#ギモンタグ
頭のなかにあるもやもやを壁打ちする相手が欲しい!
聞いたら教えてくれるタグがあればいいのに。
とりあえず世の中に投げてみて、誰か拾ってくれ!
という気持ちのnoteです。
学校に行く意味って何だろう
最近フリースクールやオルタナティブスクールが増えてきて、勉強の形が幅広く取れるようになっている。
そのような教育だからこそ伸ばせる能力が山ほどあって必要な教育機関であることは間違いない。
ここで疑問。学校に行きにくい子がそういう学校に行けるようにそれらの学校の充実化が大々的に紹介されていることにもやっとする。
私的には、公立学校が担う役割を放棄しているように感じがする。
学校に来られるように何か変えたいと思う。
でもなんで私はフリースクールやオルタナティブスクールではない公立学校に行くことに価値づけしているんだろう
どの学校でも学校という位置づけは一緒だ。
学校に行く意味って何だろう。
不登校のゴールって何だろう
”不登校の問題が深刻化しています。”
確かに行きたいと思っているけどいけない子がいる現状は苦しいものだろう
しかし不登校の子がどうなることを目的として対策を行うんだろう?
学校にもどること?自分に合った学校(フリースクール等を含む)を見つけること?
文科省が出している問題行動調査の中で不登校のカウントをしているが、
その不登校の中には、学校と連携していないフリースクール等に通っているが、学校復帰を目的としていないから不登校としてカウントされている人が含まれているという。
不登校対策が十分に行われていないのではなく、不登校の子の社会復帰のゴールそのものが明確でないのでは、、、?
なぜ教員養成課程で教授法を習わないんだろう
これはオーストラリアでTESOLという英語で英語を教えるという教育資格を取得する過程で感じたことである。
今回の疑問の中心は今私が受けている大学の教育である。
今教員免許状取得のための教科は、教科の専門性を上げるような授業と子供の発達に関するもの、学校を構成・運営にかかわる法律等々に基づいた授業がある。
一番大切な、どう授業を構成する?効果的な働きかけや課題設定の方法を学ばない。
授業で何もなく今までの受けてきた経験だけをもとにして模擬授業を数回行い、教育実習に臨む学生
教員を輩出するための課程なのになぜ教えることの基礎基本は学ばず、教えるコンテンツだけを学ぶのだろう。
教員の専門性とは
昨今特別教員免許状のシステムを活用して、教職課程をらずとも教員になる道が開拓されている。社会人経験者を教員として学校現場に派遣する団体すら出てきている。
”教員は社会を知らない”なんて言葉が往々にして言われる時代。
社会人という別の世界での経験が生徒に与える刺激は多いことだろう。
これに関してはすごくいい制度だと思う。
そこで考えなければならないのは、主として教職を専門とするものの専門性である。
教員の専門性とは何だろう。広い社会に出ていなくとも、教育に対してプロフェッショナルだと誰もが認識するような要素は何が必要なのだろう。
フィンランドでインタビューをしたときに出た、”先生を尊敬している。信頼している”という言葉のそこにはどんな実態があったのだろう。
壁打ち相手募集中
これと信じると突っ走る私に
違う視点から一緒に考えをブラッシュアップしてくれる仲間が欲しい。共感も異論も反論も全部ほしい
関する情報もほしい