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夏の終わりの記憶


目の前のことを信じる強さ

出張から帰ってきて汗だくのくたくたのへろへろだったある夜、脳を空っぽにしたくて毛布にくるまりリールを眺めていたら、「久しぶりに再会した飼い主に全速力で駆け寄って、全身で喜びを表現する犬たち」の動画が流れてきた。

犬って、飼い主が好きだよなあ。

たぶんきっと犬は、飼い主が「根暗であんまり友達が多くない人間」であっても、「仕事が下手くそで成果を出せない人間」であっても、「小さなことでクヨクヨと悩むどうしようもない人間」であっても、そんなことは関係なく、飼い主のことが好きなんだろう。

そんなことを思った。

そして、それってすごいなって思った。

この世界に、隣に、そこに、ただいてほしいと、それだけをお互いが想うだけで完成しているわけだから。

自分の目の前だけに向き合って、それを信じて疑わない強さがある。寛容で、真っ直ぐで、強い。




体が軽いんだから気分も軽やかになれ


なんか最近、ズボンがずり落ちるな、と思っていた。スニーカーの踵の外側で、ズボンが地面をずっている音がする。腰のあたりに布が余って何ともいえぬ不快なきもち。

土曜のお昼、洗面台の下から体重計を引っ張り出す。

「体重測ってみるー!」と彼を呼びつける。

すべすべで丸みのある、ひんやりとした白い物体(無印の体重計はかわいい)の上に足を乗せる。

我が家の体重計はなぜか、0.7キロ重たく表示されるので、見えた数字から0.7を引く。

わあ、高校生の頃か、もしくは病で床に臥せって食べられない時にしかみたことのない数字だ。

いつの間にかするっと健康的に体が軽くなっていた。

初めてから2ヶ月が経過したピラティスのおかげだろうか、毎朝毎晩やっているヨガのおかげだろうか、朝のスムージー生活のおかげだろうか。

なんにせよ、私の行動によって世界に変化が生じたということだ。じわじわとした達成感を感じ、気分が良くなった土曜日のお昼だった。




青くてキラキラした世界の記憶

※以下、BUMPライブ当日のネタバレ含みます※






BUMP OF CHICKEN TOUR 2024 Sphery Rendezvous の初日公演、ベルーナドームに行ってきた。

数週間前、「あ、これはもうダメかもしれん」と思った時に、すがるような思いで申し込んだリセールの抽選。

ダメ元だったけどぬるっと当選し、半野外の小ぶりなドームの一塁側端っこ、最後列からの景色を目に焼き付けてきた。


書けない。言葉に直らない。その景色からもらった感情の全てが、言葉にしようとすると何故かつまらなく陳腐で閉じ込められた、それとは全然違うものになってしまう。


少し前の私にとってのライブは、その日まで生き延びるための目じるしとか、良きも悪きもすべて報われる瞬間とか、そんな風な存在だった。

でも今日は、ちょっと違ったように思う。

現実から逃れられないのは変わらなくて、そしてその現実の残酷さはずっとそこにあって、今日みたいな素晴らしい景色もあるけどそれでも相殺されきらないのは分かっていて。


生み出してしまった希望 頷いてくれた絶望

藤くんが音楽に乗せた言葉に目の前が滲む、それでも拳を振り上げ続ける、藤くんが声を聞かせろと場所を空ける、届けたくて外に出たくて声を出す。


そうこうしているうちに、あっという間にアンコールの2曲も終わる。

演出が終わった後の会場の無機質な白いライトで、現実を知る。

でもそこは、さっきまでの清々しい現実と地続きで、外の夜のぬるい空気は、いつもより私のことを受け入れてくれているように感じた。



「健やかで、穏やかに」

藤くんは最後、そう言ってステージから降りていった。

その瞬間のほんの一瞬は、世界に自分しかいなくなったような感覚に強く引っ張られた。

そっくりそのまま同じ言葉を、私は何度使っただろうか。あちこちに散りばめて、目じるしにして歩いてきた言葉。

夏の最後に、いつでも戻ってこられる思い出ができた。




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