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初任で学級崩壊を起こした私が2年目以降で心がけたこと

実は、教員1年目で児童との良い関係性が築けず、学級が上手く機能しない状態になってしまった経験があります。

この言葉を自ら使っていいのかどうかもためらわれますが、分かりやすく表現すると「学級崩壊」を起こしていたと言える状況でした。

希望に胸を膨らませて教壇に立ったものの、当時は採用数が少なかったため、学校全体に「初任者アレルギー」があったのだと今振り返ると思います。
(担任が週に1回初任者研修で不在になることへの保護者の不安。その日に行事を当てられれないため、行事変更を余儀なくされる職員たち・・・。)

また、その不安を打ち消すほどの力が私になかったのも事実です。

夢に見た教員としての第一歩。その夢が、初任早々に打ち砕かれ、自信を喪失し、「このまま続けていいのだろうか」という思いに。

それでも、自分らしさを出せないままの1年で教員生活を終えることが悔しくて、「次の一年で取り返してやる!」という思いで教員生活に踏みとどまります。

しかし、もう後はない。そんな思いで2年目を迎えたのでした。

はじめが肝心

2年連続同じ状況は許されません。自分なりに1年目の失敗の原因を分析し、できる限りその学びを生かすことにしました。

まず一つ目は、「はじめが肝心」ということ。

・先生は、こんな子を応援する
・こんなことは絶対に許さない
・先生は、こんなクラスにしたい(皆はどう?)

ということを、最初の数日で徹底的に伝え合いました。
口で言うだけではなく、授業や学級経営の中に、その理念がリンクしていくように行動も伴わせていきました。

この空間は安心できる!
クラスが楽しい!
この先生の言うことなら聞こう!

そんな雰囲気を最初の数日で醸成するように努めたのです。

好かれようと思わない

二つ目は、「児童や保護者に好かれよう」と思うことを手放すこと。

「好かれる先生」ではなく「信頼できる先生」を目指しました。
時には、相手のことを思って耳の痛いことを言ったり、要求を断ったりすることも必要だと気づいたのです。

振り返ってみると、一年目は、好かれようと思うあまり、声の大きい児童や保護者の声を聞き過ぎました。
教員としての軸がブレブレだったのです。

すると、どんなことが起こるのか?

声の大きい保護者や児童からの要求はさらにエスカレートするばかりか、応援してくれていた人からの信頼は離れていくことに。
私自身も、自分らしさを発揮できず・・・誰にとっても、よくないという状態になったのです。

二度とそうならないために、教員としての軸を立て直して2年目に臨みました。

一人の人間として向き合う

教員と児童とはいえ、人間と人間の付き合いです。

相手はまだ10年も生きていない子どもでも、一人の人間として向き合おうという姿勢でいました。

嬉しい時には「ありがとう」、自分が間違ったら「ごめんなさい」を心から伝える。これを心掛けました。

教員って、なかなか自分の非を認めようとせずに、ごまかす人っていませんか?

それって、子どもは見抜きます。

チャイム着席を指導しているのに、先生が授業に遅刻する。
仮にプリントを印刷していたとしても、電話対応していたとしても、児童の授業時間が短くなったことに変わりはありません。

そこをスルーして、子どもにばかりルールを守れと訴えても、説得力がない。

だから私は、「○○していて遅れました。ごめんなさい。」と頭を下げてから授業を始めるようにしていました。

こちらが真摯に向き合えば、子どもだってそれに応えようとしてくれるものです。

学級の居心地がよくなる工夫

そして、一番はこれ。一年目は残念ながら、子どもにとって教室が居心地のよい場所だったとは言えませんでした。

安心で楽しい学級づくりのためにしたこと

・みっちゃんシリーズで語り聞かせ(私の失敗談)
・頑張る子を応援するクラス作り(苦手なことも安心して挑戦できる雰囲気作り)
・間違った子こそ褒める(あなたのおかげで皆の学びが深まった)
・ゲーム感覚で基礎基本を身につける(漢字ビンゴ・九九タイムトライアルなど)

自分自身が子どもの頃、苦手なことが多かった経験が、私の学級経営方針のもとになっています。

あまり評判の良くなかった(いや、かなり悪かったであろう)私のことを、「学校楽しい!」「先生ったらね・・・」と嬉しそうに話す子どもの顔、様子で評価してくださった2年目の保護者に感謝です。

全ての経験が生かせる仕事、それが教員

私にとって、最初の一年は辛く苦しいものでした。

ですが、あの一年がなければ、自分を振り返ったり、授業や学級経営をそんなに工夫したりすることもなかったと思います。

さらには、仕事が変わった今でも、その時の努力が生かされていると思うことさえあります。

そう考えると、あの一年は私にとって意味のある一年。


プラスのこともマイナスと思えることも、全て生かすことができるのが教員という仕事ではないでしょうか。

私自身は退職しましたが、「教員を続けたい!」と思っている方の応援を別の形でしています。


もしあなたが今、暗闇にいるとしても、少したって振り返った時に、「この経験はこんな意味があったのだ」と思えますように。


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