私を作ったゲームたち2
前回タグ付けしてなくて、自己紹介をゲームで語るはずで書いたものがただのゲーム覚え書きみたいになってしまって悲しくなったのと、スーファミばっかり書いていて、世代であるDSについて全く触れてなかったなぁと思ったので、第二弾。
全ハードの中で一番ソフト持ってたのは間違いなくDS。初代から持っていました。初めて手にしたソフトはおいでよどうぶつのもりだったなぁ。クリスマスの夜に、私の枕元にDS本体、弟の枕元においもりのソフトが置いてありました。片方のみだったら満足に楽しめない。二人で仲良く使いなさい、サンタさんのお気持ちは痛いほど伝わってきました、が、当時の私たち小学生と3歳は当然、自分のものにしたがって、毎日喧嘩ばかりしていました笑
そんなおいもりのなかで一番覚えているのは、マスターの喫茶店とフーコの天文台です。博物館大好きっ子やん。私は星とコーヒーが当時から好きでした。星座もいっぱい作りました。おいも座とか作ってました。マスターのコーヒーは森に行ったら絶対に飲みに行っていました。一度本当に飲んでみたいな。任天堂が本気を出して、「一度は口にしてみたいゲームの中の食べ物カフェ」なんてもの企画してくれちゃったらそれは絶対行く。絶対行く。あと、ラフレシアが咲かなかったことが唯一の自慢です。たぶん今起動したら咲いてるけど。
その後私は2本目のソフトを手に入れました。そう、私たちは俗に言うダイパ世代。パールを手に入れることになるのです。
この出会いが今の、ポケモン最新作が出るたびに購入するほどの熱と、ポケモンダイレクトがあるたびに正座待機•終わる頃に落胆と次への期待を膨らませるという心を育みました。
当時は、その洗練されたストーリー、チャンピオンシロナのカッコ良さ、ストーリーで語られない闇、とにかくポケモンのデザインがドストライクだったなどなど、感動した点をあげようとすればキリがないです。ダイパ後の全てのポケモンをやってきましたが、今でも最高のポケモンのゲームだったと思います。
当時大好きだった町がミオシティでした。ミオの図書館の意味深な文献、、、あれを何度も読んで考察なんてしていました。懐かしい。あと、ミオシティのBGMが素敵で大好きだったので、レポートを書くときはミオシティに飛んでました。あと、ボールシールでポケモンを出したときにエフェクトをつけられるのが楽しかったなぁ。また復活してほしいなぁ。
シロナ戦のBGMは何度聞いてもかっこいい。あのミカルゲには何回も苦労させられました。私はレベル上げめんどい派だったので、元気のかけらと回復の薬でドーピングしながら戦ってました笑
余談になりますが、アニメ版でのサトシとライバルのシンジくんとのラストバトル、めちゃめちゃ感動したのを今でも覚えています。また見たいなぁ。
あと、毒状態になったまま戦闘を終えると、歩くたびにダメージを受けて、ダメージを受けたときに画面が揺れるっていう仕様があったのですが、それを壊しちゃったと思いこんで親に言えずに一週間ぐらいDSを触らなかったことがありました。そのときは友達に打ち明けて、毒状態であることを教えてもらったので良かったですが、ヒヤリとした思い出もありました笑
ちなみにその後、弟は念願の自分のDS(当時の最新モデルのDS light)を手に入れ、ダイヤモンドを買いました。兄弟がいたから、いつでも通信できて楽しかったな。
その後二人で努力値とか厳選とか覚えて、ポケモン廃人になってしまうのですが、、、
当時からリーフィアとグレイシアが大好きで、リーフィアとグレイシアを何体も育てていました笑
今でもブイズ大好きです。あとポワルンが好き笑
また今度ダイパリメイク出るのかなぁ、出てほしいなぁ、やっぱりあれはいいゲームだと思うから。
気がつけばダイパだけで1記事書けそうなくらい長く書いてしまった、、、全部語るまではまだまだ長そう笑