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感情の奴隷になって、会社を辞めた。

 ある時、タイムラインで「感情の奴隷になってはいけない」という言葉を見かけた。その投稿では、感情の奴隷になっている人が多すぎると語っていた。自分から感情が湧くのではなく、自分が抱いた感情に囚われてしまう。

 自分にも覚えがあることだった。去年の私は怒りに囚われていた。

 前職で、内示が出た後に知らずに異動になって、体制図にいるはずの場所に自分の名前がないことで異動したことを知った。疑問符が浮かんだ。このままこの会社に私は居続けるべきなんだろうか?

 結果として、担当することを楽しみにしていた仕事は別の人がやることになった。私は、自分の居場所が奪われたように感じた。怒りしかなかった。

 あの時の自分は冷静な言葉では自分の感情を綴ることはできなかった。1日の大半を私は怒って過ごした。夜も激しい怒りに襲われて、眠れなくなってしまった。睡眠薬を使わない限り、寝付くことができなくなってしまった。

「環境を変えなければダメだ」という思考が初めて頭をよぎった。


 去年の春頃ある会社からスカウトを受けたことをきっかけに転職活動を始めた。そんなこと望んでいなかったと思いながら、色々な会社に応募し続けて、多くの面接を受けた。個人でクリエーターとし立つために作りかけだったポートフォリオサイトは転職のために使うことになった。本当はいつか独立した時に使おうと考えていたものだった。もともとキャリアアップをしたいと思って転職したわけではないから、志望動機は「今の環境にいたくない」だけだ。面接の中で「何がしたいのか?」と聞かれた時に、就職活動以上に上っ面の言葉しか言えなかった。転職においては1つしかない枠を多くの人で争う。

 ある程度の学歴があって、それなりに名前の知れた会社にいた人でも、相手が求めている枠に入らなければ落とされる。新卒はポテンシャルで取ってもらえるかもしれない。けれど、中途はマッチング度合いも重要視される。30代以上になれば、それだけ求められるものも大きくなる。

 正直、どこが第一志望というのもなかったし、環境を変えることさえできればどこでもいいと思っていた。私は思っていた以上にたくさんの会社を受けて、書類でもかなり落とされた。自分が否定されたようで落ち込みながらも、環境を変えたいという一心で、なんとか今の会社に決まった。去年の十月に会社を辞めて、12月に新しい会社に入った。

 決まった後に、最終的に上司にパワハラ発言をされたこともあり、去年の一年、私はサイヤクな厄年とも言える一年を過ごした。怒りに囚われていたせいか、人間関係でうまくいかないことも多く、怒ってばっかりだった。怒っていることに疲れる瞬間すらあった。2020年と2021年は感染症下で自分自身も動けず、人間関係的なゆらぎも少なかった。

 コロナが明けたこともあってか、去年の自分は異動から会社を辞める決断をして転職活動を行い、転職した。こんな大きな動きをもたらしたのは「怒り」だった。

 今、考えれば、私は「怒り」という感情に囚われていたのかもしれない。結果として、強い怒りの感情は体調不良を呼び起こした。一年の時間が経って少しずつ、感情から再生していく中で、安定した生活を取り戻すことができている。けれど、一番は環境を変えたことだ。

 負の感情に囚われてしまうぐらいなら、環境を変えた方が良い。もし今、自分の感情に苦しんでいる方がいたとしたら、何らかの形で環境を変えることも一つの解決策になるのかもしれない。

 その方の投稿では、思考をホワイトボードだと考えると良いと書いてあった。悲しいならなぜ悲しいのか、考えて書き出すことで整理し、理解することで最適な選択肢を取ることができる。けれど、私は退職するか悩んでいた時も日記のような形式で感情を言語化してはいたもののコントロールすることができなかった。

 感情に囚われた自分が転職という決断を取ったこと自体に後悔するポイントはいくつもある。けれど、唯一良かったことといえば、退職と転職の合間に2ヶ月の有給消化を行う中で様々な景色を見ることができたことだ。

ロンドンアイからみた夕日
ロンドンアイ

 大学時代には行けなかったロンドンへの留学に短期でも行くことができたこと。初めて、オックスフォード、アムステルダム、バルセロナに行けたこと。そのまま仕事を続けていたら見れなかった景色を見れたことをプラスと捉えるしかない。

 もうすぐ一年が経つ。去年、感情の奴隷になった、サイヤクな一年をなんとか少しでも変えようとした私の決断は前に進むためのものになったのだろうか?

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寿美伶奈
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