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ノリでついて行ったら、人生が何もかも変わった2019夏の下田旅

「すみちゃん、下田に行くんだけど一緒に行く?」

東京で会社員をしていた2019年の夏のある日、僕がよく行っていたカフェの店員(Aさん)から突然言われた一言だ。

意味がわからなかった。

確かにその店員さんとは店員↔︎客の垣根を超えて仲が良かったが、なぜ下田なのか?なぜ僕なのか?そして下田とはどこなのか?

色々わからなかった。

話を聞いてみると、その数ヶ月後に僕が入ることになる会社の代表(Bさん)と下田の事業者(Cさん)を繋ぐのが目的だったらしく、僕とBさんがよくいるのをAさんも知っていたので、僕を見かけた際に声をかけてくれたらしい。

そして、下田とは静岡県下田市という地域らしく、下田の存在は恥ずかしながらそこで初めて知った。

こんがらがるので、関係図を作ってみました

面白そうな話ではあったし、断る理由も特になかったので「じゃあ行きまーす」くらいの軽い気持ちで行くことにした。

そして、これが僕の人生を変える大きな出来事となった。

顔と名前を出しても、2人的には全く問題ないと思うが、読者の混乱を避けるために今回はあえてAさんBさんと紹介する。ちなみに、この下田滞在で海に行った時に撮った写真である。

確か2019年8月24日。

記憶力が無駄にいい僕は、こういう出来事は日付まではっきり覚えている。

下田に行く当日、AさんBさんよりも僕が早く着いた。

だから着いたとてどこで何をすればいいかわからず、指定された場所に行ったらCさんに「はじめましてBさん!」と大きな声で挨拶されたが、「いや、Bさんじゃないです」と正直に答えたら「え、誰?」と返されたのをよく覚えている。

ちなみに"大きな声で"の時点で、僕の知り合いの何人かは誰のことかわかるだろう。


到着した日の夜にCさんの会社が運営するレストランで食事をした時、僕、ABCさんの他にDさんという女性もいた。

そのちょっと前に下田に移住したばかりらしく、Bさんの会社で地方移住関係のサービスをやろうとしていたので、その文脈で友人であるAさんが誘ってくれたらしい。

が、僕にとってはもうカオスだった。

ノリでついてきただけなので、目の前の人が誰なのか全く知らなかったし、何を話せばいいか本当にわからなかった。

BさんとCさんが事業について熱く語っており、Bさんの話の補足をしようとしてもその隙がないくらいに白熱しており、僕はただ飲み物を飲みながらうんうん言っていただけだった。

そしてDさんは結局何者なんだ?とわからずにその会は終了した。

そんな僕が、その2ヶ月後に下田に移住するんだから、人生はわからないものだ。

ご飯を食べたレストラン、の外(レストランは奥)

その日の宿泊先での一夜が、僕の人生の方向性を変えた、と振り返るとはっきり言える。

滞在したのが、(現在は名称も運営会社も変わったが)LivingAnywhere Commons(通称LAC)という多拠点生活サービスの伊豆下田拠点として使われる予定の施設で、リリース前ということでAさんのおかげで知り合い価格で泊まれた。

Aさん的には、この施設もBさんに知ってほしかったみたい。

何を隠そう、その後僕はLACのユーザーとして全国を飛び回る生活を始め、2022年にはLAC石巻拠点のコミュニティマネージャーにも就任した。

もっと言えば、今僕と仲良くしてくれている人の大半は、LAC生活の中で出会った人たちだ。

左側の白い建物がLAC伊豆下田。造船会社の社員寮をリノベーションして運営されていた。

そして、共用スペースでお酒を片手に話していた時、その場に混ざってくれたEさんとの出会いが、2ヶ月後に下田に移住する大きな決め手となった。

Eさんは、LAC伊豆下田で初代コミュニティマネージャーを務めていた人で、当時はCさんの会社の従業員だった。

LAC伊豆下田の運営を受託していて、その施設を管理していたのがCさんの会社だったのだが、今回は重要じゃないのでさらっと流してほしい。


Eさんは僕が「血の繋がっていない父」と称する人で、これまでも何か困った時や相談事がある時は、Eさんに相談することが多かった。

また、Eさんも僕に色々相談してくれて、「20歳年下の友達」と言ってくれている。

そんなEさんと初めて会ったこの日、なんと午前3時まで語り明かして、Eさんの魅力にすでに取り憑かれていた。

初めて会った僕の話をちゃんと聞いてくれて面白がってくれるし、自分の話をする時もしっかりと感情をこめて話してくれるし、何よりも地元である下田への想いが溢れていた。

東京も東京で好きだが、ローカルでこれだけ熱い想いで生きている人に出会えたのが嬉しくて、Eさんや下田を好きになる理由としては十分だった。

そして、「とりあえず地方で活動してみたい」と考えていた僕が、下田を移住先として選ぶ理由としては十分だった。

共用スペースで話していた時の写真。まだリノベーション途中だったため、こういう簡易的なデーブルしかなかったが、僕としては十分だった。

ちなみに、この時毎日ランと1年間の禁酒をしていたため、僕は共用スペースでの飲みの途中にランニングに出かけたし、朝3時までソフドリで話していた。

もしかしたら「(いい意味で)変なやつだな」とEさんにも映っていたのかもしれない。


1泊2日の下田滞在の2日目は、レンタカーを借りて下田観光をすることに。

海が綺麗だということで、水着を買って泳ぎに行くことに。

都会でPCとしか会話していなかった僕にとって、それはそれは楽しかった。

行った海に前日お会いしたDさんもいて、僕が口を開いているところを2日目にしてようやく見れたらしい。


ちなみに、そんなDさんは、今では家に定期的に遊びに行かせてもらうほど仲良くなったし、僕の会社の経理業務もお願いしている。

領収書などを送る際、一方的に手紙を送りつけているほど(?)仲良しだ。

水着は買った。ノリと勢いは大事

他にも黒船の遊覧船を見たりして、その後東京への帰路についた。

滞在時間にして24時間くらいだったが、この24時間がその後の僕の人生を何もかも変えたのはタイトルの通りだ。


その後の5年間について書こうと思ったら超大作になるので、ここからはかいつまんで書く。


下田に移住したのは、いろんなタイミングが重なったからだ。

  • Bさんの会社に就職して、地方移住系の事業をやっていたため、Bさん的にも僕にどこかに移住してほしかったらしい

  • LACでお試し滞在キャンペーンをやっていて、応募したら合格したから

そう、初下田でLAC伊豆下田に滞在して「ここなら全然住めるわ」とわかっていたため、「じゃあ応募しますわ」とBさんに軽く言って応募したら合格したので、「じゃあ下田に移住しますわ」と超軽く決めた。

初下田での出来事を、ものの2ヶ月で全て回収してしまった。


次に、働き方が大きく変わった。

会社員をしながら個人事業主として開業届を出したのだが、それは下田に移住してからだった。

Eさんのおかげで地域のいろんな方に会わせてもらって、いろんな形で関係性を築く中で「こんなことできる?」と相談いただくことが何回かあった。

そのおかげで個人でも売上を立てる経験ができたのは大きかった。

また、僕よりちょっと遅れて下田に移ってきた同世代と一緒に行動することが増えて、地域企業と一緒にイベントやプロジェクトをやるようになった。

そしてなんと、そのうちの一人と会社を設立した。

僕が参加していないプログラムで「下田に会社を作ろう」という話になったらしく、その仲間として僕に声がかかり、ほとんどノリで「いいよ」と返事をしたので会社を作ることになった。

LACユーザーから会社が生まれるのは初だったらしく、「初」に目がない僕なので二つ返事でやることにしたし、やってよかったなと今でも思う。

そして、自分自身も会社を設立した。

LACには、「多拠点生活」という特性上フリーランスや経営者など、生活にある程度自由が効く人たちが集まってきて、その仕事ぶりを間近で見ていたので、「僕も挑戦したい」という気持ちが高まって会社を作った。

「20代はいろんなことに挑戦する」と決めて、30代になる3ヶ月前に設立した株式会社midnight sunという会社も、もう4期目に突入する。

同じ時期に会社を設立した友達がLACには何人かいて、一緒に活動することは無くなったけど、今でも仲間意識はある。

そして、LivingAnywhere Commonsをきっかけに多拠点生活にも挑戦した。

旅をそんなにしてこなかった僕が、今では「旅慣れしています」と堂々と言うようになったのだから、経験の力はやっぱり大きい。

あと3県で47都道府県制覇なので、なんとか今年中に達成したいものだ。


このように、ノリでついていった下田旅から、僕の人生は何もかもが変わった。

本当に仲のいい友人にも、下田に移住した後からたくさん出会えた。

なので、5年前のあの日にノリでついてきてよかった、と心の底から思うし、僕を誘ってくれたAさんには頭が上がらない。

「あの誘いがなければどんな人生だったのかな?」とたまに考えるが、この5年間がめちゃくちゃ楽しかったので、それ以上の楽しい5年間を想像することはできない。

下田での思い出は数えきれないほどあるが、「ご近所さんからもらった梅で梅ジュースを作った」のは思い出TOP5に入っている。こういうのまたやりたい

そんな僕は、今は宮城県石巻市に住んでいるが、これも「ノリ下田旅」がなければ絶対に実現していなかった。

2020年夏のある日、LAC伊豆下田にLACの代表(当時)のFさんが来ており、ご飯を食べながら話していると「すみちゃん、今度石巻に行くけど一緒に行く?」と言われた。


来た、一年越しの意味がわからない突然の誘い。

話を聞くと、石巻にもLAC拠点を作っている最中で、イベントをやるから一緒にどう?という感じだった。

また、「巻組っていう面白い会社がやってるから、ぜひ会ってみるといいよ」と言われて「じゃあ行きます」とこれまたノリで決めた。

この株式会社巻組は、僕が石巻に移住してから3年くらい業務委託メンバーとして仕事をしているし、僕自身もサービスを利用させてもらっているくらい、僕の石巻生活を語るには外せない存在の会社である。

ちなみに、参加したのはこのイベントだ。

それから何度も、LACを使って石巻に滞在することになったのだが、「シンプルに面白すぎた」のと「他の街では得難い価値観に触れられる」とわかり、2021年秋に石巻に移住することにした。

もうすぐ3年になるが、石巻でも素敵な人にたくさん出会えて、楽しく暮らせている。

どこかでも触れたが、2022年にはLAC石巻のコミュニティマネージャーにも就任したが、これも石巻に移住しなければ有り得ないポジションだった。

石巻での出来事も書き始めるとキリがないので、ここまでにしておく。

ちなみに、この2度目のノリお誘いまで石巻のことはほとんど知らず、野球が好きなので「日本製紙石巻が強いよね」くらいの情報しかなかった。

「石巻ってどこ?」から始まったのは、下田と全く同じだった。


間違いなく言えるのは、ノリでついて行った2019夏の下田旅が、僕をここまで連れてきてくれた。

僕一人で切り拓いてきた道では決してなく、その時その時で出会いがあり、そこで出会った人が僕にいろんな機会を与えてくれたからこそ今の僕がいる。

今だからこそ思うが、Aさんも誰でもよかったわけではなく、僕だからこそ誘ってくれたのだろう。

この5年間での出会いや経験は、とても言葉じゃ説明がつかない。


それこそLACを使って日本全国を旅するようになり、一時期は狂ったように旅をしまくったが、最も忘れられないのはこの2019夏のノリの下田旅だ。

なぜなら、僕の人生の何もかもが変わったから。

いや、何もかもを変えてくれて、人生を楽しいものにしてくれたから。

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