限界OL、精神的にも肉体的にも限界を迎えて独立することになります。 会社でハラスメントが起きたのが去年10月。病状はどんどん悪くなり、CRP15(通常1以下)をこえる胃炎にもなりました。それでも深夜に呼び出されて夜中まで仕事をしたり、後輩と共同でハラスメントは訴えても改善されず逆にわたしが異動することとなりました。 そこからいきなり環境が変わり、わたしはなんとかして馴染もうと努力すると同時に睡眠薬を使っても寝れない。体が痛くて痛くて涙が出るという毎日が続きました。
たまたまスケジュールが空いていたので、ツイートみて勢いで人生逆転祭申し込みました。超有名な方がでているということですが、私は竹之内さん青笹さん以外誰も知らず、みなさんが記念撮影してる中、この人たちは誰なんだろう?とポカンとしてる感じでした。 急遽差し込みになったという竹之内さんの20分間の講演内容をレポします。 私はモーニングルーティン動画が最高で好きです。 最新の動画 かつらをとるところがよいです 講演の内容 ・過去の自分 優秀じゃないといらないと考えていた。
「適応障害は後に引くから絶対に無理しちゃダメ」と友達に諭された。 今の私は、何かがおかしい。 早口になっている。そう指摘してくれた大学の時の友達も適応障害になってしまったらしい。 一度目は仕事の忙しさで、休職をしてその後2回休職を繰り返したのだという。 富山にいた彼女は、適応障害になって結果として鬱になった。 富山の雪国の冬が合わなかったのかもしれない。 東京に帰ってきてからも完治はしていないという。 3年経っても完治しない。 頑張りたいと思って頑張ってしまう。ぶり返し。
私はIZONEが解散する直前からの咲良ちゃんペンだけど、今回ひさびさに咲良ちゃんに直接会えました!EASYのカムバックショーやファンミやリッツでのイベントやらテレビ収録などはあったけど、直接はアンチフラジャイル以来かも! けど、それなのに。 当日まで頑張って仕上げたオタバック、取り上げられました。 うちわも、アクスタもこのために準備してたというのに!! 首からかけられるならOKじゃなかったっけ? 言ってみて「えっ」となっている方が想像以上に多い印象を受けました。 【
体が動かないというのを初めて体感した。 夜寝て、朝4時に目覚める。 絶望感に襲われて泣く。 また少し寝る。 朝7時頃には目覚めて活動する。 疲れは取りきれてない。 それがほぼ毎日つづく。 睡眠薬は強くなったのに3時や4時に目覚めるのはなんでなんだろう? 少しのことで泣いてしまう。 私はこんなに弱い人間だったのか。 朝活ができるようになったこと自体は良いけれど、寝れないから疲れは溜まっていく。 今週ひどい状況になったのは完全にプロジェクトのトラブルが原因だ
就活で第一志望だった企業の女性活躍セミナーを聞いていて、あまりの退屈さに別の作業を始めてしまった。 驚きだ。女性の履歴書を語るセミナーだったけど、司会というよりその人の人生が魅力的でないと思ってしまったのだ。 私は今まで良いと思ってきた人生がつまらないと感じるようになってしまった。それがこの1ヶ月余りの休みでいちばんに変わってしまったことかもしれない。会社の中でキャリアを積んで、管理職に昇進して、結婚をして子育てをして、立派な会社に勤めていればいるほどそれはそれで幸せ
10月に入ってから目に見えて、クリエイティブ職の正社員のオファーが増えた。 1日に何社もいただくこともある。それもどれもみんな知っている企業ばかりだ。 中には自分がやってみたいと感じてしまう仕事もある。 もし、自分の体が2つあったらどちらも挑戦してみたい。 会社に残る気はない。 けれど、新しい環境でまだやりきれなかった広告の仕事にもっと挑戦してみたい。タレントを使った広告や大規模なプロモーション、クオリティの高い映像。質の高いウェブ広告。今の会社に入ってから2年も経ってい
誕生日前夜に深夜からトラブル。 仕事が1件消えた。お金は払ってくれるらしいのでとりあえず寝る。 けれど、寝れたのに、すぐに起きてしまい仕方がないので朝イチから仕事をする。朝4時。 やっぱり私はまだ体調が良いとは言えない。治っているとはいえない。 けれど、ありがたいことに仕事は山積みで少し減らさないとと思っていたところに1件へって、もはやラッキーぐらいに思ったほうがいい。 本当になんでこんなにバタバタなんだという気持ちで病院に行った。 顔色が悪くなるメイクをしたけれど、多分疲れ
「こんな素敵な舞台なのに、騒動に巻き込まれてしまったのが残念だ」という感想が第一に頭に浮かんできた。 私は中学生の時からKinKiを応援していて、SHOCKを見ること、年末年始のライブは家族の風物詩だった。「KinKiを見ないと年が越せない」と話したこともある。けれど、8月から数ヶ月余りは気が気ではなかった。 ジャニーズという存在が今後どうなってしまうのか? 人生の半分以上応援してきたKinKiはこのタイミングで道を別れてしまうのか? KinKiは長く活動してきたし
就職活動の時、良い会社に入れなければ自分の人生が死ぬんじゃないかと感じていた。 けれど、今、考えれば良い会社ってなんだったんだろう?年収が高くてハードに仕事をして、男性と肩を並べて働く。そのことだけが自分の求める正解のように信じ込んでしまっていた。 「女性には色々な生き方がある。歳を重ねる中で、子育てのほうが楽しいと思うかもしれない。プライベートが大事と思うかもしれない。正解はひとつじゃない。」 OG訪問をした時に、そんな風に言われたことがある。けれど、その時の自分
現代美術館ソウルは、ひとつの特別展というよりいくつかの特別展が並行して開催されている場所だった。 場所は景福宮のちかくにあり、観光スポットだからか周囲には平日にもかかわらず人が多い。けれど、美術館に一歩足を踏み入れると落ち着いている。 展示は1人のアーティストを特集したものというよりは、いくつかの作家の作品を並べて、時代性を抽出したもののように思えた。 作品自体から感じるのは不穏さ、先の見えない時代の不透明さというものを予期させるものが多いように感じた。それは、2023
本日はルノワールの『女優ジャンヌ・サマリーの肖像』を紹介します。 ルノアールことピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir 発音例、1841年2月25日- 1919年12月3日)はフランスの印象派の画家です。日本でも人気が高く、印象派と聞いたら真っ先に名前が上がる人も多いのではないでしょうか? 『女優ジャンヌ・サマリーの肖像』(仏: Portrait de l'actrice Jeanne Samary, 英: Portrait o
『ハンチバック』という作品を読む前は、もっと社会的な小説なのではないか?と想像していた。けれど、読んでみたら想像を越えて下世話な話だった。 今、自分が生きている世界は健常者向けにできている。いくらバリアフリーが進んだ部分があると言っても、そもそもの世界が健常者を中心に設計されているから小数の人に向けては作られていない。紙の本を読むといった行為も簡単にはできない。 生活の大半が病室や家といった室内が中心になる。オンラインで授業や仕事ができるようになった今ならともかく、
私が広告の仕事をしていて、広告クリエーターの仕事とインフルエンサーとしての仕事はベクトルが違うという話を聞いた。 「Look at Me」と「Look at This」 インフルエンサーは個人を見て聞いてと発信する。一方で広告はサービスや化粧品などの商材を紹介する仕事だ。 私自身は幼い頃から作ることに携わっていた。藝大に進学し、課題や展示などで常に作品を作って批評されるというプロセスを何度も繰り返していた。けれど、社会人としてデザイナーとして働くことを始めた後に
新しい試みとして、作品を紹介しようと思います。 まず、初めに取り上げさせていただくのはミュシャです。 チェコの画家アルフォンス・ミュシャ(1860〜1839)が1900年に描いた『四季』の《秋》をモチーフにしています。ミュシャはチェコ出身のグラフィックデザイナー、画家です。彼の描いたポスターやパネルは日本でも人気があります。 ミュシャは四季の題材を使用したリトグラフ作品を1886年、1897年、1900年に発表しました。それぞれの季節の植物を女性に擬人化して作品化してい
ある時、タイムラインで「感情の奴隷になってはいけない」という言葉を見かけた。その投稿では、感情の奴隷になっている人が多すぎると語っていた。自分から感情が湧くのではなく、自分が抱いた感情に囚われてしまう。 自分にも覚えがあることだった。去年の私は怒りに囚われていた。 前職で、内示が出た後に知らずに異動になって、体制図にいるはずの場所に自分の名前がないことで異動したことを知った。疑問符が浮かんだ。このままこの会社に私は居続けるべきなんだろうか? 結果として、担当する