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連載『人間未満黙示録』2022/11/14~11/20までの記録

2022/11/14(月)
・それは本当に突然のことで
12日土曜日に、母方の叔母が急に亡くなった。報せを受けたときはマジで何を言ってるかわからなかった。だって死ぬような歳じゃないし、と感じている自分がいた。急遽仕事を休んで実家へ帰ることに。大人になってから親族の死に直面していなかったので、礼服も何もない。「急に来てもらってごめんね、ありがとうね。」と小さく笑う叔母の妹、母の妙に優しい姿に、ああこれって全然異常事態なんだと感じながら、地元の小さいイオンに行ったり、親戚の分のご飯を買い出しに行ったり、お葬式の準備が淡々と進んでいくところを眺めていた。

それで冒頭の話に戻るけども、じゃあ「死ぬような歳」って何なんだ、何を指しているんだ?と自問した。これはたぶん「高齢者」のことを指しているのだろうけど、もっとかみ砕くと「人が亡くなってもおかしくない年齢」のことをいうのだろうと思う。なんか、そう言葉にしてみるとばつが悪いけど、例えばお葬式に来た人が、「もうずいぶん御年やったから……」と言うことがあるが、高齢ならばそれなりに死に対して説明がつくということなのだろう。たぶん、そう。何を書いてるのかわからなくなってきた。叔母は犬の散歩に出かけていったきり、帰り道か何かで倒れて、帰らぬ人となった。全然人って、いつ死ぬかわからないし、きっと叔母自身もまだ自分の死をよくわかっていないんじゃないか。家に帰ったら、厳かな空気と少しの団欒がただよう中で、犬は妙にさみしそうにうろうろとしていて、自分の身体は無くて。身体のなくなった魂はどこへ行くのだろう。

2022/11/15(火)
・朝が来ても目はさめないまま
叔母の葬式が淡々と進む中で、私にできるのは、娘が亡くなって錯乱した状態の続くおばあちゃんをなだめることだけだった。はた目から見ると、すごくしっかりした86歳だが、話が飛び飛びになったり、何においても己を正当化して話したりするので、お葬式のもろもろが遅々として進まないのだ。進んではいるけれど、議論や人々の会話はどんどん熱が入ったものになっていく。喪主である従姉弟とおばあちゃんがギスりかけている。私は両方の気持ちをなんとなく理解しつつ、居づれ~~~と思いながらも、おばあちゃんの相手をするという役目を自分から担い、少しでもこの空気がやわらかいものになるようにと必死で話をしていた。「みんな仲良く」なんてものは幻想で、それぞれ目の前のものに対する想いの形が違う。それを無理に合わせようとしたり、お気持ちの大きさバトルをする必要はないし、それは本当に無駄だと思うから、この中で一番部外者そうな顔ができる私が、必死に道化を演じる姿を見て、銅か人々よ笑っておくれと、思っていた。昼に食べたエビフライがおいしかった。

2022/11/16(水)
・記憶がない
この日のことをガチで覚えていないんやけど、私は何をしていましたか?仕事に言った記憶はあるのですが……。15日中に東京に帰ってきて、この日はきちんと会社に行った。そこまでの記憶しかない。なんなんだ本当に。

追記:そういえばクライアントのところに行って、提案を受け入れてもらったのを思い出した。仕事をもらいに行って、なぜかお菓子をもらって帰ってきた回だった。

2022/11/17(木)
・これからの話
仕事の休憩時間を起因に、これからの活動でしたいことを考えていた。そもそもなんとなくでかぶり始めたダンボールをかれこれ6年もかぶり続け、よくわからないままアイドルになり、ミスiDを受けた。そんな転換期から丸っともう2年が経とうとしていた。全部自分の意志で決めてきたことが絡み合い今があるのだが、どうも6年前の自分が想像していたこととはずいぶん違う場所に来てしまったような気がして、ずっとばつが悪いような気持ちでいっぱいだった。
「何のために音楽を続けるのか」みたいなことはもう考え飽きていて、昔はずっとその意味を求めていたけれど、その意味はもはや必要ではなく、ただ、「何をしたいか」ですべての行動を決めるべきだと、今では思うようになった。3年以内にりんご音楽祭とか出ようかな。あとライブをやって、そこで同人誌とか売りたい。
追記:ライブで「同人誌」を売るの、「同人誌」って言い方がめっちゃオタクでイヤ~~~!になっちゃった。かといって「ZINE」みたいなおしゃれなものではないし……。まぁなんか「手記」みたいな形で売るか……。

2022/11/18(金)
・朝早すぎ
朝から現場だったので、7時前に家を出ていた。ので、ちいかわのアニメが見れなかった。全然こっそり仕事中に見た。正直これ以外の仕事は、納品作業ばかりだったので、びっくりするくらい暇で、久々にだらだらと仕事ができた気がする。永遠にこれがいいな♪

・いつもフェンスの閉まった公園で
昨日ぐらいに思い付きで友達を呼び出して、飲酒に付き合ってもらうことになった。ありがとうございます。私の回転の速い脳を休ませるため、飲酒は週一ぐらいでやるべきで、定期的に脳に霧をかけるタームこそが休息になり得ると考えている。こういった時間は貴重で、なくてはならなくて、それでいて意味のない、どうでもいいことしかしたくない時間なのだ。くだらない話しかしていないが、それこそが早く大人になりすぎた人間にいま最も必要なことであるような気がしていた。冷たい空気が鼻から抜けて、脳からスーッと必要のないことが抜け落ちて、本当の感情だけが残っていくような感覚があった。な~んて書いておりますが、普通にめちゃくちゃ酔っぱらっておりました。馬鹿なのでコンビニでしゃぼん玉セット(¥200)を買ったが、買う際にめちゃくちゃ迷ってゴチャゴチャ言った末に買ったので、軽く自己嫌悪に陥った。余談ですが、こういう時に「BAD入った」と言うの、ちょっと苦手だ。感覚的に言わんとすることがわかる部分はあるけど、自分の言葉がないのか貴様……という気持ちになる。めんどくさいね!

・アイス食い妖怪
お酒を飲んで帰る時、人が隣にいようといなかろうと、コンビニでアイスを買って食べる癖がある。全然冬のクソ寒い時期でもやる。外で何かを食べる行為が好きだ。ちょっと原始的な気持ちになるから。それこそ、食事をしているところを隠さなければいけなかった時代があったように(あったっけ?)、三大欲求の一つを満たす行為であるの、そう易々と他人に見られてはいけない行為を大っぴらに外でやるのが大変気持ちがいいのだ。というのは全然詭弁なので、信用しないでほしい。単に外でものを食べるのが好きなだけです。暖かくなったら、ピクニックとかしたいね。

2022/11/19(土)
・寒い時期の卒業式
はからずしも昨日から引き続きしゃぼん玉に縁がある日だった。好きなアイドルグループ「フィロソフィーのダンス」の十束おとはさんが卒業する。その卒業公演を見に、日比谷野外音楽堂まで行った。桜田門駅で降りたのだが、夜の休日の東京には似合わず、しんと静まり返った寝ているような街であったので、会場の近くに行くまで全く喧騒がなく、なんだか早足でその場を通り過ぎようと必死で歩いた。フォロワーから譲ってもらったS席右手前から3列目とかいうドカ神席にて、何度目かのフィロソフィーのダンスを鑑賞。普通にイントロからちゃんと泣いてしまった。一番好きな曲かもしれない、それこそ十束おとはさんがフィーチャーされた楽曲、『テレフォニズム』が演奏される中、しゃぼん玉が噴射される演出があり、夜の野外音楽堂一面が切なすぎるほど幻想的な空間になった。めちゃくちゃ前だったこともあり、前方から噴射されるしゃぼん玉をもろにくらい、衣服にしゃぼん玉をまとっているような状態になったが、なんだかしゃぼん玉を割ったら、その割れたしゃぼん玉とともにおとはすがぱちんと消えてしまいそうな気がして、私はそのしゃぼん玉を割らないように、必死で身をよじっていた。周りのオタクは、若い男女から年配の方までさまざまで、それぞれがそれぞれの形でおとはすと、今のフィロのスへの愛を伝えようとしていたのがわかった。目の前にいわゆるガチのオタクの人だなというようなおじさんがいて、とってもキレのよいコールならぬペンライト振りを行っていたのだが、おじさんも消えてしまいそうなおとはすを見て、途中でペンライトを振る手を止めて、眼鏡をはずして何度も目もとを静かにぬぐっていたのが印象的だった。泣いちゃうよな、そりゃ。
新しいフィロのスのことを完全に理解するまで、まだまだ時間が必要そうだけれど、新しく入ったお二人もとってもかっこよ可愛かったので、頑張ってほしいな、と純粋にそう思った。アイドルってすごいな~。

2022/11/20(日)
・私が、アイドル……!?
プリパラとか、アイドルマスターとか、そういうアニメの導入みたいな話だが、最近全く界隈の違う人複数人から「DONSYΔRIはアイドルでしょ?」と言われることがあった。そう言われる度に「そうなの!?」と驚いてしまう。私ってなんなんですか?をてめーで決めろって話。


日記を続けます。

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