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楽に生きるということ

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
お久しぶりです、澄田美稲です。

と言ってもnoteの更新は本当に気が向いた時というか、自分の中でなんとなく書く気が起きた時でないと書かないので「お久しぶりです」の状態が基本なので毎回いう必要はあるんだろうかと考えたりもしますが。

でもだからといってこれ以外にパッと思いつく良い入りがないので、これはこれで良しとしてこれからも多用していくことにしようと思います。

私は基本的に面倒なことが嫌いです。
考えるのも、迷うのも、なんなら「決める」という行為自体がそもそも苦手です。面倒なことが苦手なので、先程のようにnoteの導入で悩むくらいなら「お久しぶりです」を使うし、多分そのうち大して久しぶりじゃなくても使うのだろうと思います。
まぁそもそも“久しぶり”に定義など無いのだし、私が久しぶりだと思ったらそれは久しぶりなので誰に文句を言われようと好きにやります。

と誰に向けたわけでもない、強いていうなら自分に向けての言い訳を述べたところで話が脱線したので元に戻しましょう。

noteの題名にもあるように、今回のテーマは『楽に生きる』です。

これをこのタイミングで話そうと思ったのはちょっと前に知り合いに「今年の抱負はあるの?」と言われた時に「今年に限らず人生を通して、楽に生きるっていう指針があるよ」と答えたのを、なんとなく寝られなくて久々にnoteを書きたいなと思ったタイミングで思い出したから。

何につけても理由をつけて行動しようとする人は多いと思う。

近いからこの道を使おう。効率がいいからこの手順で物事を進めよう。お昼が麺類だったから夕飯はお米にしよう。休みの日に、今週は頑張ったからたまには何もせずぐーたらしよう。

休むことにすら理由をつける。

別にこれらが悪いとは少しも思わないし、私だって普段はこのくらいのことは流石に考えながら生きてる。

でも、人生は一度しかない上にとても短い。あまりにも、短い。

短いから効率を求めてしまう。有意義な時間を過ごそうをしてしまう。

ずっと気を張って、頭を使い続けて。そしていつの日か疲れてしまって、少しだけ壊れる。どのくらい壊れるかは人によって違う。
1日だけ何も考えずに好きなことを好きなようにする人もいれば、それが2日間の人も。半年続くかも知れないし、10年立ち直れないかも知れない。

そうしてみんな自分のことをこう思う。

自分は何てダメな人間なんだ。

こんなに悲しいことはないと、私は思う。
自分で自分のことを責めるのは、他の誰から責められることよりも辛い。

真の意味で自分を許せるのは自分しかいないのに、

その自分からも否定される。これほど苦しいことはない。

だから、楽に生きていきたい。常日頃から、壊れる前に自分で。

理由なんてなくても休むし、だらける。
家事だってサボるし、好きなものを食べる。
意味もなく遠回りの道を通って帰って、何を頑張ったわけでもないけれど外食をする。
なんとなく買いたかったものを買って、そしてなんとなくnoteを更新する。

誰よりも自分を許して受け入れて、楽をして生きていく。

たった一回の、自分だけの人生なんだ。

自分に甘く生きていきたい。

安楽死、なんて。死ぬ時だけ安らかに楽に、なんて。

生きてる今だって安らかに楽に過ごしていく。

安楽生を謳歌していく。

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