見出し画像

自分の体とパートナーシップを築く

当たり前のことだけど、体がなければ生きていくことはできなくて、生涯を終えるその時まで、ずっと自分の体と一緒に生きていく。
だから自分の体に対して、リスペクトを持って付き合えるといいなと思いつつも、「お前のものはオレのもの」とゴーダニズム的に、体の言い分を聞かずに生きてたりする瞬間も多い。私もね。
だけど、例えば怪我をしたり、調子を崩したりすると「あれ?自分の体って自分の思い通りにいかないこともあるんだ」って気づくことがある。


ちょっと突然話題が変わるようだけど、私は、産後に”パートナーシップ”という言葉を学んだ。
協力関係という意味で、「夫と人生のパートナーとしてどういう関係性を築きたいか」という問いを含んだその言葉を知った時、「ああ、私は夫の下に仕えて機嫌を伺う者でもないし、逆に夫が私を察して思い通りに動く存在でもない。2人は対等で別々な存在なんだ」って気づいた。
すごくすごく近しい存在だから、相手を自分のもの、自分を相手のもののように見ていて、変に怒ったり傷ついたりしていたのだけど、対等なパートナーとしてお互い思いやりとリスペクトを持って接することが出来たらいいなということに気づいた。
それが私と夫とのパートナーシップ元年だったように思う。何が変わったって上手く説明できないんだけど、それでも見える世界がガラっと変わった。
そこでめでたしめでたしではなく、物語は今も鋭意継続中ではあるけれど、ものすごく楽しくて豊かな世界に変わったと思っている。

で、この構図が、自分の頭(意識、脳)と体の関係性にも当てはまるんじゃないかと思っている。
頭には脳があって、脳が体に指令を出して動くから、”頭が主で体が従”みたいなイメージも根強くあるように思う。若い時なんて特に、体は多少の無理もきくから、従順についてきてくれる体に対してゴーダニズムで扱ってしまったりもする。だけど、冒頭の話に戻るけど、「あれ?自分の体って、思い通りにいかないんだ」って気づく瞬間が誰しもに訪れたりする。

そういう時に、自分の体を責めたり、なんとか思い通りになるように仕向けたり、ごまかしたりするんじゃなくて、自分の体と対等に誠実に向き合う、パートナーシップ元年が訪れるいいなって思う。
先ほど、”頭が主で体が従”なんて言ったけど、実際はその関係は主従関係ではなく円環を成している。頭と体が互いに思いやりとリスペクトをもって関係性を築いていくと、楽しくて豊かな世界にガラリと変わったりする。
で、一度世界が変わると、実は体とのパートナーシップをどう築いているのかは、怪我や体調を崩した時だけじゃなくて、自分が生きている毎日にけっこう影響を与えている、ということにも気づく。

私のコンディショニングの時間は、「骨や関節がどういう形になっていてね…」とか「この筋肉は、こうやって働くようになっていて…」という、一見するとマニアックな体のしくみの話を結構ふんだんにしている。それは、クライアントさんをマニアックに仕立て上げたいという意図ではなくて(笑)、その人が体と良好なパートナーシップを築くことにつながれば、という気持ちでやっている。


書き始めるとどうしてもこんな曲調(?)になりやすくて、根が真面目か!と自分に突っ込みたくなる^^;もうちょっとライトな記事もそろそろ書きたいな。
話が抽象的で、伝わるような、それでもわかりきらない部分もあったかもしれない。私は私で今言葉に出来る分でOKとしますので、読み手の方も今は受け取れる分だけ受け取ってもらえたら嬉しいです。
自分の体と良好なパートナーシップを築けると、楽しくて豊かな毎日が送れるんじゃないかなぁと思っている、という話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?