#15 身近や平凡を楽しみ尽くしたい 野村大さん
どうもスミゾウです。
自分が是非会いたい人、話を聞きたい人へラブコールを送り、その内容を記事にしていく100本ノック中です。
参考:スミゾウnote始めます。
「デザイナーで双子の父です」と自己紹介をする。野村大(のむら だい)さん(以下、大さん)。フリーランスとしてDesign TOTTO(デザイン トット)という屋号で仕事されています。
仕事内容は、全国からの精密機械やロボット等の製品デザイン、飛騨地域ではデザイン全般の制作(ロゴ、広告、WEB、動画)をされています。
最近では、家を新築し一画を仕事場とされています。
(#05記事の浅野翼さんが設計されました)
才能を突き詰めるでなく、総合力のタイプだと思う
「北九州市で生まれ育ちました。製鉄所などがあり、かつては大工業地帯でしたが、少しずつ街が衰退していく時期でした。良く友達が転校していた記憶があります。今振り返るとそんな経験から、1つの事を突き詰める事は素晴らしい事だが、同時に危うさもあると感じていたのかもしれません。」と話す大さん。
高校時に、岡本太郎の作品や、南極の写真集に出会い、大きい物をつくるという事に憧れ、大学は京都の建築学科へ進みます。
「大学へ行くも正直面白くなかったんです。1年学び休学し、フランス、イタリア、モロッコへ建築を見に行きました。帰国した後、バイト先の建築事務所の実務が楽しくなり、そのまま大学を中退し就職しました。
自分の特性として、道が決まりそうになると突飛な行動を取り、別の土俵に行きたくなるところがありました。多分、才能を突き詰めるタイプではないので、自分が平凡である事を認めたくなかったんだと思います。」と振り返る大さん。
勉強は幼少のころから割とできる方、その都度可能な選択肢の中から選んで進路を決めてきた感覚の様です。スミゾウもそうでしたが、ある程度の道筋が想像できてくると、別の土俵にうつりたくなる感、もっと別の事ができるんじゃない感が大さんにもあったようです。
建築設計事務所からWEBやデザインの世界へ
「建築設計事務所で4年程働かせてもらいました。建築設計業界の構造だと感じていましたが、長時間考察して働く割に経営が安定しない事に違和感をもっていました。2000年当時、ブログの黎明期があり、建築事務所のブログを自分で製作した事からWEBの世界と出会いました。その時に、自分に合ってる自由な世界だと感じたんです。」
当時ブログをやっている人は変り物が多く、今や世界を代表する会社の役員になった方もいるようです。マニアックな人が多く、楽しい時期だったと大さんは振返ります。
「その後、総合デザイン事務所に入り約10年間働きました。個人主義の会社で、社員1人1人に個別の仕事が付くような働き方でした。そこで様々な経験をさせてもらった事で、仕事の幅が広がりました。特徴的な仕事はロボットのディレクション。メカ設計者とデザイナーの異なる思考を翻訳しコミュニケーションをとり、本来あるべき状態にするために方向性を合意する事をしていました。」
「ただ、務める時間が長くなると、その企業の型にはまってしまう事や、自分で手を動かす機会が減る事、管理する仕事が増えるという状態に危機感を持ちました。このままいくと会社に依存して生きていく事になってしまうと。」
そう感じた大さんは、何かに依存しない生き方をするために、2013年にフリーランスとして独立します。独立当初は、前職の仕事がメインだったと語られます。
京都から飛騨へ 仕事のやり方の変化
「妻が飛騨高山出身で長女、地元に戻りたいという話を間接的に聞きました。直接は言い出しにくかったみたいですね。元々暮らす場所は自分達で選べるようにと考えていたので、移住しようと決めました。ただ、当時は今ほどオンランでの仕事が一般的でなく、今の仕事をそのまま飛騨には持っていけないのが課題だと感じていました。」
そこで、大さんは今までの仕事も可能なものはやりつつ、飛騨の仕事を増やそうとされます。実際に飛騨に移住してから約1年は家で仕事していたが、まったく飛騨地域での人脈が広がらなかったそうです。
「コワーキングスペースの会員になったり、ゲストハウスで仕事をしたりなど飛騨での人脈を広げる動きをした結果、色々な人と繋がれまいた。また、行政主催の起業セミナーに参加した際には、これから商売を始めようとしているセミナー参加者がお客様になると感じ、自分のできる事をPRしていき、仕事が増えていきました。」
「飛騨地域の人は、窓口1つでいろんな事をお願いしたい気質があると感じています。その際に、デザイン事務所時代の様々な経験が今に生きています。現状、売上の8割は飛騨外だが、徐々に飛騨のウエートを上げていきたいです。」と語る大さん。
これからは、身近や平凡を楽しみくつしたい
「仕事と生活のバランスを大切にしてきたい、身近や平凡を楽しみつくしたいと思っています。自分にとっては自由度を保つ事が大切なので仕事はこれからも1人でやっていくイメージです。いつか家の近くに自分の小さな事務所兼カフェのようなものつくりたいという夢もあり、もう名前はきめてるんです。」と嬉しそうに話す大さん。
双子のお子さんの成長に親として楽しく関わっているようで、最近は家の庭づくりを一緒にされているそうです。仕事観と子育ての考えもつながっているようで、
「デザインは物事をあるべきところに整える事だと考えてます。いいものを見てつくる事が大切。子供にも自分がいいと思う事をインプットしていきたいです。ただ、子供達がどう感じるかはブラックボックスなので、アウトプットとして出てきたもの受け入れようと思っています。」
というスタイル。
「10年前の自分に平凡や身近というと必死で否定したと思うが、今はそれを大切に楽しみたいと思えるようになりました。子供もいるしね。」
と大さんは優しく語ります。
スミゾウ’S アイ
過去を振り返りながら、自身を総合力タイプと語る大さん。
仕事の幅が広いが、物事をあるべきところに整えるという事、何かに依存せずに自分で決められる自由度を保ちたいという思想が軸にあるのではと感じました。
過去、道が決まると突飛な行動をとって別の土俵に行きたがる傾向があったというとこは、自分も同じ傾向がありました。
今は自分の身近なそして昔は平凡だと思っていたことを楽しみつくしたいという大さんの想いは色々経験してきたからこその感覚なんだろうと。
こういう大人っていいよなー、これからの大さんはその思想からぶれないだろうと感じました。
スミゾウも総合力タイプだと感じているので、軸の部分をしっかり持ち端的に伝えられるようにしていくのが大切だなーと改めて感じました。
「想像の先の可能性の先を楽しもう。パッション妄想ニストみたいな感じか?」もうちょっと端的に伝わる言葉を考えます(笑)