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守ってもらって、いいのです。

 本当は守って欲しかったんだ。
と思うとき、涙ぐむような気持ちになる。なんでこんな簡単なことが言えなかったかなぁと、今なら思うけど、それを分かるためには、わたしにはブエノスアイレスとタンゴが必要だった。

ブエノスアイレスで暮らしていると、男性が優しい。ドアは開けてくれるし、道は譲ってくれる。
80才近いお散歩友達のおじいちゃんは、「バスに乗るのは女性が先、降りるのは男性が先で、後ろの女性に手をかすこと」と少年時代に母親から仕込まれたとか。
女性は守るべき存在だと教わっているのだ。

アルゼンチンタンゴを踊ると、優しいAbrazo (抱擁)が、安全を保障してくれる。
君は安全だから目を閉じてタンゴに陶酔してもいいんだよ。という気持ちが伝わってくる。(もちろん、例外はあるけどね)

そしてこの国の女性達の姿勢は、あっぱれ。
優しく扱われるのは当然。自分にはその価値がある。という肝の座った感がある。
しっかりした自己肯定感が、根本のところに既にあるんだと思う。

これって日本人には難しい。

みんなじゃないかもしれないけれど、少なくともわたしには高い壁だった。
何しろ守られ慣れていない。なんなら、むかしは自分が何もかもを守っているくらいの気概だった。

どうしてそんな風になっていたんだろう?

「人に迷惑をかけないように、恥ずかしくないように」という古風な日本気質で育った時代背景もあるかもしれないし、特技 = 努力と忍耐、という個性のせいかもしれないし。
どこで身につけちゃたのか、優しくしてもらうと、何か借りを作ってしまうような錯覚もあった。

離婚後、ひとりブエノスアイレスで暮らし始め、タンゴにどっぷり浸かった最初の日々は、わたしにはいい意味でショック療法的作用があったと思う。
言葉も習慣もわからないから、助けて貰うしかなかったし、タンゴを踊れはAbrazo は必然的に付いてきた。
1タンダ4曲間の短い、その場限りの「守護を受け入れること」の繰り返しは、リハビリ要素が抜群だったんじゃないだろうか。

繰り返しは慣れに繋がり、そのうちそれが自然になる。すると、どうだろう、守られているのは、なんて、楽ちんで心地いいんだろうか!

タンゴを踊りながら、男性に守ってもらうことを受け入れたら、守って貰いたかった感情が吐き出せた。
吐き出して浄化が終わったら、そもそも、もっと大きな懐に守られているよね、という安定感に行き着いた。

要は、気づけていなかっただけ。受け入れていなかっただけ。
まずは、ガチガチのガードを緩めて自分のハートを開いていくことからしか始まらない。

だから、守ってもらっていいのです。

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Sumiko K @アルゼンチン⇔北海道
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