疑うほど窮屈になる
人は怪しい、嘘をついている、など
その人の本当の事を察して見抜こうとする。
本日、職場で聞いた話があった。
以前スタッフの1人が【マイコプラズマ肺炎】で
仕事を1~2週間休んだらしい。
職場には復帰後、医師の診断書まで持ってきていた。
しかし一部では、以前にも同じようなことがあったから本当かどうか…。
と疑う人たちがいることが分かった。
これに似たようなケースってどこの世界にもあるんじゃないでしょうか?
これに関しては少なくとも僕はこう思う。
本人が言ってることが全て本当かどうかは分からない。
でも彼が嘘をついてる確証はどこにもない。
なら彼が言ってることを信じてあげませんか?
この話が本当だったら、
彼はマイコプラズマ肺炎という大変辛い思いをしてたわけです。
それでやっと復帰して再び頑張ろうとしているっていうのに、
それを素直に応援できない人や社会こそどうかなあと僕は思う。
仮に嘘でも完璧に演じきって医師の診断書までもらってきている。
これって今いるスタッフ皆に余計な詮索や考えをさせないための彼なりのみんなのことも気にした対応なんだと思うから、素直にそれを受け入れてあげたい。
これは恋愛でも同じことが言える。
何の確証もないのに恋人の浮気を疑い続けるよりも、
自分たちの有意義な時間を楽しい、愛おしいと思うことに費やす方が
人生として豊かになれると思う。
もちろん不安になる気持ちは分かる。
しかし、その不安は一緒に過ごす中で安心に変えていけるものであり、
一時の好きや愛してるでは本当の不安は取り除けない。
たまたま同じ時代にこの世で出会えた者同士、
人と人が信じあえる世の中でいたいよね。
色んなジャンルの書きたいことを書いていきます。 是非とも応援よろしくお願いします。