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1997年 西武ライオンズ(優勝)
2024年は球団史上ワーストの91敗を喫した埼玉西武ライオンズ。
そんな西武の監督を2025年から務めるのは西口文也監督。
1994年度のドラフト3位で西武に入団した西口は流出が多いチーム事情の中、21年間も西武一筋の現役生活を送り通算182勝、2082奪三振を挙げたまさに西武のレジェンドです。
このように20年以上も第一線で活躍をし続けた西口のキャリアハイがこの1997年でしょう。最多勝・最多奪三振・最高勝率の投手三冠に加え、沢村賞・MVPを獲得しチーム2年ぶりの優勝に大きく貢献しました。
今回はそんな1997年の西武を見ていこうと思います。
世代交代の過渡期
近年の戦いぶりを見たファンからすると西武はあまり強くない球団と思われるかもしれないですが、西武というのは球史においては名門球団の部類に入ります。なんといってもこの1990年代は90年からパ・リーグ5連覇を達成しているんです。ちなみにここ最近は3連覇はあるもののそれ以上、4連覇以上はあまり見受けられませんが最後にリーグ4連覇以上を達成したのもこの西武の5連覇が最後。いかに西武が歴史上強い球団であるかということは分かったと思います。
しかしV5の翌年、東尾修監督に代わった1995年(西口のルーキーイヤー)と1996年は連続して3位に落ち込みオリックスの2連覇を許してしまいます。
この頃になると5連覇時の主力が軒並み成績を落としており、高齢化も目立っていました。1994年の西武ベストメンバーの平均年齢は31歳と高齢化に足を踏み入れた状態に、また西武あるあるのFA流出や退団も多く、94年オフには工藤公康・石毛宏典がダイエーにFA移籍。95年オフには成績が落ちたO.デストラーデが途中退団、辻発彦が自由契約になったり、そしてこの96年オフには清原和博が巨人にFA移籍。これだけ見ると戦力の低下が懸念されますが、ここはさすがの黄金西武。そんなことにはなりません。
新戦力の台頭
優勝から遠ざかった2年間も着々と若獅子が台頭。
その代表格が松井稼頭央でしょう。高卒3年目の96年には2番で起用されると50盗塁を記録しており、当時の西武のトッププロスペクトでした。
またルーキーの髙木大成・大友進、この年28HRと和製大砲として素晴らしい活躍をした垣内哲也、投手では西口が16勝、大卒5年目の豊田清もローテで投げ始めるなど96年は3位に終わったものの若獅子たちの台頭が目立ったシーズンでした。
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個人的に西武の背番号32は出世番号だと思っていて、
松井の他にも犬伏稔昌・石井義人・浅村栄斗など後のトッププレイヤーが
背負ってるんですよね。(現:山村崇嘉)
野手陣
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上位打線を見てみるとその盗塁数に驚かされます。
大友が31盗塁、松井が62盗塁(盗塁王)、髙木大成が24盗塁とこの3人だけで118盗塁と走りまくってます。この年の西武、盗塁数は200を記録し成功率も78.1%と非常に高く走塁面では他チームより1つ2つ抜けているチームでした。
もちろん打力の面でも素晴らしく、上位打線の高い出塁率を活かして中軸も大活躍。打率3割に乗せ中距離打者として活躍した鈴木健、清原流出の穴を見事に埋めた新外国人D.マルティネスは3割30HR100打点を記録しました。
マルティネスと同い年で14年目の佐々木誠も3割13HRと衰えを感じさせないバッティングで貢献しました。
垣内が前年の活躍と比べるとかなり成績を落としてしまいましたが、正捕手伊東勤は35歳を迎えましたが打率.280 13HRとまだまだ打棒は健在。またセカンドには高木浩之が定着し始めました。
またベンチを見てみるとトレードで中日から獲得した金村義明が代打の切り札として活躍すると、奈良原浩・原井和也・河田雄祐・清水雅治と守備走塁に優れたメンバーも揃っており、総合的に強いチームが作りあがっていました。
得点数・盗塁数・打率・出塁率・長打率・OPSに至るまでリーグトップの値を記録。個人的にはHR数はリーグ5位なのに二塁打・三塁打で長打率を稼ぎまくったのは興味深いです。
投手陣
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投手陣では西口が獅子奮迅の活躍を見せました。
15勝、192奪三振、勝率.750はいずれもリーグトップで投手三冠。またこれに加え10完投を記録しておりこの年の沢村賞とMVPを獲得する目覚ましい活躍を見せました。
他の選手だとこの年先発転向の潮崎哲也が12勝を挙げ防御率もチームトップ。5年目の豊田は通年計算できるピッチャーとなり、初の二桁勝利を記録しました。
救援陣ではこの年リーグ最多登板の68登板を記録した橋本武広が防御率1点台と素晴らしい成績を残し最優秀中継ぎのタイトルを獲得。
また新外国人のロバート・ウィッシュネフスキーも一定の活躍をしており、また逆指名2位で入団した森慎二は三振を多く獲るピッチングで勝ちパターンも任せられました。森と同じく9Sを記録した石井貴はそれと同時に10勝を挙げるなどこの球団は西口・潮崎・豊田・石井貴と4人が二桁勝利を記録。
リーグトップレベルの投手陣となりました。
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後に豊田とともに相手に絶望を与える勝ちパを形成することになる。
2年ぶりのV奪還へ
1997年4月のパ・リーグは全球団が団子状態で混戦でした。
そこから5月になって抜け出したのが西武でした。
5月7日のダイエー戦では西武打線が大爆発。初回から9回まで全イニングで毎回得点を記録し21-0、29安打で大勝する試合もありました。
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投げては豊田がダイエー打線を2安打完封勝利。
18日のロッテ戦では鈴木健が3HR5打点の活躍を見せると、潮崎もプロ8年目にして初完封を果たしました。
この5月を17勝6敗と大きく勝ち越すと他5球団を大きく突き放し首位を突っ走ります。
しかし一転6月は勢いを落としその間ハイペースで勝ちを積み重ねてきたオリックスに首位を奪われてしまいます。
しかしなんだかんだオールスター前では西武とオリックスはほぼ変わらない位置につけており後半戦を迎えます。
後半戦が開幕するとオリックスが引き分け挟んでの7連勝を記録。一方の西武はその期間2勝6敗と苦戦。15日からのオリックスとのカードでは3タテを食らってしまいこのままオリックスが逃げ切るかそう思われました。
しかしこの後西武は怒涛の快進撃を見せることになります。19日ロッテ戦から3カード連続3タテとなる9連勝を記録。8連勝中の27日 日本ハム戦で勝利するとついに首位再浮上。一方のオリックスは同じ期間3勝6敗と負け越していました。
終盤戦の西武は安定した試合運びができており迎えた10月3日ホームでのダイエー戦。この試合は西武潮崎・ダイエー吉武真太郎が先発しており9回終わって1-1の投手戦となりました。
迎えた10回。延長のマウンドを託された吉武でしたが、鈴木健が7球目を振り抜くと打球はライトスタンド。これで西武のサヨナラ勝ちそして西武の3年ぶりの優勝が決定したのです。サヨナラHRでの優勝決定はこれが初めての事例であり、歓喜に包まれた西武ライオンズ球場で東尾監督は胴上げされました。
(下動画は4時間超えの動画なんですがこの2:36:18から見ると鈴木の優勝決定サヨナラ弾が見れます。)
その2日後の試合はこの年限りで引退する郭泰源・鹿取義隆の引退試合でした。郭は85年に西武に入団すると1991年にはMVPに選ばれ13年のプロ野球人生で積み重ねた勝利は117勝。黄金西武を代表する投手でした。
鹿取はそのプロ野球人生を巨人で始めますが1990年にトレードで西武に入団。するとその年24Sを挙げ最優秀救援に選ばれると以降も一定の活躍をしており17年のプロ野球人生で755登板、131Sを記録しました。
郭はかつての同僚秋山幸二を抑え、一方の鹿取は村松有人にヒットを打たれ、試合も3-8と敗れましたがその引退を西武ファンは惜しんでいました。
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日本シリーズはセ優勝のヤクルトとの1993年以来4年ぶりの対決になりましたが、若手でオーダーを組む弊害か日本シリーズ慣れしてないということもあり結構苦しんだようです。
ヤクルト野村監督も国歌斉唱で西武の選手たちが整列しないのを見て「昔の西武はそんなチームじゃなかった」とぼやいたりしていました。
日本シリーズはというと初戦を西口で落とし、2戦目は田辺徳雄のサヨナラ打で星を五分に戻したものの、敵地神宮では投手陣の駒不足に苦しみ(豊田が怪我で戦線離脱)、松井・大友といった俊足選手もヤクルトバッテリー(というか古田敦也)に封じられてしまい1勝4敗で日本一を逃しました。
まとめ
このように日本一を逃したものの、西武は有望な若手主体で優勝を勝ち取るほど強いチームであったことは確かです。
実際西武は流出こそ多いもののなんだかんだその後継でリーグを代表する選手が出てくる球団だと思います(近年の低迷はそのサイクルが完全に回らなくなったように思えるが)。
ちなみにこの年限りで西武ライオンズ球場という名前で公式戦開催が行われるのは最後であり、翌年からは試合と同時並行でドーム化工事が行われることになります。今につながる西武ドームの始まりでもありました。
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1998年当時では外野観客席を覆うくらいの屋根しかなかったそう。