さみしい、誰かに甘えたい【施設出身の精神障害者】
施設を出て、何年もたった。
過去に崩壊してしまった家庭は崩壊中だが、それでも一人じゃない。
施設出身からはかなり珍しく、私は母親に毎日会っている。
一緒に住んではないけどね。障害者だから一人暮らしの私は誰かのサポート不可欠とはいえ、これがどれだけ恵まれていることか。
それなのに、それなのに。
毎日、毎日、すごく寂しい。
精神障害を発症し、その1年後に児童養護施設に入った。
詳細は省くが、私の家庭は崩壊していた。
施設の職員さん(先生)しか、甘える人はいない。
ちょうど職員さんはかなり若いメンツがそろっていて、わたしはここぞとばかりに甘えて、甘えて。
発達障害もあって他児とのコミュニケーションが取れなかったから、施設入所中のほとんどを職員さんばかりとべったり、それはもうべったり過ごした。
もちろんシフト制だから、人はコロコロ変わるけど。
重い精神障害で発達障害もあるわたしは、他児よりかなり優遇された。
嬉しかった。気にかけてもらえてるって思った。わたしにもっと、もっと優しくして、もっと、もっと、もっと!
そう思った。
気にかけてもらえるならなんでもしたし、なんでも利用した。自殺未遂して救急車で運ばれ入院した時、わたしはピークで頭がおかしく、そして皮肉なことに、お見舞いに来てくれる施設の職員はいつどんな時よりとてもやさしく、そして顔には「かわいそう」と書いてあった。
そう、それでいい。わたしは「かわいそう」。だからもっとわたしの世話を焼いてくれ。
★★★
施設を出てから、母親と再会した。
家庭は崩壊しているのに、母親とは仲が悪くない。
今度は母親と歪な超依存関係になった。
それはもう、他人に度々依存関係を指摘されるほどに。
それなのに今でも思うのだ。
足りない、足りない、もっと甘えさせて。私にもっと優しくして。抱きしめてなぐさめてよしよしって、もっと愛情をくれと。
これは「母親に対して」思っているんじゃない。
「得体のしれない何か」に対して、もっと私にやさしくしろ、甘えさせろと思っている。
世界が怖い。
私は児童養護施設を出て何年もたったのに、頭も体も、何一つ変わっちゃいない。
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