東京の小さな劇団が結局やらないことにしたことたち の こと #1
テキスト:石原夏実(すこやかクラブ)
「緊急事態宣言が出されています。感染症の拡大防止のため、不要不急の外出はお控えください。」
いつもの防災無線を遠くに聞きながら、足元の小さな幸せを抱きあげたり、ふと目をあげて、ちょっと不安になったりしているうちに、片付けても磨いても積もり積もる些事たちに追いたてられて、また一日が窓の外で暮れてゆく。
そんな日々ももう、ひと月と半分くらい過ぎたころ。
やっぱり、こればっかりは、もう先延ばしできない。いま、書いておかなくちゃ。と、自分を奮い立たせてこれを書き始めました。
私がいまここに記そうとしているのは、この数ヶ月のあいだ、世界中あちらこちらで散りに散っていったであろう、「あーだったはずのこと」「こーしようとしてたこと」たちの中の、小砂一粒にも満たないほどの、私たちの、それ、です。
ふっと吹けば消えてしまいそうな、そもそもぼんやりとした形しか与えられなかったそれらの輪郭を書き残したところで、誰の役にも立たず何の足しにもならないかもしれません。ただ、なんというか、これはちょっとした、弔いのようなものにはなるんじゃないかしら。東京でも緊急事態宣言解除が迫り、ここからが新しい世界のはじまりとばかりに、前へ前へと突き進まなければならないように思えるいまの状況のさなかで、こぼれ落ちては後ろへ流れてゆくものたちを拾い集めておくことは、そんなに無意味なことでもないんじゃないだろうか。そう思い立ちました。
思い描いていた2020年
私は、「すこやかクラブ」という劇団のメンバーです。
劇団といっても、いわゆるストレートプレイを上演したことは一度もなく、宣伝文句は「日常に潜むときめきや不条理をあらゆる身体動作で表現。演劇、ダンス、歌、分け隔てなく取り入れて、総合格闘技さながらにボディーブローを効かせるのが持ち味」。
東京の立川に製作拠点を置いて活動していて、メンバーは現在5名。
有名なわけでもない、小さな劇団です。
小さな劇団とはいえ、お客さまに舞台作品をお見せするに至るまでには、それなりの計画と下準備と心意気とお金が必要です。
それまで一緒に舞台作品をつくってきた仲間が集まり、2016年に劇団となって以来、メンバーみんなで顔を突き合わせるたび4〜5時間は「あーだこーだ」と話し合い、年に1〜2本は劇場やそれに値する施設などでの新作上演をやり、機会があればイベントやコンクールで小作品を発表したりして活動してきました。
とりわけ今年、2020年には、私たちなりにチャレンジングな企画を準備していました。
それは、年間を通してひとつの題材を様々な形態で作品化して発表する、というものです。
参照:昨年提出した助成金申請書より抜粋
私たちはこのプロジェクトを、1mmのひねりもなく「すこやかクラブ ”青い鳥”プロジェクト」と命名して、少しずつ準備を進めていました。
お正月には、このプロジェクトをほんのり宣伝する年賀状と、専用のホームページを発表しました。
参照:年賀状イラスト
雲行きが怪しくなった2月
それから、2月に入り、プロジェクトの第1弾企画として4月に開催を予定しているイラスト展への準備が本格的にはじまりました。
私とメンバーの向原くんが一緒に会場下見をしたのが、バレンタインデー。前日に娘と一緒に焼いたチョコクッキー(旦那さん用の残り)を向原くんにあげたら、ちょっと引くくらい喜んでくれたのが印象深かったのでした。
いま調べてみたら、横浜にあのクルーズ船が寄港したのが2月3日だったとのこと。
そのときの打ち合わせでは、コロナのコの字も出なくて、心配なことといえば、下の階が学習塾だから日中あんまりドタバタ音を立てると苦情がくることもある、ということくらいのものでした。
2月は、このイラスト展を含めたプロジェクト全体の宣伝活動や、初めてのテレビ出演に向けた撮影、月に1度開催している親子向けのワークショップ、3月から配信をスタートするウェブラジオ番組の製作、そして毎夏主催している(私たちにとっては)大きな体験型演劇イベント「真夏のたちかわ怪奇クラブ2020」開催の準備などをどんどん進めていくなかで足早に過ぎてゆく… かと思いきや、月末が近くなるにつれて事態が急速に変化していったように思います。もはや何がいつ起こったことだったのか、今となっては記憶がぼんやりしてきてしまっているので、私が気まぐれにiPhoneのメモに書き留めている日記のようなものから抜粋します。
「2月25日、コロナの影響か、2名」と仕事先のスポーツクラブでスタジオレッスンの生徒さんが2名しか来なかったことがメモされています。
それに続いて「安倍、この1〜2週間の大規模なスポーツ・文化イベントを控えるよう要請」。
翌26日には、すこやかクラブ代表のうえもとから、メンバー全員にこんなLINEが届きました。
「まだふんわり考えてるだけだけど、もしコロナの勢いが今後増すようなら場合によってはイベント(※4月開催予定のイラスト展のこと)自体延期した方がよいかもな、とも、ふんわりとだが思ってます。
少し調べたら会期初日の1ヶ月前からキャンセル料半額払う、とのことだったので、最悪それは考えといても良いかなと。
DMも量が多くないから、修正テープで日程は変更効くし。
進めつつもそのことは念頭に置いといた方がよいな、と思ってます。」
27日には、全国の小中高校に突然の休校要請。28日には北海道で1度目の緊急事態宣言。日ごと飛び込んで来る全く新しいニュースにおののく日々のなか、3月が始まりました。
第1回 青い鳥プロジェクト座談会
3月5日。この日はもともと、「すこやかクラブ”青い鳥”プロジェクト」広報のため、メンバーの写真撮影と座談会を企画していました。このプロジェクトについてメンバーが話し合う内容を記事にして、プロジェクトの全容を伝える広報紙をつくろうという目論見です。
会場は、メンバーの鵜沼ユカがご主人とともに経営しているバル「マホラ食堂」。記録写真撮影のために写真家のbozzoさんもお招きしました。
左から 石原夏実、うえもとしほ、向原徹(以上すこやかクラブ)
結果から言えば、この広報紙も、4月のイベントも、「すこやかクラブ”青い鳥”プロジェクト」も。その後メンバー間で繰り広げられるたくさんの「あーだこーだ」を経て、2020年のうちには世に出さないことになりました。
長すぎる前置きとなりましたが、ここからは、その後わたしたちが月に1度(2回目以降はオンラインで)開催してきた座談会の記録を中心に、「東京の小さな劇団が(考えて悩んで)結局やらないことにしたことたち」を書き残してゆきます。
次回へ続く
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