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凪ぐ私と、泣く私。

 こんばんは、スミレです。

 だいぶ前の記事で、インナーチャイルドについて触れたことがありましてね。

 この時は「自分の中のインナーチャイルドを認知する」というより、「今の自分から逆算してみる」といった感じで考えていました。
 なので、知識としては知っていたけれど、内側にいる小さい私をちゃんと見つけられていたわけではないんです。

 それが先日、見つけたとは違うけれど「あ、今、小さい私出てきたな」と感じた出来事がありまして。

 ある日の放課後、身体的な疲労が溜まりに溜まって耐えきれなくなり、帰り道で母に電話したんです。
 ちょっと愚痴りたいだけだったので、バスが来るまで話を聞いてもらおうと思っていたのですが、母は「バスから降りたらまた電話して。迎えにいくから」と言いました。

 そこまで要求するつもりはなかったけれど、まあ重たいカバン持ってくれるとなるとそれも悪くない。ということでお言葉に甘えまして。
 バス停から少し歩き、前方から母が歩いてきているのが見え、「ママ〜」と手を伸ばすように動きながら声をかけました。

 で、他愛もない話をしながら帰宅して、いつも通りに夕飯食べてシャワー浴びて、寝る支度ができた頃。
 私はなんだか、まだ話し足りないような感覚を覚えて、寝る前に母に絡みに行ったんです。

 それで、学校の話したり、母方の親戚たちの近況を聞いたり、まあいつもと変わらないようなことばかり話していたのですが。

 話の詳しい流れは忘れてしまったのですが、母が急に「そういえば前から聞きたいことがあったんだけど」と言い出しまして。

 曰く。
 アンタ、小学校低学年の頃はめちゃくちゃ活発だったじゃん。ママ〜って叫びながら帰ってきたと思ったら満点取った漢字の小テスト握りしめて喜び大爆発させてたり、授業参観行くと毎度毎度しつこいくらい挙手してママ友たちの間でも有名だったりしてさ。
 それが4年生くらいかな、急に静かになっちゃってさ。ママ友が心配するレベルで。授業参観に行ってもずっと下向いてて、挙手だって全くしなくなった。2人で出かける時は、ずっとママをバリアにするみたいに縮こまってたし、トイレ行くから離してって言ったら、離すくらいなら着いてくってひっつくし。
 なんでそんな変化が起きたの?

 どうも、迎えに来た母に「ママ〜」って手を伸ばす仕草に強烈な既視感を覚えたらしくて、上記の質問に至ったようです。

 私としても、低学年の時と高学年の時の自分を一括りにはできないくらい乖離していることに異論はありません。全く以って母の言う通りなんですよ。
 現在の私は大層な人見知りですが、昔はよく喋ってよく動く子だったと自覚しています。はて一体どのタイミングでそんな変化が起きたんだか。

 今までは答えに辿り着けず「不思議なこともあるもんだなぁ」とか「まあそんなもんなんじゃないかなぁ」とか言って匙を投げていました。
 が、今回は母の言葉の中に大事なピースがあることに気づきまして。

 変化が起きたのは小学4年生の頃。ということは同時期かそれ以前に何かがあったと考えるのが妥当でしょう。そう方向を定めれば、心当たりがひとつ。

 上記の記事に、小学3年生の頃に学校に行けなくなった経験について触れ、教室には行かなかったけれど校長先生とは仲良く給食を食べていた時のことを書きました。

 ただ、給食を食べた後にA先生が来て「牛乳パックは自分で教室に戻しなさい」と言われてからは、校長室で給食を食べることも拒否するようになりました。

 給食→掃除→お昼休みという時間割でした。なのでクラスメイト視点では、掃除の時間、欠席だと思っていた私が突然現れ、牛乳パックだけ洗って干してどこかへ消えていったわけです。しかも寝巻き姿で、上履きでもない、来賓用のスリッパを履いているのです。

 クラスの間では「学校に住んでいるの?」なんて誤情報が流れたらしいです。もう気まずいのなんの。一応書いておくと、クラスメイトとの関係は良好でした。

 ちなみに、スリッパは校長先生が気を利かせて貸してくれたものです。生徒用の下駄箱がある出入り口ではなく、校長室と近い職員・来賓用の出入り口を使用していたので、自分の上履きを取りにいく方が手間でした。

 この記事では書き忘れていましたが、めちゃくちゃ恥ずかしかったんですよ、この牛乳パック事件(仮)。
 教室にいたクラスメイトたちはもちろん、掃除のために学校中に散らばる全校生徒の目線も独り占めしたわけですから、不本意なことに。

 それまでは、人の視線なんてまるで気にしたことがなかったんです。怖がる必要のない無害なもの、という認識でしたから。

 ですが牛乳パック事件(仮)で初めて、「何あれ?」「どうしたんだろ?」「変なやつ」といった類の視線を受けたのです。しかも大勢に、ただそこの場所を歩いているだけで。

 もしかしたら、それが自覚していた以上にショックなことだったのかもしれない。だから人の多い場所が苦手になって、人の視界に入ることが怖くて……それが中学生の時に爆発でもしたんかなぁ、と。

 母に話してみたら、「初耳、なんで当時に言ってくれなかったの」と軽く怒られました。私はてっきり、もうとっくに伝えていたエピソードだと思っていたのですが、母は頑なに「今初めて聞かされた」と言います。

 あれ、マジで記憶違いだったのかな。ママに知らせないままでいるなんて、昔の私とは思えない。親に対しては何でもかんでも喋り倒すこの私だぞ。

 母が忘れていただけではないか、と反論しようとしたところで、「今の私と昔の私は別物」であることを思い出しました。小学校低学年の頃の私と高学年の頃の私が180度違うなら、今の私と約10年前の私なんてもっと違うはず。

 自分の内面を言語化してアウトプットしよう、と考えたのは高校2〜3年生の時。それ以前は、自分の気持ちや考えのほとんどを認知していませんでした。探して初めて、自分に内面が存在していることに気がついたというか、どう表現すればいいのか。

 ということは、小学3年生の時の私だって、自分がどう感じてどう考えているのかなんてまるで見向きもしなかったはず。周りに合わせる以外の生き方なんてないと信じきっていたのだから、自分が一番自分を蔑ろにしていたんだから。

 だから、クラスメイトたちからの好奇だなんだの視線になんらかのショックを受けたことなんて気づきもしなかった。実際に今の私が回顧して初めて至った考えである。

 分からないことを他人に伝えるなんて出来っこないです。自己紹介してって言われても、自分の名前も年齢も趣味も知らないで何を紹介できるでしょうか。
 きっと本当に母にとっては初耳の話で、当時の私にとっては知らん人(私)の自己紹介を強いられていたようなものだったのかもしれません。

 とっても腑に落ちて、上機嫌になるほどの発見でした。ああ当時の私の胸の内をやっと知ることができた。それはとても嬉しいことです。

 母からの最初の質問に答えが出たあとも、その日は話が続きました。その時に、悲しいわけでも苦しいわけでもないのに涙が止まらなくなるタイミングがあったんですよ。

 外出時に母から離れようとしない私の様子を聞いた時。
 助けを求めるように腕を伸ばしていた私の様子を再現された時。
 ママ〜、と弱々しい声で呼ぶ声を再現された時。

 胸が苦しくなるような感覚は一切なかったんです。心というか感情というか、その辺はとても安定していました。
 なのに目だけ勝手に泣き始めたんです。「今泣いたら明日腫れるよ?」と母に宥められても止まりませんでした。

 あ、今、小さい私出てきたな、と。
 私が泣いているんじゃなくて、私のインナーチャイルドが泣いてるのかな、と。
 今の今まで、私にすら無視されていた小さい私が、私の体を使ったのかな、と。

 凪いだ心と泣くお目目という矛盾は、そういうことでないと説明がつかない気がするのです。

 不思議な体験でしたし、今後似たようなことがまた起きるかも分かりませんが、昔に流せなかったそれを今流してやることができたと考えれば、良い経験だと思います。

 まあ話に夢中になりすぎて、気がついたら深夜2時になっていましたが。翌朝の学校、寝坊しなかったのは奇跡ですよホント。

 インナーチャイルドを見つけることは、私はきっと苦手です、探すのが下手でかくれんぼ一生終わらないタイプです。
 でも向こうから出てきてくれた時に、目一杯構ってやったり見守ったりすることなら大の得意です。得意というか、そうなれるよう鍛えてたというか。

 だから、まあいつでも私のところにおいでね、小さい私。くらいの気持ちで過ごしていこうと思います。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。


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