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人を疑う力を身に付けたい、と思った話。
こんばんは、スミレです。
私は自分のことを、「絶対いつか詐欺に引っかかる奴」だと思っています。
無自覚にでも性善説を信じているのか知りませんけれど、目の前にいる人間が悪いことするなんて微塵も考えられないんですよ。何もかも善意で、あるいは悪気なく行われていることだと感じてしまうのです。
例えば、矯正歯科で歯並びを診てもらった時の話になりますが。
金額が金額だったので父親と初診に行きまして。父の仕事の都合上、本来なら病院を閉める頃に時間を作ってもらいました。他の従業員さんもみんな帰っていて、院長さんしかいませんでした。
初めは料金や矯正のメリット・デメリットなど、説明だけで終わると思っていました。が、その日のうちにレントゲンまで撮ってもらえることになりまして。
当時中学生だった私は、親切だな、ラッキーだったなと能天気に考えていましたが、父は違いました。
曰く、レントゲンまで撮っちゃったら他の病院に行きにくい、客が逃げないから、あのお医者さん商売上手だね。
びっくりですよ、その発想はなかったです。実際のところお医者さんがどういうつもりだったのかは分かりませんが、父のような考え方が全くできない私は完全に憧憬の眼差しをしていたでしょう。
人生経験の差ですかね、こういうことが多々あるんですよ。
経験云々よりも、私の思考の単純さが危なっかしいと思うんです。
なにもかもを、誰かの善意によって行われたポジティブなことだと秒速で信じ込んでしまうのです。
詐欺とか嘘とか、見極める前に警戒心が足りてないんです。詐欺師サイドからすればネギ背負ったカモみたいなもんだと思うんです、私。
最近のやらかしは、宗教勧誘の人に喋りすぎたことです。
高校2年生の冬あたり、下校途中で見知らぬマダムに声をかけられました、「学校帰り?」って。
あの日の私は私服で外出していたので、学生であることを見破られたことにびっくりしていました。
あ、この人宗教勧誘の人だ。気づいたならそそくさとその場を立ち去っても良かったと思うのですが、私はにこやかに対応しました。チラシ受け取って、どんな活動をされているのかあいづちを打ちながらしっかり聞いて。
なんか、脳裏に祖母の遺影が浮かびまして。「この人おばあちゃんと似てるような……」って、そんなことありえないのに、なんかそう思っちゃったりして。
何も害になることはされなかったんですけれど、私が自主的にやらかしてしまってですね。
年齢、言っちゃったんですよ。
(当時)17歳と答えたのか高校2年生と答えたのかは忘れましたが、馬鹿正直に個人情報を開示したんですよ、私。
これはちょっと、反省しなければいけないと考えています。
宗教勧誘の人が言うには、自分にも同じ年頃の娘がいて、上手くコミュニケーションを取るために尽力していて、他の子どもたちの力にもなりたいんだそうで。
……いやあ、私、未だに「素晴らしい人だ」と信じきっているのですが、もっと疑った方がいいんですかね?
年齢を伝えた後に話された内容なので、ワンチャン嘘という可能性もなくはないのかなって、今だったら思えるんですけれど。
どうしても信じちゃうんですよ、人の言葉を。秒速というか、光の速さというか、聴く前から信じてるっていうか。
これが悪いことだとは思っていませんが、自衛ができない点はすぐにでも改めなければいけないとも思います。
特に個人情報には気をつけないと。
「家はどの辺?」って聞かれたら、私は「説明が下手なんで案内しますよ」とか平気で口走るような人間です。
「学校はどの辺?」って聞かれたら、私は学校名を教えるくらい息を吸うようにやる人間です。
小学校で何を教わったんだ、と自分でも問い詰めたいです。幼稚園生でもやらんわこんな愚行。
長所も短所も捉え方次第、使い方次第とはよく聞きます。ですが、コントロールができない間は短所としてしか使えないと考えています。
変な目標だけれど、「人を疑うこと」はできた方がいいと思うので、ちょっと対応策を考えてみようと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございます。