HSS型HSPの私の恋愛受難③
HSS型HSPの心理カウンセラー まつりです。
薬剤師を25年 心理カウンセラーを10年やっています。
HSS型HSPの私が自己表現の壁を乗り越え、
自己実現に取り組むプロセスを記録しています。
16歳で恋愛と言う「異性とのコミュニケーション」を始めて、主人と出会うまで28年かかりました。
37歳で心理の世界に飛び込んだことで自己理解が深まったんですが
そこから15年学んで、ようやく、これまでの人生でうまく行ったこと、行かなかったことの理由(起因)が見えてきました。
HSS型HSPにとっての自己理解と言うのは、非HSPに比べて非常に困難なのだとHSS型HSP研究の第一人者・トレイシークーパー博士は語っています。
非HSPの取説が50PくらいだとしたらHSS型HSPの取説は1000Pくらい。
(ちょっと大げさ?)
なので通常は10代後半から始まり20代前半くらいで確立するアイデンティティがHSS型HSPの場合は30代後半になっても続くそうなのです。
私が心理の世界に飛び込んだのは37歳の時
自分で自分のことが理解できなくて、もうこれはプロに頼るしかないと
判断したからです。
自分に白旗!もうお手上げ!どうにでもして!の状態でした 笑
自分の中に「HSS」と「HSP」と言う両極端なパーソナリティを同時に持つため葛藤が多く、どちらかを満たすとどちらかが不満になる。
結果、いつも満足感がなく、
「これでいいのだろうか」「ダメなんじゃないか」と悩んでいました。
これが私の恋愛パターンに出ていたのですね。
地味で刺激の少ない人といるとHSPの私は満足だけど、HSSの私が不満
刺激の多い人といるとHSSの私は満足だけど、HSPの私は疲れる
これが一人に決められなかった理由だと思います。
「いつか私にピッタリの人に出会えるはず」と妄信してました。
完璧な相手を探しつづけていたのですね。
に、加えて
①幼少期の母親との関係
→愛着の問題。スキンシップの絶対的少なさ、非HSPの母に私の特性を嫌がられ「私は誰からも愛されない」「あるがままの自分じゃダメだ」
と、信念のように自分の中に刻んでいたこと。
②両親の夫婦間のコミュニケーション不全
→ロールモデルの不在。愛情表現をしない、幸せそうに見えない、楽しそうに見えない、憧れたいけど憧れる要素がない両親(非HSP)の結婚生活。
結婚に対してよくないイメージの形成
③私がHSPだったこと
→感情を感じやすいのに周りに理解してもらえず、過去の色んなトラウマが積み重なって「今ここ」によくない影響を及ぼしていたこと
ものすごくおおざっぱに分けていますが、この3つが大きかったんだと思います。
これらはすべて心療療法で解決したのですが、この癒しのプロセスは長いので少しずつアップしようと思っています。
主人と結婚しようと思ったのは「年齢が理由」です。
若い時は自分が年を取るなんてことは考えていませんでした。(刹那的)
もともと、計画を立てることが嫌い。
計画通りに進む人生なんてつまんない。
明日、何が起こるか分からないから人生は楽しいと思っているタイプでした。
このあたりはHSS(刺激追求性)の特徴に当てはまりそうですね。
42歳を過ぎたあたりから「老い」を体のあちこちで感じるようになりました。
疲れやすい、目や耳の老化、記憶力の低下、お酒が残る、寝つきが悪い、喘息、ドライアイ、更年期障害などなどあちこちに不調が。
五感に非常に敏感なので、毎日感じるその不快な感覚から
「自分が老いていく」ことをダイレクトに感じるようになりました。
そして、もう一つ
心療療法を学んで人に頼れる自分になったことが大きいと思います。
小さい頃から人に頼らず自分で何でもやってきた。
一人で解決して生きてきた自負が良い意味でなくなったのです。
(実際は色んな人に助けられて生きてきたのですが当時は認識できていませんでした)
「一人で頑張らなくてもいい」
と思えるようになったことで体の緊張が取れ、無意識に入れていた肩の力は抜けました。
「よし、一緒に生きてくれる人を探そう!」と、決意したのが44歳の時でした。
つづく