尊敬と二番煎じは別物
脚本家・壽倉雅(すくら・みやび)でございます。
「こんな人になりたい!」と、皆さんは目標したり、尊敬をしたりする方はいらっしゃいますか?
私も、仕事の中で「こういう人になりたい」と思うことは、たくさんあります。
今日は、そんな尊敬に関するお話です。
作風が、マルパクリだった頃
専門学校時代、私はシナリオライターの専攻をしており、とにかく毎日授業課題と自主制作(公募用)として、原稿用紙やWordに向かう日々を送っていました。
当時から、「尊敬する脚本家は橋田壽賀子先生です!」と豪語していたこともあり、友人から雰囲気が似てるとまで言われたほど。(そんなことは絶対ないのだけれど)
橋田壽賀子氏と言えば、『渡る世間は鬼ばかり』をはじめ、その時代を生きる家族たちを時代劇現代劇問わず、丁寧に描いてきたホームドラマの巨匠です。
影響を受けやすいこともあってか、当時授業課題でも公募用作品でも、どうしてもテーマが家族よりになってしました。それに、橋田ドラマの特徴である長セリフや、憎たらしい姑や小姑といった要素までも、私自身の作品に取り入れていました。
必然的に場面転換が少なかったり、セリフの口調までもが『渡鬼』に似てきてしまっていました。
おそらく、10年前の専門学生時代の自分の作品を見たら、思わずこう思ってしまうでしょう。
「こんなの、橋田壽賀子ドラマのパクリじゃん!」
二番煎じではいけない
パクリのままではいけない……と思った私は、パクらないように意識しながら作品執筆を続けました。ただ、意識をしたところで一度ついた書き方のクセや作風なんてものは治りません。
私なりに、あえて違うジャンルを書いてみたのですが、結局長ゼリフや登場人物のキャラクター像が、似たり寄ったりになっているのです。
自分の作風とは何だろう、作風が寄せないようにするにはどうしたら良いのか、迷う日々が続いていました。
そんな時、授業を担当されていた講師の先生が、私におっしゃいました。
「このままでは、いつまでも橋田壽賀子作品の二番煎じになってしまう。あなたにしか書けない、あなたの作るホームドラマを描かなければいけない」
この言葉に、私は目覚めました。
『ホームドラマ』という得意ジャンルがあるならば、何も嫁姑を出さなくても良いし、現代的な家族ドラマ、男視点だから描けるドラマがあると。
やがて、回数を重ねるたびに、小うるさい姑や小姑キャラも登場しない、長ゼリフも出てこない脚本が書けるようになりました。
また、同期の学生たちと自主制作で作ったドラマのジャンルは恋愛もの。最初は自分に恋愛ものなんて書けるのかと思ったのですが、練りに練ったプロットの直しを数回重ねた結果Goサインが出て、恋愛ものの脚本を書くことができました。
あの頃の先生の言葉のおかげで、二番煎じではなく、『私にしか書けない世界観』をイメージしながら、今も私は脚本を書き続けています。
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