生きるという全てのanswer
「明日死んでも後悔しないような生き方をしたい」
この言葉、本当にカッコいいと思います。
毎日毎日全力出し尽くして、もし突然死んだとしても、「俺はやり切った」という生き方。
僕自身も、そんな生き方できたら最高だと思いますし、この考え方は僕の大部分を占めていました。
2011年3月11日を迎えるまでは。
死を悟って取り乱した
当時、僕は北海道大学に通う大学1年生でした。
所属していた硬式野球部の合宿で茨城県に居て、その日も元気に練習していました。
(人生初の長期合宿だったので、かなりテンションが上がっていました)
チームは打撃練習をしていて、外野で走り込みをしていた僕は、異変に気づきました。
「なんか、ネット揺れてね?」
そう、14時46分。地震発生のときでした。
それからはもう、見たことのない景色の連続。
グラウンドは地割れを起こして液状化。
近くの民家の瓦がボロボロ崩れ落ちる。
遠くの工場から出るおびただしい量の煙。
そして、聞こえてきた町内放送が、僕を一気に恐怖へと引きずり込みました。
「10mの津波が予想されます。ただちに避難してください」
グラウンドも宿舎も、海にほど近い。
高台なんて近くにはない。
10mの高さの海水が襲ってくる。
僕は、このとき「死」を悟りました。
「こんなん無理に決まってるやん…」
「死ぬときって、こんなに突然訪れるのかよ…」と。
「死にたくない」と初めて思えた
そう悟ってから、僕は必死に「早く逃げましょう!早く!」と訴えかけました。
冷静な部員も多く、その必死さを笑われたりしましたが、そんなのお構いなし。
死ぬより100億倍マシだ。
合宿所の方にバスを出してもらい、少しでも標高の高い場所へ行ってもらい、少しでも津波に飲まれない方法を考え続けました。
その道中、地獄絵図が目の前に広がっていました。
あちこちで発生する液状化現象。なぎ倒される電信柱や信号機。見たこともないような道路の段差。橋が封鎖されて身動きが取れない車の数々。
「人間ってなんて無力なんだろう…」
そう感じた瞬間でもあります。
そんな地獄絵図の中、ただ僕が願っていたのは「死にたくない」ということのみ。
「どうせ死ぬなら、やれるだけのことはやって死にたい」と。
あのとき、僕は取り乱して色んな人に迷惑をかけ、あとから申し訳なく感じましたが、僕が取った行動すべてに後悔はありません。
だって、死になくなかったから。
当時、人生最大の目標である「北大合格」を叶えてしまって勉強には身が入らず、野球においても特に目標があったわけではありません。
ただ生きていました。
生きてるのか生かされてるのかわからないような生き方をしていました。
そんな僕が、はじめて「死にたくない」と思えたのが2011年3月11日。
生きることへの執着心がはじめて芽生えた出来事となりました。
人生最大の目標が決まった
幸いにも、合宿を張っていた街は津波が来ることなく、被害はありませんでした。
隣町はテレビで報道されるぐらい甚大な被害を受けていたので、本当に奇跡としか言えません。
東日本大震災本当に「死」を悟って、生きることへの執着心が芽生えた僕に”人生最大の目標”を与えてくれました。
それは、「長生きすること」です。
生きたい。死にたくない。できるだけ長く生きていたい。
いつもそう思っています。
生きているうちは色んなチャレンジをしたいと考えていますが、僕の根底にあるのは「死にたくない」という想い。
それは、本質的な意味だけではなく、精神的な意味も含まれているのかもしれません。
それ以来、自分の命に関わるようなことは避けるようにしています。
たとえば、バンジージャンプをすることも多分ないでしょうし、小さいとこでいうと体に悪い食べ物はなるべく控えるようにしています。
(欲望に負けて食べることはたまにありますが…)
だから、「明日死んでも後悔しないような生き方」はしません。
僕の目指す生き方ではありません。
だって、生きること以上に僕のやりたいことはないから。
生きることが最大の復興支援
震災から8年経った今日、それぞれがそれぞれの形で震災について考えていることと思います。
募金をしたり、SNSで投稿したり、すべてが素敵なこと。
そんな中、もしかすると「何かやりたいけど、自分には何もできない」という気持ちを抱く人がいるのかもしれません。
持つ必要のない無力感にさいなまれる人がもしかしたらいるのかも。
でも、僕はこう言いたい。
生きることが最大の復興支援だと。
生きることへの執着心を持って、一日でも長くこの世で生きることを楽しむ。
その姿勢が、隣にいる誰かを元気にするし、日に日に多くの人に伝わっていくはず。
生きていると確かに辛いことも多いですが、「生きる」という勇気があれば何も終わりません。
「生きる」ことさえ決めていれば、目の前のどんなことにも答えを出していくことができます。
そう、生きるという全てのanswerを。
8年前の東日本大震災を振り返り、僕は改めて、こんな生き方をしたいなと思いました。
「まだ死にたくない そう言えるまで生きて行こう」