半生
経歴 プロフィール
名前:角勇弥
ふりがな:すみゆうや
生年月日:1989年5月25日生
出身:鹿児島県
兄弟:男5人兄弟の3男
育ち:大阪府八尾市
中学:曙川中学校
高校:益田東高校(島根県)
大学:大阪商業大学
仕事:オーナー業
現在年収:非公開
現在資産:非公開
分析と解析:AI・web3・NFT・投資・M&A・会計・税務・金融・株式・法律・企業経営
趣味:仕事・スポーツ全般・納税
嫌:保険の提案してくる人・パクチー
転機 営業会社に転職編
いまだにあの時の事を鮮明に覚えている。
25歳の12月25日のクリスマスに人生が一変したことを
その日、上田氏と会社に帰社し、会社のみんなが祝ってくれた。今思えば、自然とこみ上げすぎて泣きすぎてた。
その前の年、24歳の9月1日にその大阪の営業会社に転職し、初めて営業職というのを始めた。なぜ、営業職なのかは単純にお金を稼ぎたかったから。その会社は月に何百万円という月収を稼げるという。。当然に疑いながら求人を見て応募してみた。
そして面接当日の日に面接前にまず渡されたのは30分以上はかかるだろうと思うほどの書類を記入しないといけないと言われ、絶対終わらないと思って、10分後。面接官の登場。一言目は「なぜ全部書き終えてないんや?」から始まった。圧迫面接。いろいろ詰められて、それでも稼ぎたいのでやりたいことを伝えると2人目の面接官が来た。
優しい口調で「どうや?やってみたいか?」と、それに「はい!やりたいです!」と答えると上の営業フロアに案内された。そこには今まで見たことない営業会社としての風景があったのを覚えている。
それから今まで働いていた職場を退職し、一新して頑張ろうと新たに働き始めたがそれが全く仕事ができなく、こんなにも営業って難しいんかと自分でも焦った。毎日、朝7時には会社に出社し、終電で帰る日々。そんなある日、会社を遅刻してしまった。当時の直属の先輩の大原さんは、上司から角(私です。)のクビを通告されていた。その会社は新人は遅刻したら、即クビになるので会社に居られなくなる。クビを回避するためには罰金を払うしかない。大原さんは入社したての角の代わりに罰金を払って、会社からのクビ通告を無しにしてくれた。大原さんとは当時の事を今でもよく話したりするが、営業素人の角のひたむきに不器用ながらの頑張りをみて、数年後の未来を予見してたみたい。角は化けるんではないかと、何か持っているのではないかと。それか、一緒の日に入社したのは15人くらいいたが、残っていたのは角しかいなかったからか。
それでもあの時、大原さんが罰金を払ってくれてなかったら、今の角は無い。
いまだに大原さんの先読み能力というか、天才、むしろあれは天性なのか。
天性 天才との出会い編
24歳の9月7日、角が入社してから1週間後の出来事。
朝礼前からざわざわざわついている上司たちがいた。何かと聞く耳をたてると、バリバリの営業マンが入社してくるとのこと、、、その時は負けないように頑張ろうと思ってたけど、出会ってみたらなんか雰囲気がこんな感じ
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営業会社に転職編の冒頭に出てきた上田氏。
上田氏との最初の出会いは何者だ?から始まったが、上田氏との出会いで角は人生が一変したのは、後の話。
朝礼と上田氏の紹介が終わり、皆が営業を始めた。
上田氏は大原さんの左側の席につき、(ちなみに角は大原さんの右側の席)営業マニュアルとノートとペンを持ち、過去の先輩の営業録音を聞きながら、ノートに書き込みを始めていた。
その日の夕方の時間帯に、上田氏が部長に営業させてくださいと伝え、初日から営業をスタートさせていた。
これこそまさに天才!
全員、上司たちも聞く耳を立てて上田氏の営業を聞き入っていた。大原さんからは小声で角に「角、あれが天才って奴や」角呆然。
そのあと、営業を始めて程なく上田氏がレコード記録達成。
初日に初契約をまとめていた。
今でも思うが、今まで何人もの営業マンを見て来たが、上田氏の営業能力は他の営業会社でもトップに立てるだろうし、この業界でなくても稼げたであろう。ずっと年収も3000万円超えてたし、、、いづれにしても、未だに上田氏の営業能力は天才的。
あの人間力と営業力は人を惹き付かせるよね。
そういえば、角の入社初日は部長から営業マニュアルを渡され、すべて覚えたら営業の練習をしてやると言われ、昼過ぎには部長に「営業マニュアルを覚えました!練習お願いします!」っと言い、ガチギレされた記憶がある。「そんな早く覚えれるか!お前何も覚えてないやろ。お前舐めとるな!」ちなみに女性の部長。初日から激高させた角。それもそのはず、マニュアルの分厚さ。絶対に営業素人には理解できない内容と量しかない。角はとりあえず、体で覚えようと何もわかっていないのに部長へ報告していた。
他の新人たちは夕方くらいに部長に報告し、やはり激詰めされてた。その日21時(初日はさすがに早く帰らされた)会社帰り際にマニュアル覚えてこいと言われ、新人全員に伝えられた。ただ、3日程経って会社に来たのは角だけ。
今思えば、あのマニュアルに、上司から理論武装で、あんなでかい声で、回りの上司から圧をかけられての営業の練習。よく残ったな。
退場 クビと神戸時代編
その年、24歳の11月15日、角は作業着で三宮駅近くの琴ノ緒町2丁目のマンションの清掃に向かっていた。
自分の手には清掃道具のバケツ、雑巾、ケミクール他いろいろ。現地に着くと、清掃を始め、自分なりに綺麗にしていた。
寝るところは布団を1枚引いたら隙間もなくなるほどの大きさの部屋。たしか、その部屋11平米(家賃は5万円)。
その部屋の浴槽はトイレと洗面台がセットになっている三点ユニットの造りで、バブル期以前に建てられたワンルームマンションではよくある。
三点ユニットの大きさは横1メートル、1メートル。(最近の1Kのマンションは浴槽だけで1014といった大きさで、横1.0メートル、1.4メートル)
ようは狭すぎるトイレとお風呂。もちろん、大でもしようとしたら、足なんて広げれない大きさ。
そういえば、その鏡の前でよく自分に言っていた。おまえはその程度の男なんかと。
実はこの清掃していたワンルームの部屋は会社の社宅でこれから自分が住むために、自分できれいにしていた。自分なりにね。ただ、前の入居者が何年か住んでからの退去だったので、あれは今思い出しても汚かったし、狭すぎな。あまりの汚れ具合に自殺部屋か!ってツッコんだわ。
角が入居して半年後に退去してから、会社はスケルトン(設備、壁、床などを全て剥がしコンクリートむき出し状態にすること)状態にしてからのリフォームしてたし!角が住んだ時と大違い。角を雑に扱いすぎです。
話は戻って、1カ月前。
営業を始めてから1カ月が過ぎようとしていた。毎日、朝から終電まで。もちろん休みも休暇も一切無い。毎日のように上司たちに激詰めされてる角。
何をしてもうまくいかない。
成果も上がらない。
あるのは元気とやる気と気力。
よく上司に詰められた際に言われてた。
「お前は2カ月の命や。この営業会社はな、入社2カ月で成果が上がらんかったら、クビになるんや。だから全力でやって会社から去ったらいい、っていうか、なんでまだ会社に来てんねん!数字持って来れないんやったら、明日から会社来るな!邪魔じゃ」
毎日のように言われてたから、今でも鮮明に覚えてるけど、今思えば頑張ってるのに冷たいな。
今にも辞めさせられそうな角の横の席では大原さんと上田氏は契約上げまくってた。大原さんはその月の給与は何百万やったし、上田氏も意味わからんくらい契約の話持ってきてたし。
そして、あっという間に入社から2カ月が過ぎ、24歳の11月14日に角はとうとう社長室に呼ばれてしまった。
この2ヶ月が過ぎてからの2週間は、上司たちに「どうしてもやりたい!続けさせてほしい!」っと懇願し、2カ月で会社をクビなるのを2週間粘って、上司にデスクを取られようと、花瓶が置かれようと、パソコンが無かろうと会社に居座り続けていた。そもそも、角はいない存在、無い者扱いでしたね。
上田氏は何も営業がわかってない角を優しく教えてくれてたし(上司に詰められすぎて、頭真っ白で、何も頭入ってこんかったけど)、大原さんは入社2カ月以内の者にご飯を奢るの禁止だった会社のルールを無視してくれて、吉野家大盛を奢ってくれたな。
部長から社長が角を呼んでるから行けと言われ、角は社長室に向かった。ノックして、社長室に入る角。
社長から少しの間をおき、「おまえはもうこっちでは面倒見れんのや。明日から本社に行って来い!月収15万円で本社の会長には話は通してるから」っと言われた。
言われるのはわかっていた事だが、気づいたら角は泣きながら、まだ居座ろうとしていた。
本社が嫌だとか、月収が嫌だとかではなく、単純にまだまだ角はできるんだ、これからなんだと。
周りから見ても、今振り返って思い出しても、全く成績が上がる予感も無い奴が、なぜか根拠の無い自信があった。ただ、全く根拠の無い自信と口だけのため、角は本社に飛ばされることになる。
本社と聞くと、少し良いイメージを持つかもしれないが、その会社の本社は管理業務がメインで雑用が基本。毎日が掃除。朝から晩まで掃除して、空いた時間に業者回りに営業に出る。
社長から最後に本社で1年間耐えたら、大阪の営業所に戻ってきていいと言われ。角は次の日から、本社のある神戸三宮に向かった。
全力で毎日を生きた神戸時代。本社から言われたことは何でもやった。何でもだ。何でも。
ただ、お金がやばかった。そもそも生活ができない。飯もろくに食えねえ。朝の朝礼終わりに卓(読み方:タク、神戸時代は毎日のように一緒にいためちゃめちゃ面白くて良い奴。年下だが、本社では先輩)と、うどんを食べに行き、うどん屋のおばちゃんに無料の天かすをいっぱいもらってた。そして、夕方前にビックサンダーのチョコを1つ。
神戸に来て半年後、社宅家賃をこのまま引かれたら死ぬと思って、社宅を出た。
社宅を出てからはオンボロ車で寝泊まりし、会社近くの二宮温泉でお風呂に入るようにしてた。
車で寝泊まりするようなってから、病んできてるのか、臭くなってるのか、しんどいのか。高校時代の寮生活ではきつい思いはしてきた記憶はあったが、あの神戸の最後の半年間は腐ってたのかもしれない。
そういえば、金が欲しいから会社所有のラブホテル清掃とかも立候補してバイトさせてくれと会長に言ってたな。
【書きながらいろんなことが鮮明に思い出してくる。ただ、書こうとしたら、手が止まらなくなるのでいろいろ割愛させて頂きます。】
神戸に来てから、1年が経とうとしていたある日、卓(タク)がご飯を奢ってくる言ってくれて、すぐ向かった。
そして、卓とご飯の最中に一本の電話が鳴る。
覚醒 歓喜と夜明け編
神戸の本社に来てからの25歳の11月6日、卓(タク)と本社近くの焼肉屋でご飯を食べてる中、上田氏から着信があった。
電話に出てみると、明日から大阪の営業所に戻れるという電話だった。
1年間、神戸本社で我慢できたら、大阪の営業所に戻れるという条件を出されてから1年近く経つ。戻れるのは吉報だったが、戻ってからの生き残れる条件が1つ。ただ、それが厳しかった。
その年の忘年会の前日までに会長が指定した売上目標を達成すること。期間としては11月7日から12月25日の約1ヶ月半の間に売上目標の達成が必達だった。その目標が当時では絶望に思える数字。未達成なら、本社にも戻れない、ただただ会社から放り出されるクビ。
それであっても、角には選択余地などあるわけなかった。
角との電話の前に上田氏は会長と角の営業所に戻す話をしていて「角は戻っても絶対無理。営業センスがない。」などと会長から言われ、角を戻すのならと条件を提示され了解していたらしい。
11月7日、角は上田氏の部下として大阪の営業所に戻ってきた。
1年前とは違い、あの時の営業メンバーとは変わっていた。社長も変わっていて、知るメンバーは課長と役職がついていた上田氏、大原さんとあと数名だけに。
この会社での第2の営業人生が始まり、本当の終わりが日に日に近づく。
毎日のように周りは無理やろ。神戸で何してきたんだ。違う会社行ったほうがいい。上から目線で知らないメンバーからそんな声が聞こえてきてる中、上田氏が営業に付き添ってくれ、がむしゃらに営業へ奮闘していた。
そして、あっという間に時間が経ち、誰もが角の事を諦めた12月25日のクリスマス最終日にあるお客さんから1本の電話によって角は人生が一変した。
もしもし、角さん?いろいろ考えたんだけど、やっぱり契約を進めたいと思いますのでお願いしてもよろしいですか?
は、はい!頑張ります!任せてください!
奇跡が起きた
すぐに上田氏に連絡。だが、上田氏はちょうど昼休憩で寝ていた。往復ビンタで叩き起こし、車でお客さんの待つ神戸の須磨に車で向かった。
車では契約前で緊張している中、上田氏は横で寝ていた。上田氏からしたら契約など手慣れたものだから仕方ないかもしれないが、角は挙動不審者そのもの。
無事到着し、お客さんと会い、いつの間にか契約は終わっていた。
おいおい、2年近く苦労したのにこんなに簡単に終わっていいのか?
何にそんな難しいと思っていたのか?
ダメな理由をダメな理由で終わらせていたのか?
言い訳に言い訳で蓋をしていたのか?
一般論として人生の中で数千万円の取引なんて人生の中で一度あるかどうか。お客さんの人生のその一度のタイミングで自分が担当になるなんて、なんて確率。
会社に帰社すると、上の空だったのが、クリスマスと同時に皆が祝ってくれ、喜び、歓喜した。そして、この会社に生き残れるのが確定した。
朝から晩まで、休みも取らず、気が狂うくらい走り続けた結果なのか。
壁に逃げずに乗り越えようとし続けたからなのか。
乗り越えれないものは存在しているのか。
営業の神様は存在しているのか。
わかっていたことは来月もらえる給与は神戸時代の軽く10倍以上にはなった。
後にわかったことといえば、大阪営業所に戻ってからの1カ月半の給与は会社からもらっていたが、実際は上田氏の給与から角の給与分を引かれて支給されていただけだった。それは会長と上田氏が別で約束していた角が大阪営業所に戻れるもう一つの条件があったとのこと。上田氏が角の給与を自腹切る条件だったことを上田氏は初契約の日まで一言も角に言ってこなかった。
強烈な願望は必ず叶う。己の潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと。神戸時代、会長によく言われていた。聞いたこと、言うこと、見ただけでは到達することなどはできない。我が身をもって経験することでその言葉は生きてくる。今でも本当によく思う。
それまでの苦労は後の基礎となり、知恵となり、稼ぎに変わっていく。
契約するまでは出口のないトンネルを走り続けてるような、ずっと夜中を徘徊し続けるかのような、時間がたっても夜明けも来ない、そんな期間だった。
歓喜に湧く最終日に角には少しの光が見えたような気がしていた。
その少しの光が変わるのが翌年の2015年、26歳の年。少しの光しか見えなかったのがはっきりと見えるようになる。
年が明けた2015年、さっそく営業へ繰り出す。
次に契約が取れたのは成人の日、角にどんどん契約の話が上がってくる。初契約が取れたら次の契約には数ヶ月かかると言われたジンクスがあったようだが、角には一切関係なかった。今まで溜めていたものが爆発したかのように。ただ、はっきりとは自分の中で確信したわけではなかった。
光がはっきり見えるために、流れに身を投じていただけに感じていた。
上田氏との話の中で数字、ロジックという言葉がよく出ていた。ある日、上田氏のデスクの書類を取りに行くことになり、デスク内で書類を探していた。その棚には入社当時から上田氏が営業のトークロジックと数字を何冊にも亘ってノートに書いていた。それまでは上田氏の事は誰もが天才と思っていたことだが、そのノートの量を見て思った。めちゃめちゃ努力型。
それから数カ月後、少しの光しか見えてなかったのが、 26歳の7月に覚醒する。歴代で1番の数字らしく、その月の月収は1000万円を超えた。
自分の中で何かが変わった。今までの点と点だったものが、全てがきれいに繋がり合わさっていく。
数カ月前、数年前とは比べ物にならないお金を得るようになり、他の者のように自分もその月はさすがにサボるのかと思ったが、今まで通り、毎日朝から晩まで営業をし続けていた。
隣チームの課長が言ってきた「なんでそんなに頑張るのか?もう十分でしょ」
角はこの言葉を受け「なぜ?」と返したのを今でも覚えている。
退屈 挑戦と東京編
続く・・・
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