危険回避の行動と区別し、自転車の一時停止や歩道走行を例として挙げているため、「自転車が後続のクルマに進路を譲る予防的な安全行動」のことを指していると思われます。

元ツイートを文字通りに素直に読めば、追越し前から後続のクルマに進路を譲るような話はしていません。
なので、ワールドサイクルへの批判としては当てはまらない可能性があります。

ただ、「自転車は後続のクルマに進路を譲るべき」と主張している反応ツイートに対してはごもっともな批判と考えられます。

④「普通ですよね?」と煽るのはどうなのか

ワールドサイクルが「普通ですよね?」という問いかけをしたことに対する批判です。

先に述べたように「普通ですよね?」は様々な解釈ができます。
その中でも「できて当たり前ですよね?まさかできないなんてことはないですよね?それは普通じゃないよ?異常だよ?」という煽りの意味合いを感じた人による指摘と思われます。

先ほど述べたとおり、自転車利用者の中には咄嗟の危険回避行動を取れない人もいます。
自転車が免許不要で誰でも利用できる乗り物であるにも関わらず、そのような人に対して「お前は普通じゃない」と煽るのは過激な発信であり、問題視する声が上がるのはおかしなことではありません

ただし、自転車販売店の発言内容やスタンスに社会的な決まりごとはありません。
咄嗟の危険回避行動を取れない自転車ユーザーは子どもや高齢者などの立場の弱い方が多いと思われますが、ワールドサイクルがそのような人を煽ったとしても何かの法に触れるわけではありません。
自転車販売店として望ましい発言やスタンスは何か、次章で考察します。

⑤全ての自転車が咄嗟の危険回避行動を取れると思うな

全ての自転車が咄嗟の危険回避をできる前提で話すな、というワールドサイクルに対する批判です。

こちらも④と同じように、どうしても咄嗟の減速ができないような人もいる自転車ユーザーに対して「お前は普通じゃない」と煽るのは過激な発信であり、問題視する声が上がるのはおかしなことではありません

ただし、繰り返しますが、自転車販売店の発言内容やスタンスに社会的な決まりごとはありません。
ワールドサイクルがSNS上で交通弱者をいじめ続けたとしても、何かの法に触れるわけではありません。
自転車販売店として望ましい発言やスタンスについて次章で考察します。


「世間一般の自転車」を批判している人たちの主張

①自転車へのルール周知を徹底しろ

危険な運転をする自転車がいるからルールを周知しろ、という自転車への批判の意味を含んだ主張です。

歩行者にかまわず歩道を暴走したり、ノールックで進路を変更したりと、危険な運転をする自転車を街中ではよく見かけますし非常に問題です。
ただ、元ツイートの自転車は一切危険な運転をしておらず、もちろん法令違反もしていません。
そのため、元ツイートの内容には直接関係のない主張となります。

ほんの少しでも関連している話題(今回の場合は「自転車」だけが共通項)が出ていたら、日頃思っていることを主張せずにはいられないタイプの方々の発信かもしれません。

②自転車にも思いやりや譲り合いが必要

何故自転車には思いやりが無いのか、必要だろうという自転車に対する批判です。

元ツイートの自転車は一方的に危険な状況に晒され、減速せざるを得なくなっています。
自転車が譲り合いや思いやりをする余地はありません。
仮に「後続のクルマが自転車に追いついた際に、自転車は進路を譲ってあげよう」という主張だったとしても、追越し中の危険回避のための減速の話をしている元ツイートとは話題の対象が異なっています。
そのため、こちらも元ツイートの内容には直接関係のない批判です。

なお、この「思いやり」は「ルール」とは区別して発言されているため、法律で定められない予防的な安全行動のことと思われます。
自転車が積極的に予防的な安全行動を取れば、自転車が安全に走行できる環境が実現するのでしょうか。
次章で考えてみます。

③減速しないなんて信じられない

減速しない自転車はあり得ない、という批判(コメント?)です。

いくらクルマによって一方的に発生させられた危険な状況だとしても、自転車が減速しようとせずに事故が起こるのは望ましくありません。
そのため、主張としては正しいかと思います。

ただ、本当にそのような人が(わざわざ不特定多数の人に対して問題を発信するほど)存在するのかは疑問です。
クルマが間近に迫る状況でわざわざ死亡するリスクが高いような行動を取る人がいるとは考えにくいです。
実際、先ほど整理したとおり、どの立場の反応ツイートにも「減速しない」「加速する」と断言しているものはありませんでした。

つまり、この反応ツイートは、存在しない人を勝手に思い浮かべているか、「クルマを批判している人=減速しない人」だと勝手に思い込んでいる可能性があります。
もしくは、そのような危険な運転をする自転車がたくさんいる特殊な地域で暮らしている方による反応ツイートかもしれません。

主張としては正しいものの、本当に存在するか分からない人間に対しての主張と考えられます。


「クルマに批判的な人」を批判している人たちの主張

①法律を持ち出して一方的に悪者を決めるより、お互いの思いやりが大切だ

「一方だけを悪者とする発信への批判」と「お互いに気を付けたらどうだという主張」です。

まず「一方だけを悪者とする発信への批判」について考えます。

クルマの危険運転を問題視している反応ツイートが多かったことから、このような姿勢を「一方的に悪者を決めている」と捉えていると考えられます。
先ほど確認したとおり、一方的に死傷リスクを発生させているクルマを問題視するのはおかしなことではなく、それは法的にも正しい主張である可能性が高いです。
この主張を批判するのは自由ですが、やめさせるほどの正当性はありません。

次に「お互いに気を付けたらどうだという主張」を考えます。

元ツイートでは、寄ってくるクルマに対して自転車が減速せざるを得ない状況が述べられています。
自転車が気を付けることで、寄ってくるクルマに早く気付いて減速が間に合う可能性が高くなるかもしれません。
しかし、どうしても反応が遅れる方など、自転車利用者の特性で減速が間に合わない場合には依然として自転車に死傷リスクがあります。
そのため、クルマが気を付けないことには(安全な追越しをしないことには)根本的な問題の解決には至りません。

つまり、今回の場面では、確かにクルマも自転車も気を付けていれば問題は発生しなかったかもしれませんが、クルマの注意だけでも改善できた問題であり、自転車に対して注意を促すのはあまり意味がありません。

このツイートは正当性のある主張を批判しつつ、元ツイートの問題を根本的に解決しない提案をしているツイートと考えられます。

②事故が起きて死ぬのは自転車だから減速しろ。違法性を訴えるのは意味が無い

自分の身を守るのが最優先。減速しろ。違法性を訴えても意味がない。という、クルマを批判する人に対する主張です。

「自分の身を守るのが最優先」というのは、ごもっともな主張です。
しかし、先に整理したとおり、自身が自転車の立場だった場合に減速しないと言っていた人はいませんでした。

そのため、「減速しろ」と主張するこの反応ツイートは、存在しない人を勝手に思い浮かべているか、「クルマを批判している人=減速しない人」だと勝手に思い込んでいる可能性があります。
もしくは、そのような危険な運転をする自転車がたくさんいる特殊な地域で暮らしている方による反応ツイートかもしれません。

つまり、この反応ツイートは、本当に存在するか分からない人間に対しての主張と考えられます。

なお、「違法性を訴える」については、クルマを批判している人はクルマの危険な運転を批判していて、その危険運転がたまたま法令違反の可能性が高かったという話です。
なので、クルマを批判している人からしたら「違法性を訴えても意味がない=危険な運転を批判しても意味がない」と捉え、「危険運転を批判することよりも自分の身を守ることを優先しろ」という主張と読めます。

現場の当事者(クルマに寄ってこられた自転車)であれば、命を守ることが大切なため、違法性云々と叫ぶ以前に減速が大事かと思います。
しかし、SNSにおいて第三者としてただ発信する場合にも、危険な運転を批判することよりも安全確保の行動を最優先に考える必要が必ずしもあるとは言えません。
ましてや、そのスタンスを他人に強制するのはおかしな話です。

③法律が何であれ車道はクルマ優先

車道はクルマが優先だから、自転車はクルマに譲ろう、という考え・主張です。
「法律ガー」と法律を持ち出している人を揶揄する表現を用いているため、クルマを批判している人に対する批判に分類しています。

個人が「車道はクルマが優先」と考える分には自由ですが、そのような社会的なルールはありません。
この考えを「法律ガー」を引き合いに出して示しているため、「法律なんか持ち出すよりもクルマを優先するべき」と主張しているとも解釈できます。

つまり、このツイートは、誰にも強制できない個人的なルールを主張していることになります。

④クルマが違法だからって自転車は無敵じゃない

自転車は「無敵」と思っているのか、というクルマを批判する人に対する批判です。

「無敵」の意味を考えます。

クルマを批判している人の中で「無敵」という言葉を使っている人はいませんでした。
クルマを批判している人はほとんどが「クルマは自転車に減速させる危険な追越しをするな」や「クルマは自転車が減速するのを期待して追越しをするな」といったように、クルマの危険性や落ち度を批判しています。
これを「自分は無敵だ」と叫んでいると捉えるのは無理があります。

では「無敵」とはどのような状態を指しているのでしょう。
「無敵」と聞くと、個人的にはマリオがスターを取って猪突猛進し、クリボーやノコノコを蹴散らしている姿を想像します。
今回のツイートの状況に当てはめると、クルマが寄ってきているにも関わらず自転車が減速しない、もしくは加速している様が想像できます。

いくらクルマによって一方的に発生させられた危険な状況だとしても、自転車が減速しようとせずに事故が起こるのは望ましくありません。
そのため、主張としては正しいかと思います。

しかし、既に整理したとおり、クルマを批判している人のほとんどが「危険回避のために減速せざるを得ない」と言っています。

つまり、この反応ツイートは、存在しない人を勝手に思い浮かべているか、「クルマを批判している人=減速しない人」だと勝手に思い込んでいる可能性があります。
もしくは、そのような危険な運転をする自転車がたくさんいる特殊な環境で暮らしている方による反応ツイートかもしれません。

主張としては正しいものの、本当に存在するか分からない人間に対しての主張と考えられます。

⑤後続のクルマに譲るのは法律で決まっている(嘘)

法律で決まっているんだから自転車はクルマに譲れ、というクルマを批判する人に向けた主張です。

冒頭で確認しましたが、自転車が後続のクルマに進路を譲る法的な義務はありません。
そのため、こちらは主張の内容は正しくなく、誤った法令解釈を主張しているため主張すること自体が望ましくありません


主な主張のまとめ

主張ごとの正当性・妥当性をまとめるとこうです。

「ツイート内のクルマ」に対する批判としては、法的にも正当性が認められる可能性の高いごもっともな主張が寄せられていました。

「ワールドサイクル」に対する批判としては、一部を除いて個人的に主張する分にはごもっともな主張が寄せられていました。
しかし、いずれも自転車販売店としての発言やスタンスのあり方を問うものであり、社会的に明確な答えはありません。

「世間一般の自転車」や「クルマに批判的な人」に対する批判としては、
・ツイートとは直接関係ない主張
・実在するか、実際に発生するか怪しい人・行動に対しての主張
・嘘の法解釈や勝手なマイルールを持ち出した主張
・根本的な解決に至らない主張
が寄せられていました。

このような主張の中身の正当性や元ツイートへの反応としての妥当性に欠ける主張が、認識の違いによる水掛け論の論争を生み、また、さらなる批判の的となり、炎上が拡大した要因となった可能性が考えられます。


炎上の問題を深掘りしてみる ~自転車の自衛と情報発信~

前章では炎上の構造や主な主張の内容を確認し、それぞれの主張の正当性や妥当性を考えてみました。
この中で「自転車販売店の発信・スタンスはどうあるべきか」については、社会的に明確な答えがありませんでした。
この点について深掘りしてみます。

今回の炎上では、自転車の危険回避のための減速という「自転車の自衛」が1番のトピックとなっています。
この自転車の自衛が関わる話題について、自転車販売店という発信力のある企業はどのような発信をするのが望ましいのでしょうか。

以下で具体例を交えながらその社会的な影響を考え、望ましいあり方を考えてみます。


自転車とクルマの行動を整理してみる

自転車の自衛の問題を考えるにあたって、自転車とクルマが取り得る行動を改めて整理してみましょう。
ここでは、ワールドサイクルの発言と同じ「クルマが自転車を追越しする場面」を考えてみます。

クルマが自転車を追越しする際、クルマの挙動と自転車の対応は以下が考えられます。

まず、クルマの挙動は「自転車に寄ってくるような危険な追越し」または「自転車との離隔を十分にとった安全な追越し」の2パターンです。

自転車に寄ってくるような危険な追越し」は、冒頭で整理したような自転車に減速を強いるような追越しです。
自転車の減速が間に合わない場合、クルマが自転車との離隔距離を見誤った場合などに事故のリスクがあります。

自転車との離隔を十分にとった安全な追越し」は、追越しが完了するまでに対向車が来ないことを確信した上ではじめて追越しを開始し、自転車とは十分な離隔を取るような追越しです。

既に整理したとおり、前者は法令違反の可能性が高く、後者は違反無しです。
元ツイートのクルマの挙動は前者にあたります。

次に、自転車の挙動は①追越し中の対応②(追越し前の)後続のクルマが追いついた際の対応③追越し以前の対応の3パターンに大別されます。

①追越し中の対応は、「加速する」「減速しない」「減速する・止まる」の3通りです。
②後続のクルマが追いついた際の対応は、追越しが発生する前から「左に寄る」「一時停止する」「歩道に上がる」の3通りを挙げています。
③追越し以前の対応は、クルマの追越しが発生しないように最初から「歩道を走る」「ルートを変える」「自転車に乗らない」の3通りを挙げています。

この中で、①追越し中の対応の「加速する」だけが自転車の法令違反の可能性があり、他の対応には車道において自転車の法令違反はありません。
(「歩道を走る」は場所によって違反の可能性があります)
(「減速しない」も安全運転義務違反?になるかもしれない、という情報を見かけましたが、ややこしそうなので上記とします)
また、表中の下の方の対応になるほど、自転車は減速・停止する頻度が多い、本来走りたいところを走れないなど、走行の円滑性が下がります。

これらの2通りのクルマの挙動と9通りの自転車の対応を組み合わせた死傷リスクのパターンはざっくり次のように考えられます。

クルマが自転車に寄る追越しをする場合、自転車ははじめから危険回避行動を取らない限りは死傷リスクが存在します。
一方、クルマが安全な追越しをする場合には、自転車が加速しない限りは自転車に死傷リスクは発生しません。


クルマのドライバーを分類してみる

クルマの2通りの挙動は、それぞれどのようなドライバーが取るのでしょうか。

クルマのドライバーは、

・危険な追越しが法令違反であることを知っているかどうか
・そのことを運転する際に意識していて、実際に危険な運転をしないように努めているか

で分けられると考えられます。
今回は大きく3つの層に分けてみました。

1つめの「悪意層」は、法律を知る知らないに関わらず守ろうとしない層です。
警察に見つからない・取り締まられないなら、他人から通報されないなら何をしても良いだろうと考えているような層です。
基本的には自転車と離隔を取って追越ししますが、道路幅が狭い、対向車が多い等の理由があればしょっちゅう自転車に寄るような追越しをします。

2つめの「無自覚層」は、法律を知らない人や法律を誤解している層です。
何となく危険な運転は良くないと思っているものの、具体的に自転車に減速をさせてはいけないことまで認識していないような層です。
また、クルマに追いつかれた自転車は譲って当然などと法律を誤解している層です。
こちらも基本的には自転車と離隔を取って追越ししますが、道路幅が狭い等の理由があれば悪気無く自転車に寄るような追越しをします。

3つめの「法令遵守層」は、法律を知っていて確実に守る層です。
自転車に減速を強いるような進路変更や追越しは法令違反であることを認識し、追越しが完了するまでに対向車が来ないことを確信した上で、自転車とは十分な離隔を取って追越しをするような層です。
安全が確認されるまでは追越しを始めないため、特段の事情が無い限りほぼ100%安全な追越しをします。


これら3種類のドライバーの割合はどのようになっているでしょうか。
主観ですしざっくりとしていますが、おそらく以下のような割合ではないかと思います。

「自転車に減速させてしまう追越しは良くない」と思っている人は多いと思います。
しかし、それが明確に法律違反であると認識して確実に守っている人はそこまで多くないのではないかと思います。

また、自転車に寄るような追越しをするようなドライバーが必ずしも悪意のある層かというと、そうでもないのではないかと思っています。
理由は単純で、ほとんどの人が警察に捕まったり、罰金を支払ったりすることを望んでおらず、法律なんて一切気にせずに行動するような人はほぼいないと考えられるためです。
日常的に自転車に寄る運転をしているような人であっても、なんとなく「これくらいまで自転車に寄ったとしても事故は起こらないだろう」という経験から来る感覚で運転をしていて、明確な悪意など無いドライバーがほとんどなのだろうと個人的には感じています。(タクシーに乗って運転手の様子を観察しているとよく思います)

このドライバーの割合をまとめると、道路上では基本的に「安全な追越し」が行われるものの、「自転車に寄る追越し」もまあまあ起こることとなります。

これらを踏まえて、さきほどの自転車の対応別の死傷リスクを見てみましょう。

クルマの追越し中に自転車が危険回避の対応をする場合、(「加速する」を除いて)死傷リスクが低~中程度の状態が「まあまあ発生する」こととなります。
また、後続のクルマが追いついた段階で自転車が対応する場合にも、死傷リスク低の状態が「まあまあ発生する」こととなります。


社会的に自転車に自衛を求めるとどうなるのか

発信力のある企業が自転車の自衛を発信する問題を考えるにあたっては、社会的に自転車に自衛を求めた際の問題点を考える必要があります。
以下で「社会的に自転車に自衛を求めた世界」という仮想の世界について考えてみましょう。

テレビやインターネットでは毎日のように「何かあったら死ぬのは自転車!自衛を心掛けましょう!」と呼びかけられ、多くの人が「自分の身は自分で守らなければいけない」と考えるようになりました。
自転車がクルマに追越しされる時は、自転車はすぐ減速して自衛するのが当たり前になっています。

そんなある日、「追越しの際に自転車に寄ってくるクルマ」が対向車との距離を見誤って急ブレーキをかけ、自転車と接触事故を起こしてしまいました。

クルマの過失による事故のため、自転車は被害者であると考えられます。
しかし、自転車ははじめから「そんなクルマがいるかもしれないから自衛しよう」と言われていました。
自転車に対して「自転車がクルマに接触されたのは、自転車の自衛が足りなかったからだ」や「もっと自衛していれば事故は防げたのに…」といった声が上がります。

連日の「自転車は自衛しよう」の合唱の中、この事故をきっかけに自転車はさらに安全を確保できる行動を取るようになります。

追越し中の減速・停止をしても危険であれば、そもそも追越しされる前に自衛行動を取る必要があります。
多くの自転車が、後続のクルマが追いついてきた段階で左に寄ったり一時停止したりするようになりました。

後ろからクルマが来る度に自転車は真っ直ぐ走り続けることが出来なくなりますが、そんなのは些細な問題。
何かあったら怪我するのは自分。
自分の命が1番大事。

こうして自転車の安全性は高まりました。

しかし、クルマと自転車が同じ通行空間にいる以上、接触のリスクは無くなりません。

ある日、自転車が後続のクルマに進路を譲ろうと一時停止したところ、クルマが自転車との離隔距離を見誤り接触事故を起こしてしまいました。

「危険なクルマに対して自転車は自衛しよう」と言われていた中で起きた事故。
そう、自転車は自衛が足りませんでした

「自転車は自衛しよう」の合唱の中、自転車はますます安全を確保できる行動を取るようになります。

接触されないためには、車道にいなければ良いのです。

後続のクルマが追いつくたびに、自転車は歩道に上がるようになりました。

交通量のある道路では思うように進めません。
いつもの2倍も3倍も時間をかけて走ります。
でも、自分の身は自分で守らなければいけないのです。

こうして自転車の事故は無くなりました。

と、思いきや、また事故が起こってしまいました。
自転車がいつものように歩道に上がろうとしていたところ、歩道の段差で転倒してしまい、後続のクルマに轢かれてしまいました。

もちろんお分かりですね?
自転車は自衛が足りませんでした

「自転車は自衛しよう」の合唱の中、自転車は究極の安全策に出ます。

最初から自転車で車道を走らなければ良いのです。

ほとんどの自転車が歩道を走るようになりました。

歩道が無い時は、遠回りして別のルートを走るようになりました。

歩道も代わりのルートも無い人は、自転車に乗ることを諦めました。

不便?
そうかもしれません。
でも、自分の身を守るためには必要なことなのです。

こうして車道から自転車はいなくなり、事故は無くなりましたとさ。
めでたしめでたし。


本当にめでたいんか?

考えてみましょう。


自転車に自衛を求める問題点

先ほどの世界で起こっていたことをまとめるとこうです。

自転車に自衛を求める風潮から自転車に対する自己責任論が起こり、自転車が安全な環境を求めて自衛し続けることとなりました。
その結果、自転車は歩道を走ったり、ルートを変えたり、最悪の場合、自転車に乗らない選択をするようになりました。
そして、車道から自転車がいなくなり、クルマは自転車のために減速することがなくなり、快適に走ることができるようになりました。
一方、自転車は何か違反をしているわけでもなく、ただ自分の身を守るために自身の走りやすさを犠牲にしているか、そもそも自転車に乗る選択肢を取らなくなっています。

この中で、問題点は主に3つあるのだろうと思います。

まず1つ目の問題は、有事の際の自己責任論とそれによって起こされる自衛強化の無限ループの構造です。
これは社会的に求められる自転車の自衛が、法律で定められない予防的な安全行動であるため、「どこまで自衛するべきか」のラインを誰も決めることができないことにより生じています。

この無限ループが自転車の歩道走行、迂回、選択肢からの除外などの過度な自衛に行きつくのですが、これによって歩行者事故の誘発やクルマの交通量の増加による渋滞の悪化などの新たな問題も引き起こします。
行政寄りの視点ですが、クルマ利用の増加によって環境、都市・交通、健康の問題も発生します。

2つ目の問題は、「何かあったら自転車が死ぬから」というクルマの加害性の大きさや自転車の立場の弱さを理由に、自転車の行動に制約が生まれている点です。

自衛のために自転車に乗るのを諦めるかどうか、という選択の過程を経てもなお、自転車を利用しているような方には、経済的な理由でクルマを所有できなかったり居住するエリアを選ぶことができなかったりした可能性も十分に考えられます。
このように結果的に物理的にも経済的にも立場の強い方が優先されているこの構図は、社会の在り方として正しいのでしょうか。

3つ目の問題は、自転車が配慮し、クルマが快適に走行できる環境が当たり前になることです。
これは、自転車の過度な自衛のローカルルール化や自転車を想定しないクルマの運転を引き起こします

このような環境で、過度な自衛をしない自転車が走行したり、自衛を必要としない地域・国からの来訪者が走行していたりした場合には、重大な事故のリスクが発生することになります。

明文化されていないルールを守らないと命の保障が無いような社会は、法治国家として正しい姿なのでしょうか。


このように、社会的に自転車に自衛を求めた場合には、ローカルルールを守らないと命の保障が無く、立場の弱さを理由に行動の制約が発生するような、あらゆる人が不自由なく安全に利用できる道路とは言えない環境を生み出す可能性が考えられます。
また、過度な自衛が新たな問題を引き起こすことも多分に考えられます。
さらに、自衛を求める過程で「どこまで自衛するべきか」といった答えの無い論争を引き起こし、クルマvs自転車のような交通モード間の対立も生みかねません。


と、空想の世界の話のように書きましたが、これは現実に起こっていることです。

都市部で駐車場の値段が高くクルマを所有・利用できない人が毎日の送り迎えに自転車を利用し、クルマ優先の構造の道路を遠回りして走行する。
自転車は歩道を走るのが当たり前、というドライバーの意識で危険なままの車道を避けるため、自転車が歩道を走って歩行者との事故が問題になる。
誰かが「自転車は後続のクルマに進路を譲るべき」という勝手なマイルールを主張したことでSNS上で不毛な論争が起こる…

これら全て、先ほどの「自転車に自衛を求めた世界」と同じことが起こっています。

もし、これらのようなことを当事者として経験したことのある方であれば、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットは感覚的に理解できるのではないかと思います。


自転車の自衛が必要無い環境を作るには

では、自転車に自衛を求める以外に、どうすれば自転車は安全に走れるようになるのでしょうか。

それは至ってシンプルで、クルマが危険な追越しをしなければ済む話だと思います。

そのためにはどうすれば良いか。
危険な追越しをしかねない「悪意層」と「無自覚層」を減らし、安全な追越しをする「法令遵守層」を増やす必要があるのではないでしょうか。

「無自覚層」は、そもそも法律を知らなかったり、誤解していたりする層です。
なので、自転車に寄ってくるような追越しが法令違反にあたること、日々の運転でそのような追越しをしていないか注意が必要なことを呼び掛けることで、自身の運転を見直し、安全運転を心がけるようになる可能性があります。
これらの呼びかけには、テレビなどのメディアや発信力のある組織による広報が期待できるでしょう。

「悪意層」は、法律を知っていても守らない層です。
この層にどれだけ法律を周知させても意味がありません。
ここで有効になるのは警察の取り締まりでしょう
罰金を科したり、違反点数を加点したりすると、ドライバー自身の生活にも影響が出るため、法律を守ろうとするようになります。
(今の法律や取締りの方針でどこまでできるか分かりませんが)

警察の取締りが強化されるようになるためには、安全を訴える市民やまちの事業者からの取締り強化の要望が有効です。

まとめるとこうです。

「悪意層」や「無自覚層」が「法令遵守層」に変わることで、クルマはほぼ必ず安全な追越しをするようになり、自転車に寄ってくるような危険な追越しはほぼ起こらないようになります。

すると、これまでまあまあ発生していた死傷リスク低~中の状態が、ほとんど死傷リスクが無い状態に変わり、自転車が安全、快適に走れるようになると考えられます。


このように自転車が安全・快適に走れる環境づくりを目指す中で、ワールドサイクルにはどのような役割が期待できるのでしょうか。

改めて「無自覚層」「悪意層」へのアプローチ方法を見てみましょう。

ワールドサイクルは1万人以上のフォロワーを抱えています。
フォロワーが自転車利用者に偏っていたとしても、そのフォロワーがワールドサイクルをリツイートすれば自転車利用者以外の目にも入ります。
十分、発信力のある組織と言えるでしょう。

また、ワールドサイクルは、自転車を販売する民間企業です。
一企業の力は限られているかもしれませんが、個人よりかはよっぽど行政・警察との関係を築きやすく、発言力があると考えられます。

そんなワールドサイクルが今回どのような発言をしたか、改めて振り返りましょう。

「危険な追越しのある環境って普通ですよね?」とも解釈できてしまうツイートは、危険な追越しの違法性を伝えられないどころか、よくあることであるかのような印象を与えかねません。

また、「自転車の自衛は当然(できない人間は普通ではない)」とも解釈できるため、自転車には自衛が求められて当たり前という風潮を生みだしかねません。
事実、元ツイートには「自転車は自分の身を自分で守るべき」という自衛を求める反応ツイートが多数寄せられています。

自転車が安全に走れる環境づくりを目指すうえで、今回のワールドサイクルの発言は百害あって一利なしと言わざるを得ないかな、と、個人的には思います。


とは言ってもね

って言われますよね。
今回の反応ツイートの中でもこのような意見が多数挙がっていました。

そりゃもちろん命が大事です。
クルマの行動はなかなか変わらないでしょう。

自分も自衛はしています。
子どもたちに対しても「交通量の多い道路は歩道を走ろう」とか「危ないと思ったら一旦止まろう」と自衛を促すことになると思います。

おそらく、こういう話なのでしょう。

法令違反を起こさないような注意喚起や啓発は絶対に必要です。
そして、道路が危険な環境であれば、予防的な安全行動も含めた自転車の自衛も必要です。

ただ、先に述べたように、社会的に自転車に自衛を強要すれば、自転車がまともに走れない道路環境を作り上げることに繋がりかねません。
また、どこまで自衛をするべきなのかといった答えの無い不毛な論争も引き起こします。
そのため、自衛は個人や集団・組織が各々判断して行うに留めて、不特定多数に向けて「自衛はするべき」とか「自衛できなければ普通じゃない」と強く発信したり強制したりするべきではないのだろうと思います。

特に不特定多数が閲覧する可能性のあるSNSの投稿では、このように自転車に対して自衛を強要するような発言をせず、クルマの安全運転(法令を遵守した運転)を呼び掛けるスタンスが、自転車が安全に走れる環境づくりを目指すうえで大切であり、望ましいのかな、と思います。

要は「社会的な影響を考えて対外的に発信しよう」という話だと思います。


ポイントは「自衛を求めるデメリットを考えているか」?

ここで、改めて元ツイートに寄せられた主張の傾向を見てみます。

元ツイートに否定的な反応ツイートは、基本的に自転車の減速の必要性についての主張はせず、ただ「せざるを得ない行動」とコメントしてクルマの危険運転やワールドサイクルの発信を批判していました。
これは先ほど整理した「自転車に自衛を求めるデメリットを考慮し、公の場では自転車に対して自衛を強要するような発言をせず、クルマの安全運転の呼び掛けに終始するスタンス」に一致するところがあります。
つまり、自転車が安全に走れる環境の実現を目指し、自転車に自衛を求めるデメリットを理解したうえで発信している可能性が考えられます

これに対して「自転車」や「クルマに批判的な人」を批判した人など、元ツイートに肯定的な反応ツイートは、クルマの危険運転の是非には触れず、自転車の減速を強要するような主張をしていました。
自転車の挙動のみが論点になっていることから、これらの主張をする人たちは、自転車に自衛を求めるデメリットについて考えが及んでいない可能性があります

つまり、この両者には自転車に自衛を求めた際のデメリットを考えているかどうかの違いがありその違いによって「(自転車の自衛には触れずに)クルマの安全運転についてのみ発信するか」「自転車の自衛の必要性を訴えるか」というSNSでの発信のスタンスの違いが生まれ、元ツイートに対する意見にも違いが生まれ、対立が生じた可能性があります。

また、自転車の自衛の必要性を訴える人たちの多くは「何かあったら死ぬのは自転車だから」を主張の理由に挙げています。
例え「自転車利用者って生身の人間だからケガしやすいよね~」という自転車を想った発言だったとしても、文字面では自転車の弱さを理由に自転車の行動に制約を設けようとしているのと変わりなく、先ほどの「自転車に自衛を求めた社会」を見事に体現してしまっています。
社会的に自転車に自衛を求めるデメリットを憂慮している人からすれば、そんなものは諸悪の根源そのもので、批判の声を上げるのは容易に考えられます。

自転車に自衛を求めた際のデメリットを考えているかどうかの違いが炎上を巻き起こしたのであれば、こういった要素が炎上を拡大させた可能性が考えられます。


実際にそんな指摘も出ていた

ここまで推測メインで書きましたが、社会的に自転車に自衛を求めるとデメリットが生じること、このデメリットを認識しているかどうかでスタンスの違いが生じているかもしれないことを指摘しているツイートがいくつか見られました。
元ツイートが投稿された時期に「自転車 自衛」などで検索すると、炎上を俯瞰して批評するツイートをいくつか確認できます。

この方は、ワールドサイクルが自転車販売店という立場で自転車に自衛を求めた発信をしたために批判されていると認識し、自転車に自衛を求める問題点について述べています。

この方は、自転車に自衛を求める問題点を挙げながら、ワールドサイクルに同調的な人が自転車の自衛を求めることについて「視野が狭い」と評価しています。

この方は、自転車(おそらくスポーツバイク)ユーザーや業界の多くが、クルマの危険な運転を咎める発信よりも、自転車に自衛を求める発信を優先している現状が交通環境改善が進まない原因と指摘しています。

この方は、普段の自衛行動と発信の内容は異なっていても良いのではないかという認識を述べながら、それらを同一に語ろうとしている人が多いことを指摘しています。


上記は基本的に元ツイートに否定的の人のツイートでした。
元ツイートに肯定的な人のツイートからも、「社会的に自転車に自衛を求めるデメリットを考えているかどうかでスタンスの違いが生まれている」可能性が確認できます。

例えば、元ツイートに否定的なこちらのツイートを見てみます。

このツイートは、自転車小売大手であるワールドサイクルが自転車に減速を強要しているとも読める発信をすることによって「どんどん謎マナーの強要が増え」、「自転車業界」が「縮小」するという指摘をしています。
先に整理した「自転車に自衛を求めるデメリット」を踏まえると、

発信力のある組織が自転車に自衛を求める発信をする
⇒自転車に自衛を求める風潮と有事の際の自転車への自己責任論が発生する
⇒自転車の自衛が過度なものに行きつく
⇒利便性を失った自転車ユーザーが自転車利用を諦める
⇒自転車の売れ行きが落ちる
⇒自転車業界が縮小する

と、補完して読めます。
(実際、どこまで深く考えてこのツイートが書かれたか分かりませんが)

このツイートに対する元ツイート肯定派の反応をいくつか見てみましょう。

この方は反応元のツイートの「発信力のある組織が自転車に自衛を求める発信をする⇒(中略)⇒自転車業界が縮小する」というストーリーを「法的にどちらが正しいのかという話」と表現しています。
反応元のツイートに違法性の確認の話は一切出ていないので、自衛を求めることを「謎マナーの強要」と表現したことに対してのみ反応しているのかもしれません。
何にせよ、この文面からは反応元のツイートのストーリーを正しく理解し、意図を汲めているようには読めません。

この方は反応元のツイートを「業界が委縮するとかクソみたいなポスト」と表現しています。
「クソみたいな」という表現から、元ツイートの内容や発信と「自転車業界が縮小する」という結果との繋がりに、一切の理解を示していない様子が窺えます。


さらには当事者の声も上がっています。
道路の危険性を理由に自転車に乗ることを諦めたという、過度な自衛を経験した方のコメントまで寄せられています。

「自転車に自衛を求める社会」の話は全然極端な例え話じゃなかったんだな、と思うと同時に、こんな小さな炎上でも当事者が出てくるって世の中にどれだけたくさんいるんだ…、と、悲しい気持ちになりました。
もしかするとサイレントマジョリティーなのかもしれない。


ちなみに、そもそも自転車の自衛が必要無い環境とは

と、ここまで、クルマと自転車が同じ空間にいる前提で話しましたが、そもそもクルマと自転車の空間が分けられていたらどうでしょう。

自転車道が整備された道路での追越しを考えてみましょう。

自転車道には路上駐車車両も含めてクルマが進入できません。
そのため、そもそも追越しが発生せず、自転車の死傷リスクは皆無です。

そんな自転車道が整備されるにはどうすればよいのでしょう。

自転車道を整備するのは国や自治体などの道路管理者です。
これらの行政は、市民や地元企業の声を聞いて政策を決定・実行します。
市民や地元企業からの要望の声によって、自転車道の整備を推し進めることができます。

ただ、現状、「自転車道」を知っている人や正しく理解している人は多くはないでしょう。
そのため、自転車道という種類の自転車通行空間が存在すること、自転車道があることでクルマも自転車も安全に走行できることが広く知られる必要があります。
そこで、テレビなどのメディアや発信力のある組織による広報が期待できます。

このように自転車が安全に走行できる道路の実現を目指す時、ワールドサイクルに期待できることは何でしょうか。

ここですよね。

繰り返しますが、ワールドサイクルは発信力のある組織であり、また、個人よりも行政・警察に対して発言力のある企業です。
安全な自転車通行空間に関する発信や自転車道整備の要望をできる立場にあります。

実際に、自転車専用の空間っていいよね、という発信をしたり、自転車通行空間の問題について行政に問い合わせている自転車関係の組織はたくさんあります。
(調べて1分でどちらも出てきました。)

「自転車レーン」でワールドサイクルの過去のツイートを検索してみると、2014年頃までは頻繁に自転車レーンについて言及していましたが、最近はほとんど言及されなくなっています。

自転車を安全に使える道路の在り方や、危険の元となるクルマへの啓発・注意喚起が無い中で、自転車に自衛を求めるどころか、交通弱者を普通でないと断言しているようにも解釈できてしまう発信をするワールドサイクルの姿勢は、正直、社会のためにはならないかな、と、個人的に思います。


なぜSNSで自衛を求める発信をするのか

仮説を立てて検証してみる

ここまで見たように、反応ツイートの中には「(自転車の自衛には触れず)クルマの安全運転についてのみ発信するスタンスの層」と「自転車の自衛の必要性を訴えるスタンスの層」がいて、両者間で対立が起こった可能性があることが分かりました。
この2つの立場は「社会的に自転車に自衛を求める問題を考えているかどうか」の違いによって生まれている可能性があることも示唆されました。

では、「自転車の自衛の必要性を訴えるスタンスの層」は、なぜ自転車に自衛を求めるデメリットを考えたスタンスを取らず、SNSで自衛を求める発信をするのでしょうか。
考えられる理由としては以下が挙げられます。

・自転車に自衛を求めるデメリットが分からない・理解できない
・自転車に自衛を求めるデメリットを軽視している
 (もしくは、それ以上に大切なものがあると考えている)
・そもそも自転車が安全に走行できる環境は不要であると考えている

各個人のスタンスの理由がどれであるかは、個人の思想を解き明かすような話になるため第三者が特定することは困難です。
ただ、これまでの考察を踏まえると以下の2つの仮説を立てられます。

仮説① ロードバイクに乗っているため、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットが理解できない
仮説② 自転車の危険運転を批判したい気持ちが先行し過ぎて、無条件に自転車を批判している

まずは仮説①「ロードバイクに乗っているため、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットが理解できない」を考えてみます。

自転車の自衛について考察した前の章で、「社会的に自転車に自衛を求めるデメリット」について「当事者として過度な自衛をした経験のある方であれば、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットは感覚的に理解できるのではないか」とコメントしました。
逆に言えば「過度な自衛をしない人」には、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットは理解しづらいのかもしれません

当事者として経験したことが無いと、このストーリーは絵空事に感じる?

この「過度な自衛をしない人」というのは、普段自転車に乗らない人や日常的に車道を走っている人、例えば、混在するクルマに恐怖を感じない人、そして、車道走行が基本のロードバイクを趣味とする人です。

ロードバイクを趣味にしていると、一般的な人に比べてクルマと混在して走行する機会が多いため、自然と危険運転をするクルマへの対処方法や危険予知行動が身に付き、自身の走りやすさをそこまで犠牲にせずに安全を確保する「高度で適度な自衛」を取れるようになります。
また、そもそもママチャリに比べて走行速度も速く、クルマとの速度差が少ないこともあり、比較的クルマに恐怖を感じにくいです。

そんな、高度で適度な自衛を理解して実行でき、一般的な人ほどクルマに恐怖を感じにくいロードバイク乗りに対して「社会的に自衛を求めると自転車に乗らない人が現れる」だとか説明したところで、そのストーリーも問題意識も全く理解できず、ただ妄言を吐いているとしか思われない可能性があります

例えば、とあるロードバイク乗りの人の反応ツイートでは、今回の炎上で「元ツイートが自動車の危険運転を容認している・助長する」といった指摘が出ている理由を理解できない旨の発言をしています。

そんな可能性が考えられるロードバイク乗りがどの程度いたのか、自転車の自衛の必要性を訴えるスタンスを取っていた「自転車」「クルマに批判的な人」に批判的な人に占める割合を見てみましょう。

※ロードバイク乗りの判定方法
①アイコン・ヘッダーが自身のロードバイクの写真
②プロフィールに愛車の名前を記載
③ロードバイクに乗っている旨のツイートを投稿

「世間一般の自転車」への批判は3割、「クルマに批判的な人」への批判は7割がロードバイク乗りによるものでした。

特に、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットを考えていた「クルマに批判的な人」への批判に占める割合が7割にも達することを考えると、やはり「ロードバイクに乗っているから、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットが理解できない(から、ただ自転車に自衛を求める主張をした)」というのは、ある程度確度のある推測かと思われます。


では、残りの「その他・不明」の人を対象に、仮説②「無条件に自転車を批判している」を確認してみます。

「世間一般の自転車」を批判している人は、危険運転をしている自転車、つまり、ツイートとは無関係な自転車を批判するような主張を展開していました。

このような人たちのツイートを見ると、常に自転車の危険運転を強く問題視している様子が窺え、場合によっては自転車に対して憎悪の念すら抱いています。

このことから、危険運転をする自転車に対する負の感情が強過ぎるせいで、違反行為をしていない自転車としている自転車の区別がつかなくなり、今回も一方的に死傷リスクを負わされただけの自転車を批判している可能性があります。

「自転車」「クルマに批判的な人」に批判的な人のうち、日常的に自転車の危険運転を批判している人の割合を見てみましょう。

※日常的に自転車の危険運転を批判している人の判定方法
①過去2か月以内に自転車の危険運転を批判している
②「チャリカス」という言葉を使った批判をしている

「世間一般の自転車」を批判している人は、4割が日常的に自転車の危険運転を批判している人でした。

そのうちの全員が自転車利用者を強く批判する「チャリカス」という言葉を日常的に用いていて、日頃から自転車に対して強い負の感情を抱いていることが分かります。

これらのアカウントの過去のツイートを見たところ、「自衛を求めるよりもクルマの安全運転の啓発の発信に重点を置くべき(自衛するなとは言っていない)」という主張を「自衛は不要である」と曲解している様子も確認できました。

今回の炎上で「世間一般の自転車」を批判した人の過去ツイート
リプライ元では自衛しなくても良いとは一言も言っていない

このことから、これらの人は自転車憎悪の感情が強すぎて、まともに状況を判断して適切な批判を展開できなくなっている可能性が考えられます




・・・と、思ったのですが、これらのツイートは歩行者に対する安全啓発に関してのやりとりなので、自転車は関係ありませんでした。
ということは、先ほどの仮説②「自転車の危険運転を批判したい気持ちが先行し過ぎて、無条件に自転車を批判している」は成り立たない可能性が出てきました。

「自衛は不要」と曲解したうえでの批判ツイートであるため、もしかすると批判の矛先は自転車ではなく「自衛を求めることに反対する人」である可能性が出てきました。

反応ツイートだけではサンプルが少ないため、分析に限界が見えてきました。
対象を広げて考察してみます。


対象を広げて考察してみる

新たにいくつかの条件に当てはまるツイートを収集し、「自転車の自衛の必要性を訴えるスタンスの人」の考えを考察してみます。

まず、「「自衛を求めることに反対する人」が批判の矛先になっている可能性があるなら、その人のレスバをを見れば良い!」ということで、自転車に自衛を求める発信に反対しているこちらのツイートを見てみます。

このツイートは、自転車利用者の命を守るための情報発信は「自転車側の危険回避行動を促すこと」ではなく「クルマの危険運転を咎めること・安全運転を呼び掛けること」だよね、と述べています。
危険な事象が起こった現場でどう対応するか、という話はしておらず、あくまで情報発信の最適な方法についてコメントしています

この文面だけだと情報が限られていますが、この方の過去ツイートを見ると、社会的に自転車に自衛を求めるデメリットを理解されたうえでの発信であることが分かります。
(つまり、記事内のここまでの内容と概ね同じ認識です)


また、この手の類のレスバは他の炎上でも盛んにおこなわれているようでした。
そのため、今回のワールドサイクル炎上からさらに対象を広げ、期間を指定せずに特定のワードでツイートを検索してみます。

今回の炎上で巻き起こったレスバでは「チャリカス」「道交法界隈」「自衛論者」といった言葉が飛び交っていました。
これらの言葉を用いているツイートを検索し、自衛を求める発信をする理由を表明しているものを収集します。


収集したツイートと主張の分類

これらのツイートを収集できました。

記載された考え・主張をもとに人力でクラスタリングしてみます。

あらゆる考え・主張が見られましたが、大きく
自転車の自衛の必要性の情報発信を重視する人
ただ『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』に批判的な人
の2種類の層を確認できました。

つまり、自転車の自衛をめぐって盛んにおこなわれていたレスバの構図は次のように表せます。

自転車の自衛の必要性の情報発信を重視する人
『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』に批判的な人
の動機・考えを探るべく、収集したツイートを分析してみます。


『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』の考え

まずは、自衛を求める人たちの批判の矛先となった『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』の考えを整理しておきます。

主張一つ一つを見ていくととんでもないボリュームになってしまうため、ざっとまとめます。

ここまでの分析や考察から、『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』が考える追越し時の安全の成立要件は次のように表せます。

まず、道路の利用者には通行・運転の技能が求められます。
クルマのドライバーであれば、運転免許が技能を有していることの証明となります。

その上で、交通ルール(法律)を正しく理解し、守ることで道路での安全が確保されます。
例えば道路交通法では、道路の通⾏⽅法などが事細かに規定されており、これらを守ることで安全に道路を利⽤することができます。

道路交通法は制定以来、実運⽤との不整合や時代の新たな要請に対応するため何度も改訂されていて、全ての⼈が法律を守ればほぼ事故は起こらないようになっています。

道路交通法の規定が細かいと言っても、法律で明記されていないような場面に出くわすこともあります。
そういった場面では、通行者の的確な判断と行動によって安全が確保されます。
例えば、狭い道でクルマ同士がすれ違う際は、通行の優先順位が定められていないため譲り合いが必要になったりします。
ただし、これはあくまで法律を守った上での判断と行動であり、法律で定められた通行方法に取って代わるものではありません。

このような日本の道路において、安全確保の脅威となるものは法律を正しく理解しない⼈・守らない⼈の存在です。
法律はこの脅威にも対応できており、違法な⾏為があった場合には罰⾦や懲役などの罰則が与えられることになっています。

なお、全ての⼈が法律を守れば「ほぼ」事故は起こらないと⾔ったのは、予⾒できない事象による事故や、法律を一切気にしない人の事故はどうしても防げないためです。

ここで言う予見できない事象とは、病歴や兆候の無い⼈の突然の発作、突発的な災害など、何をどうしても防ぐことのできない事象のことです。
また、法律を一切気にしない人というのは、単に普段の運転で法律を意識しないような人ではなく、法律を守らなかった際に罰則(罰金、懲役刑、免許失効)が科されることすら気にしないような人のことです。

これらによる事故の確率は限りなくゼロに近く、特に今回の単路部での単純な追越しの場面では考えなくても良いかと思います。


では、そんな社会で社会的に⾃衛を求めるようになった場合にどうなるか。
すでにまとめたとおり、⾃衛をしないと安全を確保できない環境、つまり、自衛が無いと成立しないピラミッドとなってしまいます。

⾃衛は任意の危険回避⾏動であり、社会的に求めることでその要求レベルはどんどん⾼まり、自転車利用の制約は厳しくなります。
それとともに、クルマが自転車に配慮する機会が無い状況が当たり前になることで、交通ルールの理解・遵守や現場での的確な判断が求められる領域(オレンジ・黄色・緑)が削られていきます。

そして、取るべき⾃衛の程度は⼈によって判断が異なります。
そのような環境において、ある⼈が⼤丈夫だろうと思った⾏動でも、事故が発生してしまう可能性があります。


『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』は、交通安全の成立要件や自衛のデメリットをこのように認識したうえで、次のように主張していました。

まず、法律を守らずに自転車にとって危険な運転をしたクルマに対して批判しています。

また、自衛のデメリットを考慮し、拡散性・可視性といった特性のあるSNSにおいて、ワールドサイクルのような発信力のある組織が自転車に自衛を求めることに反対しています。

自衛のデメリットを考慮しているため、自転車が自衛をすべきかどうかについては基本的に触れていません。


「⾃衛の必要性の情報発信を重視する⼈」の考え

では、『社会的に⾃転⾞に⾃衛を求めることに反対する⼈』に対して批判・否定の主張をする「⾃衛の必要性の情報発信を重視する⼈」の考えを整理します。

クラスタリングしたツイートから主張の内容をまとめたところ、そもそも交通安全の成⽴要件についての現状認識が異なっていることが分かりました。

具体的には、
・そもそも交通ルール(法律)は不完全である(最初からピラミッドが成立していない)
・交通ルールを守ろうとも危険源は必ず存在する(ピラミッド外に安全の脅威がある)
といった、交通ルールを守るだけでは安全は確保されないという認識が確認されました。

このような現状認識にもとづき、安全を確保する⽅法として次のように主張しています。

まず、交通ルールの不備によって空いている穴を「思いやり」や「自衛」で埋めています。
そして、ピラミッド外にある危険源に対して、別途「自衛」することで対応しています。

そもそも思いやりや自衛が無いことには安全が確保できないのだから、そのことを発信すべきだろう」というのが、「⾃衛の必要性の情報発信を重視する⼈」の平均的な考えとなっていました。

この考えを、先ほどまとめた『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』の考えと比較しながら見てみましょう。

まず、交通ルールの理解・遵守の領域(オレンジと黄色)に大きな違いがあります。
今回話題に上がった追越しの場面における交通ルールの不備は考えにくく、「交通ルールは不完全である」とする人も漠然とした意見しか述べていませんでした。
そのため「⾃衛の必要性の情報発信を重視する⼈」は、追越しに関する法律を正しく理解していない可能性があります。

そのような認識もあってか、「⾃衛の必要性の情報発信を重視する⼈」は交通ルールと同じかそれ以上に思いやりの大切さを主張しています。
また、交通ルールの不備を埋め合わせる方法として、全く別の場面で交通ルールが守られた上で取られる行動(緑の領域)を例示していることもありました。
このことから、法的な拘束力を持つ交通ルールの意義を理解せず、また、交通ルールと任意の危険回避行動の区別も付いていない可能性が窺えます。

また、安全を脅かす要因として「交通ルールで対応できない危険源」の存在を訴え、交通ルールを守っても安全にはならないと強く主張しています。
これらの主張では、法令違反をする人のボリューム層と考えられる「無自覚層(法律を知らない人・誤解している人)」についてほとんど言及しておらず、安全運転の呼びかけや取締りの有効性がほとんど無視されています。


このように考えられる認識を持ったうえで、今回の炎上では次のように主張していました。

先ほど整理したとおり、
・自衛・思いやり・ルールの混同
・法律の意義・内容の誤った理解
・安全運転の呼びかけや取締りの軽視
が、「⾃衛の必要性の情報発信を重視する⼈」の主張のバックグラウンドにあると推察されます。

さらに、
・論点の混同(SNSでの情報発信方法を述べている人に対し、執拗に現場での危険回避方法の話をする)
・SNSの可視性・拡散性の無理解(不特定多数が閲覧できる場であることを十分に認識していない)
があることも、ツイートの主張から推察されます。

これらの認識や考えによって、自衛を求める発信に至っているのではないかと思われます。


「『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』に批判的な人」の考え

続いて「『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』に批判的な人」の考えを整理してみます。

この層のツイートは、基本的に「『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』が憎い」という感情だけでつぶやかれているのがほとんどで、交通安全はどのように達成されるべきかとか、道路交通がどうあるべきかといった具体的な考えや提案は見られませんでした。
なので、『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』に対する主張だけをまとめます。

『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』について、

・「どんな事故も全てクルマが悪いため、自転車は自衛をしなくても良い」と主張している
・この主張は「単に面倒くさいから自衛したくない」「クルマが憎くて批判したい(そのために法律を利用してやる)」といった自分本位な動機によるもの
・この主張によって自衛しない自転車が増え、社会に悪影響をもたらす
・自分本位で社会に悪影響を及ぼしているにも関わらず、ちゃっかり自分は自衛をしている

と、誤解をしています。

そして、この誤解にもとづいて、『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』を無責任で自分勝手な人間であると断定して批判を繰り広げていました。

また、簡単に人を殺傷できるクルマの特性ゆえに免許制や厳しい取締りが取り入れられていることを理解せず、「クルマばかり負担や責任を負わされている」と被害者意識を持っていることも、批判を加速させる一因となっているようでした。

さらに、ただ自身が運転免許を維持したいがために自転車の存在を邪魔者扱いする自分本位な考えも見られました。

これらの認識や考えによって、自衛を求める発信に至っているのではないかと思われます。


こうして人は、自衛を求める発信をするようになる

ここまでの考察をざっとまとめると次のようになります。

人の考えはグラデーションなので、タイプ別に書かれた特徴を全て備えているわけではないのですが、概ねこんな感じなのかなと思います。
どのタイプも何かしら視点が欠けている印象です。


では、『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』の考え・主張は完璧なのか

SNSで⾃衛を求める発信をする⼈には、『社会的に⾃転⾞に⾃衛を求めることに反対する⼈』とは異なる交通安全に対する認識や憎しみの感情があること、また、それらにはいくつか誤った認識や欠けている視点があることが分かりました。
では、それらを直せば今回のような炎上は発生しなくなるかというと、必ずしもそうではないのだろうと思っています。

というのも、私は『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』と同様の考えを持っていますが、自身の主張に対して「この点については必ずしもそうとは言えないかな」と思うことや「この点については反対の立場を取る人が出てもおかしくないかな」と思うことがいくつかあるためです。

『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』の考えのベースとなっている交通安全の成立要件を示すピラミッド図をもとに、それらを整理してみます。

交通ルールの遵守を徹底してもなお起こりうる事故は、予見できない災害の発生や病気の発作に伴う事故などで、発生確率が極めて低い事象であると言いました。
しかし、ひとたびそのような事故が発生し、歩行者がクルマに轢かれるようなことがあれば、死者が出る可能性は十分にありえます。

このような「発生確率は極めて低いもののその影響が甚大である事象」に対して感じるリスクの程度は人それぞれであるため、どうしても会話が噛み合わないのかな、と思っています。

例えば、飛行機はほぼ墜落しませんが、万が一墜落した場合に命が助かる可能性は限りなくゼロです。
このリスクを理由に飛行機を使わない人もいれば、全く気にせず飛行機に乗る人もいるなど、人によって感じるリスクと取る行動は大きく異なります。

道路交通に関して言えば、「交通ルールの遵守を徹底してもなお起こりうる事故」の話題が出ただけで、そのリスクの大きさを恐れ、リスクを回避する方法以外のことは考えられなくなる人がいるのかもしれません
そんな人に対して「SNSでの発信は社会的に悪影響が〜」と言ったところで、そんなことを考える余裕は無く、「まずはリスク回避の方法として自分がどうするかを話せ!!」と一生平行線の会話になってしまうのかな、と思います。


また、そもそもの話、「交通ルールの遵守を徹底してもなお起こりうる事故」が稀な事象であると言い切れるのか、という点も絶対の自信を持って言えないな、と思っています。

例えば、高齢者人口が年々増加する中、高齢者のクルマの操作ミスによる交通事故の発生を頻繁に聞くようになりました。
ほぼ民間任せの宅地開発や商業施設の出店によって公共交通だけで生活をしづらい住居の数は増え続け、その埋め合わせをするかのように高齢者の免許更新の基準は甘く、運転技能が不足した高齢者による事故リスクは今後も増加し続けると考えて良いかと思います。

十分な運転能力を有さないのは、高齢者に限らず全ての年代に当てはまるとも思っています。

「金さえ払えば免許を取得できる時代になった」と言われるように免許取得のハードルは低く、大した試験もなく更新ができるため、必ずしも運転免許が交通ルールを理解している証明になっていない現状があると考えています。
事実、Twitterで大声で誤った法令解釈を叫んでいたり、違法改造の様子を嬉々として報告しているような人でも運転免許を取得できています。

このような、法律を正しく理解して守ることができない層には、安全運転の呼びかけによる効果は十分に期待できない問題があります。


最後に、炎上が起こりやすい要因の一つとして、社会的に自衛を求めるデメリットについて共通認識を持ちづらい点があるのではないかと思っています。
既に述べたように、社会的に自衛を求めるデメリットは当事者でないと直感的に理解しづらいと思います。
デメリットを理解している人と理解していない人の会話では、理解していない人に対してそのストーリーを伝えて共通認識を図らないことには会話が成り立ちません。
しかし、140文字制限の短文型のSNSで、毎回自衛のデメリットを懇切丁寧に説明するのは無理がありますし、たとえ説明したとしても文字だけで伝わるかどうかも怪しいです。

一時期、自転車の自衛が話題になっている炎上に積極的に首を突っ込んでいましたが、「SNSで自転車に自衛を求めた方が良い」と主張する人に対して、この記事に載せている「社会的に自衛を求めるデメリットの図」を提示したところ、「そんな視点もあるのですね」とコメントをいただいて有意義に会話ができました。
が、たかがSNSの会話のためにわざわざ画像を作る人間はよっぽどの暇人か異常者です。

このようなSNSでのコミュニケーションの制約ゆえの問題もあるのかな、と思っています。


埋められない溝があるなあ

「自転車の自衛の必要性を訴えるスタンス」を取るのには様々な要因があることが推察されました。
この中で特に根深い問題だと思ったことが2つあります。

1つは、「発生は稀だけれど被害が甚大な事象」に対するリスク認識とその対応方法が人によって大きく異なる点です。

交通ルールで対応できない危険源について、「自衛の必要性の情報発信を重視する人」はそのリスクをとてつもなく大きいものと認識し、現場で対応する方法しか考えられなくなっているのではないか、と推察しました。

正直な話、そのような人に対しては、財務状況がピンチで目先の利益だけの経営判断をして結果的に火の車の状態が続いている企業を見ているような、内政状況が悪く短期的なメリットだけで他国と契約や協定を結んで資源や土地を食い物にされている新興国を見ているような、そんなもどかしさを感じてしまいます。

しかし、個人のリスク評価やキャパシティはその人の個性や人格に関わるものですし、もしかするとそのような考えに至るまでに過去に辛い経験をされている可能性もあります。
なので、そう簡単に否定できるものではありません。


根深い問題のもう1つは、「自衛の必要性の情報発信を重視する人」の主張の動機に憎しみの感情がありそうな点です。

人間がマイナスな感情に溢れている時は、他人の言っていることを正しく理解できません。
ただ憎しみの感情を抱いている相手に対して、顔色を窺ったり第三者の発言が耳に入ったりすることなく、指を動かすだけで返事ができるSNSにおいてはその傾向は顕著だと思います。

実際、この記事を書くために情報を集めている際、煽りを交えながら私の考えと大きく異なる主張をするツイートを見た時は「何て悪意に満ち溢れたツイートなんだ」と憤怒していました。
それでもその人の過去ツイートをじっくり眺めるうちに、その考えに至った経緯や指摘の背景にある問題に気付くことがあり「まあ、そんな意見もあるかな」と冷静になることもありました。

ただ、SNSなんて頭を空っぽにしてやるものなので、他人の発言を本気で理解しにかかれだなんて言うものでもありません。

結局、SNSはしょうもない下ネタで盛り上がるのが1番平和な使い方なのかなあ。


まとめ(自分なりの結論)

分析・考察の結果まとめ

ここまでの分析、考察の結果を3行ずつくらいでまとめます。

■元ツイートの内容

ワールドサイクルは「追越し」の場面について述べています。
「追越し」は話題の範囲外のため、自転車に追いついた後続のクルマに進路を譲るような話もツイートの内容から外れます。

また、ワールドサイクルのツイート内でクルマは自転車に減速を強いるような危険な追越しをしていると考えられます。
これは法令違反に当たる可能性が高いです。

最後の「普通ですよね?」というワールドサイクルの問いかけの対象や意味するところは不明確です。

■反応ツイートの全体的な傾向

ワールドサイクルの発信に対して反応した人は、肯定寄りの意見の人と否定寄りの意見の人に分かれました。

否定寄りの人は「クルマの危険な追越しと自転車(ママチャリ含む)の減速」の両方に言及し、自転車に減速を強いるようなクルマやワールドサイクルの発信を批判しています。
一方、肯定寄りの人は、概ね「自転車(ロードバイク)の減速」についてのみ言及し、自転車に減速を強いるような主張をしています。

この主張の違いが生まれるのは、肯定寄りの人の一部が話題の対象を「追越し前」にまで広げているのが原因の1つと考えられます。
また、ワールドサイクルの「普通ですよね?」という呼びかけが対象とするものが曖昧であるために、認識の違いが生じていることも原因と考えられます。

■自転車に自衛を求める問題点

社会的に自転車に自衛を求めた場合、自転車に対する自己責任論と自転車のさらなる自衛の無限ループから、自転車が過度な自衛に行きつく可能性があります。(現にそうなっています)

自転車の過度な自衛が当たり前になると、ローカルルールを守らないと命の保障が無く、立場の弱さを理由に行動の制約が発生するのが当たり前の、社会として望ましくない環境を生み出す可能性があります。
また、自転車の過度な自衛によって、自転車と歩行者との事故やクルマの渋滞の悪化などの新たな問題が発生することも多分に考えられます。

さらに、自衛を求める過程で「どこまで自衛するべきか」といった答えの無い論争を引き起こし、クルマvs自転車のような交通モード間の対立も生みかねません。

■自転車の安全を確保するために

社会的に自転車に自衛を求めるデメリットを考えると、不特定多数に向けて「自衛はするべき」とか「自衛できなければ普通じゃない」と強く発信したり強制したりするのは悪手です。

そのため、不特定多数が閲覧する可能性のあるSNSの投稿では、自転車に対して自衛を強要するような発言をせず、個人や集団・組織が各々判断して行うに留めるのが望ましいと考えられます。

そして、自衛について触れない代わりにクルマの安全運転(法令を遵守した運転)を呼び掛けるのが、自転車が安全に走れる環境づくりを目指すうえで大切であり、望ましいスタンスであると考えられます。

■自転車が安全・快適に走行できる環境の実現に向け、ワールドサイクルに期待できる役割

自転車が安全・快適に走行できる環境を作るためには、危険な追越しをしてはいけないという法律をクルマが確実に守る必要があります。

そのためには、そのような法律を知らない人や意識していない人、守らない人に対する法令遵守の呼びかけや取締りの強化が望まれます。

ワールドサイクルは自転車を販売する民間企業として、また、フォロワーを1万人以上抱える発信力のあるアカウントとして、不特定多数への法令遵守の発信や警察への取締り強化の要望を行うことが期待されます。

■主な反応ツイートの主張

元ツイートに寄せられた反応ツイートの中では、「ワールドサイクル」「ツイート内のクルマ」「クルマに批判的な人」「世間一般の自転車」の4つに対する批判・否定が多く確認されました。

「ツイート内のクルマ」に対する批判は、概ね法的にも正当性が認められるごもっともな主張が寄せられていました。

「ワールドサイクル」に対する批判は、安全で快適な自転車利用環境の実現に向けてワールドサイクルに期待される役割を考えると、概ねごもっともな意見が寄せられていました。

一方、「自転車」や「クルマに批判的な人」に対しては、ツイートとは直接関係ない主張や嘘の法解釈・勝手なマイルールを持ち出した主張などが寄せられていました。
これらの主張が、認識の違いによる水掛け論の論争を生み、また、さらなる批判の的となり、炎上拡大の要因となった可能性が考えられます。

■意見・主張別のスタンスと背景

「⾃転⾞」や「クルマに批判的な⼈」に批判的な人は、「ワールドサイクルに肯定寄りの人」に分類されました。
一方、「ツイート内のクルマ」や「ワールドサイクル」に批判的な人は、「ワールドサイクルに否定寄りの人」に分類されました。

後者の「ワールドサイクルに否定寄りの人」の意見・主張は、社会的に自衛を求めるデメリットを考慮して『クルマの安全運転についてのみ発信するスタンス』と一致し、実際に自衛のデメリットを訴えるツイートも確認されました。

このことから、社会的に自衛を求めるデメリットを考慮しているかどうかで、意見・主張違いが生まれたものと考えられます。

◾️自衛の必要性を訴えるスタンスを取る理由

「ツイート内のクルマ」や「ワールドサイクル」に批判的な人、「ワールドサイクルに否定寄りの人」が自衛の必要性を訴えるスタンスを取る理由は、主に3つに分類できました。

「ストロングタイプ」は、普段から高度な自衛をしているロードバイクを趣味とする人たちで、高度な自衛を取れない人(子どもを乗せて安定して走れない親や高齢者など)についての理解が無いようでした。

「自衛の情報発信が大事タイプ」は、交通ルールの不備を自衛でカバーする必要があると主張しており、法律の意義や内容、交通ルールと思いやりの違い、社会的に自衛を求めるデメリット等を理解できていないようでした。
また、交通事故に対してとてつもなく大きなリスクを感じているためか、現場での対応方法以外の議論ができない様子もみられました。

「憎しみだけが原動力タイプ」は、『社会的に自転車に自衛を求めることに反対する人』の発言や考えを誤解・拡大解釈したうえで強い憎しみの感情を抱き、批判的な主張をしていました。
また、クルマの特性の無理解や免許を維持したい自分本位な考えから、批判を展開している様子もみられました。


炎上の要因まとめ

ここまでの内容を炎上の要因に絞ってまとめると次のようになります。

まず、ワールドサイクルの発信内容そのものやスタンスによって、多くの批判が寄せられることとなっています

加えて「ワールドサイクルに肯定寄りの人」や「『クルマに批判的な人』や『世間一般の自転車』に批判的な人」の元ツイートの拡大解釈や法律の誤解、自転車に自衛を求めるスタンスなど、ワールドサイクルに同調的な反応ツイートの主張内容がさらなる批判の応酬に繋がったと考えられます

これらは主に、ワールドサイクルの発信内容が曖昧であること、自転車に自衛を求める発信をするべきかどうかについて考えの違いがあることに端を発したものであると考えられます

特に後者(自転車に自衛を求める発信をするべきかどうかについて考えの違いがあること)については、社会的に自転車に自衛を求めた際の問題を考えているかどうかが影響している可能性があることが複数のツイートから示唆されました。

中でもワールドサイクルに肯定寄りの人は、社会的に自転車に自衛を求めた際の問題を考えていないようなスタンスを取っており、法ひてい律の誤解や他者の発言の思い込み、視点の不足が多数確認されました。


感想

ここまで様々な集計・分析・考察をして、ようやく炎上の構造や要因がぼんやり分かってきました。
社会の解像度が若干上がったね。やったね。

パッと見で、ただ自転車に自衛を求めているような人にも様々な考えがあり、(ただ自転車を憎んでいる人を除いて)自分なりの正義を信じて発言しているんだなあと思いました。
そら世の中から対立は無くならないね。

あと、炎上の一端を見て瞬時にこれらを判断して指摘している人をたまに見かけますが、ものすごく頭のキレる人なんだなあ、とも思いました。
自分も頭良くなりたい。


それにしても、社会的に自衛を求める問題を考えない層に対して思うのが、SNSでの発信の影響力ってもっと考えないものなのかな、ということ。

社会的な影響や自身の立場を踏まえて取るべきスタンスを考えて、どれだけ事実だとしても対外的に発信する内容は少しカモフラージュしたり部分的な発信に留めたりするのって、当たり前に身につくことだと思うんですけどね。
組織の中で働いて「本音と建前」の重要さを肌で感じたり、学生時代をインターネットとともに過ごして常に炎上を意識してSNSを使っていたりしたら尚更だと思います。

ただ、正直、個人のスタンスとしては誰からも強制されるものではないので、個人アカウントが自衛を強要するような主張をするのは、まあ、しょうがないかな、と思います。
しかし、個人よりも影響力があって社会的な信頼も重要になり、また、安全な自転車利用環境の実現を促す役割も期待されるようなワールドサイクルが、社会的な悪影響を考えていないような発信をするのは個人的にはとても不思議です。
これ以上自転車を売りたくないのかな。


余談① ワールドサイクルに思うこと

結局、ワールドサイクルは何を言いたかったのか

後から見てみたら、ワールドサイクルに同調的なリプライに対してワールドサイクルの反応がありました。
(ちなみに、批判的なリプライには一切反応していませんでした。)

「自己防衛の当たり前のこと」
「ね~」

あー

やっぱり「追越し中のクルマが寄ってきた時の危険回避行動」の話をしてたんだ。
そんな猿でも当たり前にやることを言ってただけなんだ。

自由な企業アカウントの使い方だなあ。


誰か「本能的にそうしてる」
ワーサイ「はい」

やっぱり「追越し中のクルマの危険運転に対する回避行動」の話なんだ。

ワーサイ「お互い様って、挨拶出来たら良いですね」

……ん?お互い様?

クルマが追越し中に、一方的に自転車に死傷リスクを負わせている場面を話してたんだけど…
逆に自転車がクルマのドライバーを死傷させるような場面なんてある……?
「お互い」様…って何?

ワーサイ「速度差が大きい場合は、どんどん車が先に行ってもらったらいい

え………??

いつから「追越しから後続のクルマに進路を譲る」話になったの…?
「追越しの危険運転に対する回避行動」の話してたんじゃないの……??


誰か「危険回避のためにする行動としては普通」
ワーサイ「はい」

あれ??
やっぱり「追越しのクルマの危険運転に対する回避行動」の話をしてるの???

誰か「車側の心理も分かった上での」

んんん???
「追越し中にクルマが近づいてきて接触しそうになってる」時にクルマのドライバーの心理を考える余裕ある???
もしかして「追越しから後続のクルマに進路を譲る」話してるの?????


誰か「危険な状況における回避方法に触れてるだけ」
ワーサイ「はい」

ん〜やっぱり「追越しのクルマの危険運転に対する回避行動」の話か。
邪推してた。

誰か「的確な後方確認」

は??????????
「追越しから後続のクルマに進路を譲る」話してるの?????????




もう言ってることめちゃくちゃじゃ〜〜ん



資料の中身が曖昧な表現だらけで上司や教授から質問され続けて、その回答もチグハグで、よくよく整理したら複数の状況を区別できていなくて、さらに関係無い事実と主張を無理やり結び付けていた、みたいな。

使えそうなネタだけを持ち出して(無意識に)都合の良い解釈をして、自身の主張の正当性をアピールする、みたいな。

他人からどれだけ指摘されても「この人は何も分かっていない」と決め付けて全く聞く耳を持たない、みたいな。

そんな、ゼミをかき乱して教授や他の学生を困らせるような学生や、日々上司を悩ませるような若手社員の姿が思い浮かびました。

担当者さんはまだこれから教育を受けるような方なのかな。
然るべき人に教えてもらえると良いな。

あと、教育担当者はちゃんと仕事して。

ただ、何にせよ、自転車販売店の立場で「人(クルマのドライバー)の行動は変えられない」と認識しているのは、いくら新人さんでも悲しい話だなあと思います。

じゃあ誰が変えるの。
もしかしてずっと変わらないの?
信号の無い横断歩道でクルマが止まるようになってきたのも、気のせいなの?
啓発や取締りの強化で変わってきたんじゃないの?


なぜ、ワールドサイクルはそんな発信ができるのか

で、ふと、なぜ組織の看板を背負ったアカウントなのにこんな発信ができてしまうのだろうかと気になりました。

そもそもワールドサイクルってどんな組織なのかと販売ページを確認してみたところ、このように記載されていました。

「有限会社ワールドサイクル(運営統括責任者 松本孝)」

有限会社、なるほど。
よく聞くけど詳しく知らん。
株式会社とは何が違うんだろ。

調べてみました。

どうやら有限会社は、株式会社より社会的な信用度が低いらしい。
逆に言うと、社会的な信用をそこまで気にせずに仕事ができる、のかな。

一般的な企業であれば、儲けることだけを考えて社会的な影響を顧みない行動をすると、株主や顧客に釘を刺されます。
有限会社で、かつ、顧客層が幅広いネット通販事業がメインだと、そんなことは気にしなくても良いみたいです。

のびのびしてるなあ。

と、思ったところでもう一つ情報が目に入りました。


「所在地 大阪府泉大津市」

大阪か~

以前、「大阪の自転車利用マナーはやばい」という記事を書きました。

この記事では、大阪市内の自転車の利用マナーと道路構造にフォーカスして実際に自転車の交通状況を調査し、その劣悪さと要因について考察しています。
しかし、他にもう一つ、大阪の道路事情で特筆すべきことがあります。
それは、クルマの危険運転の多さです。

大阪市内に住んでいた時、何も違反をしていない自転車に対して執拗にクラクションを鳴らすクルマや、自転車に急減速を強いるような幅寄せをするクルマを日常的に見かけました。
他府県では考えられないと思いますが、2024年にもなって横断歩道を渡っている歩行者にクラクションを鳴らしてその足を止め、横断歩道を突っ切るクルマもよく見ました。

私は学生時代に全国各地を自転車でふらふらしていて、歩行者・自転車の存在を想定していない荒い運転をするクルマを頻繁に見かけました。
しかし、このような歩行者・自転車にあえて危害を与えるような運転をするクルマは大阪以外では見たことがありません。

もしかすると、泉大津市近辺もこのような危険運転をするクルマで溢れかえり、自転車販売店ですらその改善を望めず、自転車販売店にも関わらず自転車に自衛を求めることを優先するスタンスになってしまったのかもしれません。
うーん、悲しい。

本当にそんな指摘もありました。
堺、泉大津の環境はよっぽどらしい。
というか、自衛しても意味無いくらいらしい。

他所のエリアの道路環境にケチを付けたり、こうあるべきだとか主張する気は無いのですが、自身の住むエリアの劣悪な道路環境で成り立つマイルールを他所のエリアに住む人に対して啓発するのは、正直かなり迷惑だと思いました。
というか、今すぐやめてほしいなあ。


そもそもの話、あほらしくない?

自転車道が整備されていれば、自衛の必要無く安全・快適に自転車を利用できると書きました。
海外の先進国の一部では、街の至る所で自転車道が整備されていて、実際にクルマと自転車が別々の空間を安全に、そして快適に走行しています。
そこでは、クルマと自転車の混在の問題とは無縁な世界が実現しつつあります。

一方、日本で、まだ車道を走行しなければいけない自転車を槍玉に挙げて、やれ思いやれだの自衛しろだのとレベルの低い話題で内輪揉めしているのって、本当に馬鹿みたいですよね。

目指すべきところって、自転車が自衛をするべきかという論争に決着を付けることではなく、海外で整備されているような誰もが安全に自転車を利用できる道路環境を実現することですよね。

ワールドサイクルという企業が海外事情を知りながら、国内のこのような内輪揉めの発生に加担している状況を、誰もがもう少し冷静に捉えて考えられると良いなあ、と、思いました。


余談② ChatGPTに聞いてみた

脳内お花畑の持論を展開していたかもしれないので、念のため第三者に聞いてみました。







「自転車利用者の安全を確保するためには不適切な内容」で「再考すべき」だそうです。

再考する日が来ると良いですね。


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