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年始に思いを巡らせたこと。
こんばんは。
ソーシャルワーカー(精神保健福祉士)のすまです。
大晦日に2024年の仕事を完了して、2025年の始動は1月2日。
すでにすまの職業人としての1年は始まりました。
束の間の元旦は実家に少し顔を出し、正月感を短い時間しっかり味わって気持ちはすでに切り替わっています。
今年は、年賀状も例年より少なく、かつ「今年限りで年賀状を終わりします」と言ったメッセージも何通かありました。
デジタルの時代になってきていることに加え、はがきや切手の値上がりも影響しているんでしょうかね。
年賀状は現代においてコストも労力も考えると生産性は悪いのかもしれませんが、時代の風物詩(文化)が無くなろうとしているのを感じて寂しい気持ちもしつつ、数十年後から振り返った時には新しい新年の挨拶の文化で当たり前のように私たちの生活に根付いているのかもしれないなと思いながら、今年もすまは数は多くありませんが直筆でコメントを書いて送っています。
今年は初日の出を見に行くことができず(寝坊しました)。
この記事の見出し写真は元旦の空と思いきやオフとなった今日味わった景色です。
雲が多く、太陽がいい感じで隠れてしまい寒かったのですが、それでも雲の隙間から漏れ出る太陽の日差しが雲や海に反射して美しい光の線を描いていました。
海岸で寝そべりながら空を眺めました。
新しい年を迎え、海や日差し、雲、波の音、人の声をこの身体で感じることができ幸せです。
来年、いや来月こうして空を海岸沿いで寝転んで、空を見て同じように感じることができるのか。
未来は誰にもわかりません。
生きているかというだけでなく、年々、体や心境、環境などあらゆることが変化します。
メガネやコンタクトといった武器がなければ、視力の低いすまは十分に世界を見渡すことができていないでしょう。
聴力も比較的良い方だと思っていますが、おそらく10年前と比べれば能力は多少衰えていると思います。
年々少しずつ聞こえなくなっている世界もあるのかもしれません。
冷たく感じることができる冬の空気や潮風の匂いといったものも年齢や体調などによって鈍くなってしまうこともあります。
自分の体ですが、全てを同じ状態で持っているわけではないことを最近はよく考えます。
そういう意味で、自分の支配下にあると思いがちですが、あくまでこの体も天から与えられた借り物のような気もします。
そんな物思いに老けながら、生活者すまとして年始最初の海岸を味わってきました。
そのあと、近くにあったファーストフード店に入りこの記事を書いています。
今年はどんな書きたいことが出てくるのか、見つかっていくのか分かりませんが自分自身でも楽しみです。
「書きたいことがないなー」っていう風になっている時はきっと自分のセンサーが麻痺している時だと思う。
そんな時はちょっとのリフレッシュを挟みむことを意識しようと思います。
メンタルヘルスに関すること、ソーシャルワーカー(精神保健福祉士)の一人して感じたこと・思考したこと、時々一人の生活者として暮らしのことをマイペースに発信していきたいと思っているのでよろしければ今年も覗きにきてください。
今日の投稿は以上です。
今年もよろしくお願いしまーす。
2025年1月4日
すま/ソーシャルワーカー(精神保健福祉士)/ミニマムな暮らし
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