連載小説 【 THE・新聞配達員 】 その71
71. 人生の話の軽さ加減
カナダに行ける手筈が整った。
ホッと一安心だ。
これでまたビールが喉を通る。
爽やかな風を感じながら。
佐藤さんからこう言われた。
「ボスからOKもらいました!
二人で来てもらって大丈夫です!
今居る男の子が一人辞めるので
これでちょうど4人になりますから
OKだそうですよ!良かったですね!」
計算がよく分からないが
とにかく良かった。
一昨日の佐藤さんとのあの盛り上がった
国際電話での会話。
絶対に行けると思っていた!
やったぞ!
「ありがとうございます!がんばります!」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
いつも明るくて優しい佐藤さん。
「それでは、これから準備してもらう物と
スケジュールを説明しますね。メモの準備は良いですか?」
「お願いします!」
いつもジーパンのポケットに入れているミニメモ帳とミニペンを
もう公衆電話機の上に広げて準備していた。
おじいちゃんの背骨のように丸まっているメモ帳。
私が配達中に思い付いたネタで丸まっているメモ帳。
これでもちゃんと広げているつもりだった。
「エアチケットは片道でいいと思います。
4月出発でお願いします。出発日が決まったら教えてくださいね。
トロントの空港に着いたらバスに乗って〇〇行きのバスに乗ってください。
バスが〇〇ホテルに着いたらフロントに〇〇の名前と自分たちの名前を言ってください。きっと到着が夜中になると思うので、フロントに案内された部屋に宿泊してください。翌日こちらから連絡します。
あと男性はスーツ着用での勤務になりますので、スーツを持って来てくださいね。ホテルの住所を言っておきますね。」
ワクワクが止まらない。
もう明日にでも行きたい気分だ。
私が書き留めているのを待ってくれている佐藤さん。
「何かまた困ったことや分からないことがあったら、
この番号に連絡ください。何か質問はありますか?」
「まったくありません!」
「そうですか。良かった。
ではまたエアチケット取ったら連絡ください。」
「あ、質問あります!」
「どうぞ!」
「エアチケットってどこに売ってるんでしょうか?空港ですか?」
「あー、なるほど。えーっと、
私がよく利用する旅行代理店が梅田にあるんですけど・・・
そこを紹介しときましょうか?」
「はい!お願いします!そこで買います!」
「そうですね。それがいいです。
【エイチ・アイ・エス】っていうお店なんですけど、
知ってますか?
そこの遠藤さんという人を訪ねると良いです。」
「エッチ愛’Sの遠藤さんですね!わかりました!」
しっかりとメモしているつもりの私。
誰が見ても分からない字で。
もう一度お礼を述べてから電話を切った。
バッタ色の受話器をバッタ色の電話機に戻した。
もうすっかり私の電話だ。
いやでももう!これでもう?
もしかしたら後一回くらいはこの電話ボックスのお世話に・・・いや、
次の電話はエアチケットを取ってからの連絡だとすると・・・
大阪からか・・・
そうか!
この愛しの公衆電話ボックスで電話するのは
もうこれが最後になるのだった。
ありがとう!愛しの君よ!電話ボックスくんよ!
私の酒臭い息をよく我慢してくれたな。
そしてその酒臭さを受話器の向こうの人によく伝えずに
黙っていてくれたな。
礼を言うぞ。
テレホンカードを抜き取って
丸まったメモ帳に挟んだ。
そして電話機の頭を撫でながら表に出た。
11月の冷たい夜の空気が美味い。
あと2時間後には朝刊の配達だ。
早く部屋に戻って美味い空気をツマミにビールだぜ。
私は自分の部屋にゆっくり歩いて帰りながら
なぜかこの暗い夜の空気のことを思った。
そうなんだ。
朝刊の配達はなんていったって空気が美味いのだ。
ほとんどの人が寝静まっているからだろう。
人々の活動の少ない夜の空気が街を綺麗に浄化していく。
カナダの空気はもっと美味いのだろうな。
なんせあの広大な土地にわずか人口は2700万人程度。
特に夜の2時の空気は100%ピュアな空気なのだろうな。
一番風呂のように、吐き出した空気が全くない状態。
誰もまだ足を踏み入れていない新雪のような状態。
買ったばかりのまだ表紙すら開いていないノートのような状態。
童貞の私のような状態。
えーっと、
カナダでも新聞配達があるのだろうか。
やってみたい気もするが
私は今回は別の仕事に採用されたのだ。
新聞配達ともお別れになるのか。
そうか。
そうだよな。
もうカナダに行くことは決定したんだな。
感慨深いが、
そろそろお店に言わなければいけないな。
どう言おうか。
なんて言おうか。
誰に言おうか。
どこで言おうか。
所長さんか?優さんか?優子さんか?
由紀ちゃんか?しーちゃんか?
坂井?竹内?
竹内か!なるほど!
あいつならおしゃべりだからな。
あいつに言っておけば
あっという間に全員に伝わる。
一回のトークで済んでしまう便利なやつよ。
いやダメだな。デリケートな問題だ。
みんなは人生を掛けて上京してきたんだ。
軽い感じで話してはダメだろう。
ましてや効率よく一回で済ますなんてなおさらだ。
人生の話は、重たく神妙にしなくては。
こういう時は・・・
優子さんからかな?
もうすぐ12月だ。
12、1、2、3、
もう出発まであと4ヶ月しかないのか。
もう話しておくとするか。
さっそく明日言おうかな?
飯食う前かな?後かな?
チラシの準備を終えてからかな?
集金カバンを返すタイミングでかな?
もうすぐ月末の集金だしな。
集金!
そうだ!思い出した!
ゲゲッ!今日は!もしかして!
やっぱり23日だった。
いや、もう12時を回っているから
我々新聞配達員にとっては24日の朝だ。
23日は佐久間さんの家に集金に行く日。
毎月の決まった行事。そしてこの事は
誰に言われなくても当日になれば思い出すような
脳の仕組みになっていた。
とうとう私はすっぽかしてしまった。
どうがんばっても、
誰かや何かに心を奪われても
思い出すような仕組みになっていたのに。
この生活の終焉の匂いが暗い夜の空気に
染み込み始めた。
〜つづく〜
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真田の真田による真田のための直樹。 人生を真剣に生きることが出来ない そんな真田直樹《さなだなおき》の「なにやってんねん!」な物語。
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