怒りを捨てないことしか今はできないけれど
「今朝、痴漢にあったんだよね」
そうぽろっとこぼした時、その場にいた男性からかけられた言葉は
「へぇ、良かったじゃん」
だった。
補足します。
今から8年ほど前、大学時代の私はそのコミュニティで、ブスで可哀想な女キャラだった。
理系ゆえに男女比が8:2だったそこは、女が男の価値観で評価されることが当たり前の世界。
そんな環境でも居場所が欲しかった私は、そのキャラを甘んじて受け入れ、ギャグ要員として場を笑わせることに徹した。
その背景あってこその
「へぇ、良かったじゃん」
ではあった。
ではあったのだが、いやいや、良かったじゃんって何?なにが?!どこが?!と、今思い出しても怒りとおぞましさが大爆発だ。
「痴漢に喜ぶ女がいる」という発想が浮かぶこと、それを当事者の女性にぶつけてなんの罪悪感もないこと、女は男に認められることに大きな価値を感じると思われていること
なんか全てがグロテスクだった。
色んな衝撃が一緒くたになって押し寄せてきて、だめだこりゃ、と思ったのを覚えている。
「女性の存在が透明化されることに対する怒りならめちゃくちゃ持ってる」
友人と、お互いの価値観について話し合っていた時に私から飛び出た言葉だ。
不動産屋で夫にだけ渡される名刺、避難所で不要とみなされる生理用品、「これってセクハラですかね〜笑」という言葉でカジュアル化される女性蔑視
誰しも一定持っているもんだと思っていた、人権に関するそういった怒り。でも友人に言わせると、「私はそこに執着したことはないから、あんたの個性なんじゃない」とのこと。
きっと、上記のような体験を幾つもするうちに、とにかく理不尽が大っ嫌いな私は、「あっれれ〜?おっかしいぞ〜〜〜?」と疑問を抱くようになっていったんだと思う。
とはいえ、一個人でしかない私に何ができるのか、と、やるせない気持ちになる。
でも、怒りを持ち続けることだけはやめないでいようと思う。
おかしいことをおかしいと思える正しさと、おかしいと発言できる勇気を持ってさえいれば、何かしらの形でこの世界を良くすることができるかもしれない。
※もちろん、女性だけの権利が侵害されている、と言いたい訳ではない。男女関係なく固定観念に縛られがちなこの世界が、もっと思いやりとハッピーで溢れたら良いよねと思っているというお話だ。