こうして日常になっていくのかもしれない。

週に何回もどこへも持っていきようのない気持ちや考察をここに吐き出していた。
それがだんだん間が開いてきて、ついには投稿しない週もあるようになってきた。

言葉は変だが、それでも未だに泣こうと思えば秒で泣けるし、他人に説明しなければならなくなると嗚咽でまともに喋れなくはなる。
それでも「泣こうと思えば」なのである。
改めて自分で悲しい気持ちを励起しない限りは簡単には泣かなくなってきた……ともいえる。

嘆き疲れたのかもしれないし、とりあえず娘用の涙の備蓄が切れたのかもしれない。
「いない」ことが日常になり、それが自分にとっての「普通」になっている。

今日も昼寝の夢に娘が出てきた。
このごろは、本当に普通に出てくるので、もう居ないんだという事を忘れて、夢の中の私も普通に接している。
以前は、そんな夢から目覚めると、情緒がズタズタになったが、最近は「……夢か」という以上の感慨もあまりわかなくなった。

ようやく、娘が「特別の特別」ではなくなってきたようだ。
正直、姑の介護の比重も増してきたり、夫の定年が近づいたりで生きている人間の世話に忙しく、そっちに振り向ける体力がなくなってきたのもある。

薄情なもんだ……と思いつつも、それでももう20年もしないうちには私もこの世からいなくなるだろうから勘弁な……とも思う今日この頃である。

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