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沼にインして(中編)
この記事は、四柱推命を知りそれからどうなったか(中編)を書いています。
ここで、昔踏んだあのテツのことを書いておきます。
私は昔からずっと知りたかったんです。とにかく自分の思考が分からない。理想に沿わない自分にほとほと嫌気が差していたのです。
なぜに、自分はこういう考え方、行動になるのか。遺伝なのか。いつか編み出したこころの生存方法なのか。そもそもどこかに答えが、ヒントがあるのか。違う選択肢や行動が選べるのか。それを知る方法はどこにあるのか。ある時から自己啓発に傾倒し、何度か異国へ飛んで学びました。
結論から言うと、私の場合、心理学を学びましたが土台の自己受容がうまく出来ないまま、ちからずくで外側から早急な変化を強要したので、得た知識を満足に機能させることが出来ませんでした。
受け入れるスペースが用意されてもいないのに、とにかく便利そうなもの(知識)をどっさり仕入れて、玄関辺りに山積みにして放っておいたような状態。
知識を得て使う喜びをはるかに凌駕する、精神的な疲労と悲しみがありました。自分が完全に敵にまわり、あたかも制裁するような視点で断罪して、矯正するための道具を有無を言わさずに投げつけられたような、どうにもやりきれない気持ちでした。
知識はもらったけど、こころは別のことで満員。上の空でかたちだけチャントやアファメーションを叫ぶも機能しない。やった(一応)のに変わらない‼️と、怒りにも似た焦燥感に落ち込む。
これが私の踏んだテツです。3年ばかり思い付く限りの新しい知識をしこたま仕入れては、もれなくテツを踏みました。
そして、ついにテツとおさらばする時が訪れます。離婚のタイミングで、それまでの理想やなんやかんやをかなぐり捨てた私は、ああもういい…もう否定しても何しても結局自分で立って進むしかないんじゃ、自分嫌いとかわからんとか言うておれんわ、そらもう好きにさせてもらうしかないわねえええ…‼️と、ついに大事に頭に巻いてきた外面のようなものが弾け飛び、ついでにあのテツも踏み割りあれもこれも打ち捨て、荒野をひとり生還してきました。
自分を否定すると、ショックで動けなくなります。当時とり得る限り最善の選択をしたのに、もしくはそう選ぶしかなかったのに、後から、それも自分から追い討ち否定されるなんて。もうたまらんじゃないか。
否定したところで動けなくなるならそれこそ間違ったやり方なのではないか。結局進むのならば、責めて落ち込むよりノーサイドで見つめ直したいし、次の一手をどう選ぶかに重きを置きたい。良い方向に動くことを望んでいるし、もう良い悪いなく、思考癖があるならその仕組みがいい加減知りたい。
脳ミソよ、我が魂よ、起きろ…‼️
今こそ集え、我が元へ…‼️
うぉおおおお…‼️
…後編へ続きます。
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