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”混乱” ~世界一周旅日記~ チベット編 【第三章:第7話】雲と地平線の間

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12/25(辺境の聖地ラサ)

こんな場所に僕がいて、
いいのだろうか?


俗なものとは対照的なこの世界。
ここには、仏教と、それを信仰する人々が存在している。


今、混乱をしている自分がいる。


本当は、
こういう世界が本当のあるべき姿であり、
現代社会は欲望の世界なのだろうか?
それとも、
現代社会が、当然の世界なのであれば、
ここは天国なのだろうか?


いろいろ考える。
ここは、
あまりにかけ離れすぎている。


ジョカン寺院

この寺院は、聖地ラサの中心にある、最も聖なる寺院。
チベット全土からラサを目指す巡礼者は、
ここ、ジョカンを詣でることを目的とする。


ジョカン寺院の朝は早い、
太陽はまだ顔を出さず、
辺りは夜のように暗い。


空気の清潔さが、
今が、夜ではなく、
朝だという事を教えてくれる。


辺りには霧のように煙りが立ちこめている。
香草(サン)を焚いている煙だ。
線香のような香ばしい匂いが辺りに立ちこめている。


煙の中へと入っていく。
白い煙の中から、
ジョカン寺院の正面の姿がぼやっと見えてくる。

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ジョカン寺院


辺りから、
「ザッ、ザッ」
という、地面と何かがすれる音が聞こえる。

五体投地をして、
ジョカン寺院にお祈りをしている人達から出ている音。

100人前後はいるだろか。


まず、頭の上で手をあわせる。
そのまま、あわせた手を顔の前に持っていき、
あわせた手を胸の前に持っていく。

そして、おもむろに四つんばいになり、
両手を前に伸ばして、
足もまっすぐに伸ばして、
うつぶせになる。

その後、また、四つんばいになり、
立ち上がる。

この一連の動作をお経を唱えながら、
10秒前後で1回行う。

それを、何十分も何時間も続ける。


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五体投地でお祈りをする人達



そこに存在する圧倒的なパワーを前に、
僕は、考えることをやめてしまう。

そして、まるで自分が空気になったかのように、
静かに、
何も考えず、
五体投地をする人々に見とれている自分がいる。

我にかえり、

僕は、

ジョカン寺院正面を離れ、
バルコル(ジョカンの周りを一周囲んでいる路)へ向かう。


バルコル

バルコルは、
コルラ(時計回りの方向に歩いて巡礼すること)
する人達でごったがえしている。

お経を唱える人、
露天で買い物をしている人、
マニ車を回している人、
五体投地でコルラをしている人、
みんなさまざま。

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バルコルをコルラする人々



すべての人が同じ方向に向いて歩いている。
流れにさからって歩く人はいない。

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バルコルをコルラする人々(五体投地をしている人も見える)


僕も、みなに混じってコルラをはじめる。
僕が外国人だということで注目する人はいない。
みな自分の祈りに集中している。
それぞれがブツブツとお経をつぶやき、
その低い低音があたりに反響している。
全ての空間に祈りの熱気が充満している。
次第に、神聖な気分になってくる。
祈りのストリームの中に自分が入っていくのを感じる。


バルコルから、ちょっと脇道に入る。
そこには、チャムカンラマという僧侶がいる洞窟がある。
ここは、もともとは、
昔、有名な僧侶が修行をした洞窟である。


チャムカンラマの洞窟

チャムカンラマは、人々に祈祷を与えている。

チャムカンラマの前には順番待ちの行列ができている。
行列の最後尾に並ぶ。

10分ほどすると、
自分の番がまわってきた。


バターとお香の香りのする、
天然の石造りの暗い洞窟の中で、
チャムカンラマの前にひざまずき、頭を垂れる。
そして、右手をひろげてチャムカンラマの前に差し出す。

チャムカンラマは、お経を唱えながら、
金色の水差しで、僕の右の手のひらに水を注ぐ。

僕は、手のひらに溜まった水を、一気にのどに流し込む。


「カラーン。カラーン。」

チャムカンラマが、鐘をふりながら、
僕の頭に水をかける。



僕は目を閉じ、
祈祷に集中する。
だんだん、
自分の内部に入っていく。



チャムカンラマは、
小さなほうきのようなものを持ち、
それを使って、
僕の頭をバサッバサッと払う。



左手に鐘、右手にバジュラという神具を
持ったチャムカンラマは、
バジュラを僕の頭の上にのせ、
グッ、っと、
下に押しつける。

そして、僕の頭を見据えながら、
お経を唱える。


祈祷の終わった僕は、
チャムカンラマのまわりを時計回りにコルラし、
洞窟をあとにする。


小さなお堂


洞窟の近くに、
小さなお堂がある。

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マニ車を回す人


このお堂の中には、
おどろおどろしい姿をした神がまつられている。

日本のお化け屋敷のような雰囲気。

3つ目を持つもの、
頭蓋骨の頭飾りをまとっているもの、
自分の馬に人間を縛り付けているもの、
人間の生首の腰飾りをまとっているもの、
顔を金の布で隠しているもの(frog face"蛙の顔"と呼ばれる)、

これらの神々の姿は、
人間が死んだ時、
自分自身の肉体からあらわれる姿だそうだ。

いざ、自分が死んだとき、
その姿を見て驚かないように、
生前から慣れておくということだ。


ラサで感じたこと

日本人カメラマンのrioさんは、だいぶん昔にチベットのとりことなった。
それ以来、チベットの写真を撮り続けている。

先日、rioさんが1年前にチベットで撮った写真を見せてくれた。


不毛の大地、
砂丘とその近くに流れる河が写っている白黒写真だった。

砂丘の真ん中に、
こちらに向かって歩いているチベット人女性が、
ポツンと1人、
写っている。

女性のまわりが、
女性の体の線にあわせてボワッと明るく白く光っていた。

人からオーラが出ている写真だった。

そういうのがチベットなのだろう。


言葉では説明できないもの。
科学では証明できないものが存在する場所。


文明社会にいると、
そんなものが存在することを信じられない。
でも、ここには、
証明できないなにかがあるように思う。
何かの存在、
パワーを、僕の感覚が感じ取っている。


チベット。

合理主義とはほど遠い文化。
非合理的なところに美が存在する文化。

目に見えるものより、
目に見えないものを大切にする文化。

人のお世話をする事が美徳とされる文化。

贅沢より、質素と信仰を大切にする文化。

目立つ生活より、
堅実な生活を大切にする文化。

争いを嫌い、平和を愛する文化。

無条件で信じる文化。


気高き民族。
誇り高き民族。


こんな場所が、この世界に存在するとは。
チベットは、
人としての本来あるべき姿を教えてくれる。


<次号の旅日記は9月26日です!>

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