月に願いを
夜が明るすぎるんだよね。
もっと暗くしてくれないと、隠れられないよね。
私が隠してあげるよ。私の胸に埋まればいいよ。
*
あの子は、おもむろにベランダに出た。
何がそんなに悲しいのだろうか。
私に癒すことはできないのだろうか。
「自分でもよくわからなくてさ」と、
あの子は爽やかに笑って、口元に火をつけた。
その澄んだ瞳にタバコは似合わない。
ボロアパートのすぐ横は高層マンション。
真夜中でも異様に光る蛍光灯に照らされながら
あの子は白い息を吐く。
*
ベランダから見上げる長方形の夜空。
全ての星座を映し出すには明るすぎたが、
北斗七星だけは見つけられた。
いや、
煙に潤んだ眼でそう思っただけで、
本当はただの飛行機の光なのかもしれない。
あの夜、キスをしてくれなかったのは
タバコの臭いが気になったからだろうか。
誰にも知られたくない。
でも、誰かに知ってほしい。
今日、あの子は実家に帰るはずだった。
荷物を取りにいくというミッションを背負い
重い腰を上げて昼過ぎに出ていった。
*
実家の最寄り駅の本屋で本を二冊購入。
その近くのカフェでマロンパンケーキを頬張る。
2杯目はドリンク半額になるお気に入りのチェーン店で、買ったばかりの本を読了。
ブラインドから射し込むまぶしい光が
紙に躍り出る文字を照らしていたが、
それはいつの間にか、
ボーと光る店内の間接照明に変わっていた。
会計を済ませて店を出ると、そこには藍色の空が広がっていた。
*
あの子はアパートに帰ってきた。
「え、折角そこまで行ったのに?」
よく聞くと親に夜ご飯を作っておいてと
ミッションを与えられたらしい。
私からしたら、久々の帰省なんだから
親にご飯くらいつくってあげてもいいのに
と思ったが、とてもあの子には言えない。
あの子には「人からのお願い」が重いのだ。
ちなみに、あの子は料理ができない。
普段使わない場所の脳ミソが消耗するらしい。
*
「なんで、タバコ吸うの?」
「自分が息を吐くのを実感できるから」
あの子は心に溜め込んだ何かを吐きだすように
立て続けにタバコに火をつけた。
私は今、姿の見えない月に願う。
「どうか、せめてあの子が吐き出した白い息が
全部見えるように、もっと夜を暗くしてあげて」
*おわり