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「LGBTQ+」を批判してる人を批判してる人、時間の無駄じゃない?

お久しぶりです。
澄田美稲すみだみねです。

「お久しぶりです」という挨拶が私の固定挨拶であるかのような気がしてしまいます。
私のnoteは決まった人が毎回欠かさず見てくださるわけではなく、たまたま私の記事が目について、時間があってちょっとだけ気になってくださった方がその場で読んでくださっているように感じるのでこの挨拶自体が不要なのかもしれません。

毎回の冒頭でこうやってどうでもいい、「お久しぶりです」挨拶を語ることで、なんとなく私の執筆のウォーミングアップになっている側面があるのでご容赦ください。
このくだり、前回の記事でもやったな。まあいっか。

このnoteの本題についてなのですが、かなり尖った題名をつけてしまった自覚はあります。私が言いたいことを端的にまとめるとああなってしまうのです。

ただ私の言いたい本意は、この後の本文をしっかり最後まで読んだ上でご意見下されば嬉しいです。
題名だけ読んで怒った人たちによってプチ炎上とかになりそうで非常に怖いですね。
以前、似たように皮肉的な表現をしたツイートで表面のものしか読まない方のお怒りを頂戴したことがあるのでトラウマです。


表題にもあるように、LGBTQ+についてですが、誤解を恐れずにいうと私個人としてはどうでもいいです。

誰が誰を好きになろうと、自分には関係がないし興味がない。知り合いであればもちろん「〇〇の恋人ってどんな人なんだろう」と興味を持ちますが、その恋人が生物学的に男か女かなんてどうでもいい。ましてや自分の知り合いですらない人の恋愛事情なんて心底興味がない。
いかなる恋愛であれ、本人たちがお互いに幸せなら外野が口を出すことではないはずです。他人の恋愛なんて全てそんなもんです。

本人たちが幸せなら周囲が口を出す権利は無い。

ただ、何故か社会では問題になってくるらしい。

LGBTQ+とレッテル貼りをされている方々に対して嫌悪感を示したり差別的な物言いをする人たちがいる。私の価値観で言うと、そんなことをする人たちが気持ち悪い。人の恋愛にいちいち口を出してくるキモいやつだ。

でも、これらのことって合理的に考えてみたら仕方のないことなのかもしれない。

だって人間は所詮動物なんだ。動物である以上、生を得ている最終目標は「種の繁栄」だ。LGBTQ+の方々は子供を作れないペアが多い。

その仕組み上、その妨げとなる因子は排除したくなる。
違和感を感じ、嫌悪することは当たり前なのだ。
動物として、本能として至極正しくどうしようもない。

ただ、法制度が進んでいないのは明らかに問題だ。
法というものは「種を増やす」などという動物的なことでなく、もっと人間として大切な「一人一人が尊重され生きていける」ことに重きを置いて作られているもののはずだからだ。

そうでなければ、障がい者を支援する法など非効率極まりないのだ。他の動物たちは障がいを持つものを生存戦略として切り捨てる。当たり前で非常に合理的だ。だが人間はそれをしない。1人1人を尊重しできる限り平等に扱うことは人間だけが成し得る偉業なんだ。その上で、法制度がLGBTQ+に対応していないのは明らかにおかしい。人間としての誇りに関わる問題だ。

だが、先にも言ったように個人の感情はどうしようもない。
LGBTQ+などのいわゆるマイノリティ(そこには障がい者も含まれるかもしれない)を受け入れられないその本能は動物として至極正しい。

だからLGBTQ+を受け入れられない人たちを批判すべきではない
責めるべきではないのだ。

その人たちは動物として、本能として正しい行動をしている。群れから排除されるべき存在を本能のままに排除しようとしているだけだ。

頭を使い、人権について考え、個人を尊重し、人間らしくあろうとする方がバカなのだ。人間だけに許されたこの美しい思考が間違っている。

LGBTQ+を受け入れられない人のことは

哀れみこそさえすれ、責めるべきでない。時間の無駄だ。

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