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【東京新聞 2023/6/25】都立雑司ヶ谷霊園・島村抱月墓所の墓じまい①
都立雑司ヶ谷霊園の島村抱月墓所が墓じまいになった件について、東京新聞の中澤誠記者に取材していただき、2023年6月25日の東京新聞朝刊1面トップニュースとして掲載していただきました。
都立雑司ヶ谷霊園・島村抱月墓所は、1918年(大正7年)11月5日の島村抱月死去後に建設されて以来、日本近代演劇の父である島村抱月を敬愛する数多くの方々が参拝する観光要素の強い墓所でした。旧芸術座や早稲田大学関係者を始めとし、数多くの俳優さん達も参拝する演壇・文壇の聖地でした。
私は島村抱月の恋人で共に芸術座を主宰した女優・松井須磨子の親族という立場から顕彰活動を行っております。昨年2022年11月5日の島村抱月の命日も都立雑司ヶ谷霊園でお墓参りをしました。その時に撮影した下記の写真が東京新聞に掲載されました。
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都立雑司ヶ谷霊園・島村抱月墓所
そして、命日も束の間、島村抱月の墓所がなくなっていることに気づきます。まさに青天の霹靂でした。
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関係各所に問い合わせても、菩提寺すら墓じまいの経緯を知らず、参拝客も混乱しておりました。島村抱月は公人です。少なくとも、墓じまいの事実と分骨墓所のある島根県浜田市の菩提寺・浄光寺まで行けばお墓参りが出来るという事実は、結論として報道する社会的意義があります。そして、百年の時が経てば誰にでも起こりうることであり、今まで管理してくださった方々への感謝の気持ちを抱いた上で、島村抱月への最期の責任として東京新聞様に結論付けていただきました。東京新聞様は島村抱月の盟友であり、松井須磨子が遺書を託した1人でもある伊原青々園が奉職した都新聞の後継だからです。終始誠実に対応してくださり、紙面化において大変尽力してくださった、中澤誠記者にはこの場をお借りして感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。
又、都立雑司ヶ谷霊園の島村抱月墓所は、元々は松井須磨子が建立し、島村家遺族に寄贈したものです。松井須磨子は3通の遺書を残し、月命日である1月5日に後を追い、同墓所に合葬されることを切望しました。残念ながら願いは叶いませんでしたが、百年の時が経ち、松井須磨子の親族が墓じまい後の社会的混乱を収束させたことで冥福とさせていただきたいと思います。
【以下に続きます】
プロフィール
堀川健仁
静岡県出身。日本初の歌う女優・松井須磨子養家子孫。松井須磨子の功績を次世代に伝えていきたいという想いと、新型コロナ禍で苦しんで来た文化芸術活動を支援したいという2つの想いから、2022年より神楽坂で松井須磨子の顕彰活動を開始し、2023年に「一般社団法人松井須磨子協会」を設立。