Technique:塾に「通うこと」に満足し始めたら、ご臨終。
同じ料金の中でとことんサービスを使い尽くす、
「塾の使い倒し方」はこのチャプターで既に一通り話したつもりだ。
ここでは最後に使い倒し方の逆、
つまり最ももったいない・無駄な学習塾の使い方を紹介しよう。
それは、子供が「私は塾に通っているから偉い」と思い始めた瞬間である。
この言葉を口には出さずとも心で思った時がご臨終である。
ここまで読んでもらったあなたなら十分に分かるだろうが、
塾は単に通うだけでは何の効果もなく、
貪欲に使い倒さなければ意味がない。
私が講師として教えている際も、
「通っているから偉い」に近い言葉を口にする生徒はいた。
「でもなんだかんだこうやって塾には毎週来てるんで」
「同学年のアイツと比べたらオレなんかマシな方ですよ」
また、これはあまり大きな声では言えないが
これに近い言葉を口にする親御さんもいた。
「あの子はまずは塾に通うところからのスタートですので…」
「あの子が毎週塾に行って、座って大人しくしてるなんですごい事で…」
もちろんそう言いたい気持ちも分かる。
そこから始めなければいけないレベルの子も世の中にはいる。
それはこの業界にいて嫌と言うほど見てきた。
だが学習効果、
また払ったお金に対して最大限のリターンを得ることを考えるなら
「通っただけ」でお腹いっぱいになってはいけないのだ。
これだけは絶対に揺るがない。
これを言うと意外に驚かれることが多いのだが、
塾は生徒に勉強を「強制」することができないからだ。
注意や叱咤激励程度ならともかく、
勉強をサボったからといって
怒鳴りつけたり手をあげたり教室入室禁止にしたり
夜遅くまで強制的に居残りさせることは不可能だ。
大昔なら話は違うのかもしれないが、
令和のこの時代にそんなことをやろうものなら確実に問題になる。
ひとたび問題として取り上げられてしまえば、
一つの学習塾などあっという間に世間から抹殺される。
だからこそ、学習塾ができることは
せいぜい勉強をやる気がある子に向けてより良い環境を提供することと
勉強する「権利」を与えることぐらいである。
権利というのは英語でいうところのcanだ。
「〜することができる」というヤツだ。
学習塾が提供できるのはcan、マックスで「should」である。
(should=「〜するべきである」)
must(〜しなければならない)までやると問題になる。
そしてこれはもう一つ、塾側の事情でもあるのだが
塾に通って一生懸命勉強している子と
塾に通いながらのんべんだらりと過ごしている子の授業料は同じだ。
だが前者の方がより講師側の人件費がかかる。
つまり、
のんべんだらりとした子の割合が多い方が経営上はラクになる。
そこまで必死こいてサービスを提供しなくてもお金を落としてくれるからだ。
あまりのんべんだらりとした子が増えすぎるとそれはそれで問題になるが、
塾は一年中忙しくて少しでも手間を減らしたいから
どの塾にも一定割合でこういった子は存在するものだ。
だからこそ、のんべんだらりとした子に
「絶対にやれ!」と熱く指導する塾は滅多にない。
塾側が動いてくれないということは、
つまり自分から変わる・行動するしかないということになる。
これが塾を使い倒す上での基本スタンスであり、また必須条件である。
…筆者、透佳(スミカ)