劣等感を味わえなかった人。
劣等感に慣れていると、誰かからの小言や、誰かからの小馬鹿にされた言葉さえも受け流せる。気にせずに生きる為にも、そうした受け流しの技術は自然と身に付くのだと思う。
笑われた事を、ずっと気にしてたからと言って、別に何かが変わる訳でもない。気にしたまま生き続けるのは、ただただ消耗しながら生きていくだけだ。
そうして、劣等感を知らなそうで過去にはあれほど自信に溢れていた少年が、今になっては自信のカケラすら失った姿を見て。それが、ただ「惨めな自分」を経験してこなかっただけなのだと思わされた。自分に対する劣等感を初めて味わってから、全く慣れていなかった感情に押し殺されている大人になった彼の姿を見て、こういった負の部分さえも人は味合わなければ、対処法すらも分からないのだろうと思う。
幼い頃から、偏った自信さえ身につければ、どうにでもなる世の中では無かったようなのだと感じさせられる。
幼い頃から自信に満ちた少年は、劣等感の存在をただ知らなかっただけで。実際に、そんな感情を、兼ね備えていなかった訳では無いのだと知った。褒められて育ててもらった子には、自信が与えられるものの。きっとこんな劣等感に耐えられないほど、劣等感の感情に触れる機会を奪われた子供なんだ。
しかし、褒められて育つのが悪い事ではない。褒められることも必要だ、批判だけされて生かされても生き地獄だ。偏るのが良くない、偏った視点だけで物事を見るのが良くなくて。それが本当の自己理解に蓋をさせる。今となってから自信がない彼のような人は、きっと今までに蓋をしてきた「無力な自分の部分」に、ようやく気づかされてしまったのだ。
「何でもできる」と思えていたはずなのに。実際には「出来ない事もある」現実を突きつけられて、自己否定感が漂うのだろう。
彼は全てが「何もできない」訳ではないのだが、できない自分に情けなさを感じるのだろう。元々有った自信の積み重ねは、体験した事のない失敗の衝撃にすら、簡単に打ち砕かれて。
何を誇りにして、この人は生きていたのだろうか。そうして考えた時に、きっと「完璧な自分」を誇りにでもしていたんだろうと思った。
彼に足りなかったのは、劣等感の受け流し方だ。とても偏った、「自分」という存在認識の仕方のおかげで、初めて味わう凹んだ感情の対処方法を詳しくは学び知れてなかった。
自信の付け方と、劣等感の受け入れ方、人にはこの二つともが必要なのだろう。彼はメンタルが強い人ではないんだろう。メンタルの強さは、ただ単に自信が過剰に高い人では成り立たなかった。きっと、それは自信を失いそうな場面であれ、柔軟に対応できるような感情のコントロールの上手さで。
やたらと自信だけが高ければ、メンタルが強いとは言えず。そんな自信が砕けた時に、自分の価値が何処にあるのかも見失う。だから、たとえ何かしらの悪い出来事に対しても、何事もなかったかのように、いつもの自分としていられる姿勢がメンタルの強さだったんだろう。
自信の無い奴は、何かしら行動しなければ自信なんて身に付かない。しかし彼は元々自信があったから、何なくやれて来れたが。自信を失った状態に立たされてからは、意欲のカケラすらもなくなった。
自信がないことと、行動しないことは全く別物だ。彼はきっと、それを知らなければならず、自信がないから何もしないのは、永遠に自信が身につかない負のループで。だから自信を失ったからと言って、何事も諦めてしまうのは勿体ない。そうした事に気がつけない人は、こうして自信のなさ、自己否定の感情に殺されては落ちていくんだろう。
成功の体験ばかり蓄えていた少年にとって、失敗の体験に対する受け入れの経験が少な過ぎた結果が、打たれ弱さを生み出したのかもしれない。
良い思いだけを味わい続けたからと言って、ずっと、強い人間になれた訳では無いのだと。絶対的に僕なんかよりも遥かに恵まれていた。そんな無気力になった彼から、なんだか少しだけ。何かを感じさせらてしまう。