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業務と作業の違い?!【未来の若人のために】

賃金に反映されなくてもあなたは無駄な努力を続けますか?

僕は続けます。

今日は、「業務」と「作業」の違いについて、お話ししたいと思います。

広辞苑とかで調べた言葉としての正確な使い方ではなく、僕なりに考える業務と作業の違いです。

まず作業とは、分かりやすい例として、スーパーのレジをイメージしてみてください。
コンビニじゃなくて、スーパーで、買い物かごから目の前にあるバーコード読ませるやつをレジ係の人がピッピピッピ通すやつです。

ここで、作業だけを行う人というのは、特に何も意識せず、来たお客を淡々とこなしていく人だと考えてください。
空いている時間も、込み合う時間も、ただただ機械のように、右から左へ品物を流していく。
これを僕の中では「作業」・「作業者」と考えます。
ここでのポイントは、「何も意識せず、淡々と仕事を行う」点です。
言ってしまえばこれは、機械と同じです。セルフレジと大差ありません。
このような人の多くは、スキルアップしません。「意識せずに」右から左へ作業を行うからです。
後述しますが、とはいえこれが悪いわけではありません。一般的な仕事の仕方ともいえるでしょう。

続いて、業務とは何かと考えてみます。やっていることは、品物を右から左へ通すこと、という点では、作業も業務も同じです。
しかし、「業務を行う者」は、「意識をしながら」右から左へ物を通していきます。
例えば「いかに効率よくバーコードを読み込ませるか」「この商品はこの向きで持てばバーコードが通しやすい」など、常に、いかにして効率よく「作業」を行うか、これを考えながら作業を行っている人は、「業務」を行っていると言えます。
空いている時間でも、お客の持ってきたカゴの商品が少なくても、常に、効率よくバーコードを通すことを考え、練習をします。(この時間作業者は、意識せずにいつもどおりです)
また、空いている時間や、合間の時間を見て釣銭の確認や補充を行っていたりします。
(作業者は、意識していないので釣銭がなくなってから慌てて補充します)

ここまで見て、「そうはいってもどちらも同じ仕事してるからまあそんなに目くじら立てなくても」
と思った方!!!
あなたは、おそらく社会に対する不満は少ないのではないですか?物価が高い給料が安いという不満はあるが生きていけないわけではない。そんな生活ではないでしょうか?
それなりの仕事をして、それなりの収入を得て、それなりに努力をしているから満足。
生活に困窮するほど特に大きな不満はない。
とても素晴らしいことだと思います。皮肉ではなく。
日本人の8割は、疑問を持たずあなたと同じように日常を過ごしています。
特に問題があるわけでもありません。
「みんな同じでみんなよい」日本人の根幹にある思想ですし。
(ちなみに残りの2割のうち1割は声だけでけぇなんも努力もしない低所得者です)

今の日本の社会制度、経済構造を鑑みれば、この8割の方たちの考え方は正しいし、実にその通りに経済は動いていますので、問題はないんです。

じゃあ何が?というと、実に簡単な話です。

作業者は、自身は満足するんです。それなりの収入、作業量にあった賃金、それなりの待遇。
別段不満もなく、かといって向上心もなく、作業をこなし毎日を過ごすのです。

ただ、よく考えてください、レジ係の話に戻りますが、作業者が一つの商品のバーコードを読ますのに4秒かかるとします。業務を行っている者は2秒で通せるとします。
すると単純計算ですが、1日に処理できる商品の数は、後者が2倍になります。
もちろんそれだけが評価基準ではないですが、2倍の作業をこなしていても、賃金は2倍にはなりませんよね?(営業職のような完全歩合制なら話は別ですが、多くの場合固定給(時間給)ですので)
作業者と、業務遂行者の賃金の差など微々たるものです。
このような人間が1割存在します。

でも、若いころを思い出してください。多くの人は、もともとこの1割にいたはずなんです。
この1割であり続けたいと思っていたはずなんです。
しかしいつしか、この行為が無駄だということに気が付いてしまうんです。
「実力主義だ!!!」と実力がないくせに媚だけ売るのがうまい奴ほど出世し、金を稼ぐんです。
まじめに働くのが馬鹿らしくなるんです。
そして時間をかけて、8割の方へ流れて行ってしまうんです。
そしてみんなが作業者に…

別にそれでいいじゃん?

良くないんです。

作業からは「創造」が生まれないんです。
たかがバーコードをいかに早く通すか、というだけの話じゃないか、と思うかもしれませんが、それによって、「いかにバーコートを効率よく読ますことができる機械を開発するか」「いかに商品コードを読みやすいようなバーコード以外の仕組みを作るか」という創造が生まれなくなるんです。

一事が万事、竹中平蔵の経済改革の大失敗により(派遣法改悪の話です)日本経済全体が、創造性と勤勉性をほぼ失いかけているんです。

だから僕はあらがうんです。たとえ無駄でも、たとえ賃金に反映されなくても、公務をいかに効率よく、正確に迅速に行うことができるか、常に考えながら業務を遂行しているんです。

前例踏襲を極力避け、踏襲するとしても、仕様書や契約内容は1から見直し、それをいかに早く行うか、常日頃考えながら、そして、そもそも、文書作成のためのキー入力をいかに早く行うか、毎日がブラインドタッチの練習です(もともとブラインドタッチはできますがより速度と精度を上げるために努力しています)これをしたからと言って僕の賃金は上がりません。絶対に。今の制度では絶対に上がりません。でも僕は、僕の矜持と未来の若人のためにこの努力を続けます。

賃金に反映されなくてもあなたは無駄な努力を続けますか?

僕は続けます。

僕の屍の先に、将来真の実力評価主義の社会ができ、未来ある若人たちが充実した社会生活を送ることができると信じて、僕たちの世代の責任は、僕たちが喜んで請け負い、朽ちていくことに一片の疑念もないから。

だから僕は、たとえ無駄でも、常に最良であるための努力を続けます。

それが僕の生きざまです。


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