ぼくのかんがえたさいきょうの心理的安全性
心理的安全性を保つための、ルールのゆるめ方
人類に心理的安全性は早かったのではないか。
「心理的安全性」という言葉を見聞きするたび、そう考えてしまう。
「心理的安全性(psychological safety)」とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことです。
心理的安全性がある状態は、望ましいと思う。
でも、「そこに心理的安全性がある」と思うか、思わないかは、「私」に委ねられている。
これが、とっても難しいと思うのは、私だけなんだろうか。
いくら、「ここは心理的安全性がある空間ですよ」と言われても、安心を感じるまでには相当なプロセス、超えるべき思考のクセがある。
たとえば私は、間違えるのが怖いタイプである。が、心理的安全性のある場では怖がらなくてよい。
怖がらないためには、なぜ怖がるのか?の内省を繰り返し、思考のバイアスを外す作業が必要だ(たいていが、過去の出来事を発端にした思い込みだったりします)。
心理的安全性の担保は各人に委ねられており、つまりは「ある」のではなく、「それぞれが醸成し、その姿勢を持った人が集まることで存在化するもの」なのではなかろうか。
いかんせん、この心構えでいることは私にとって難しい(とはいえしぶとく考えてはみたい)ため、世の中で語られる心理的安全性にちょっと構えてしまうのである。
いいなと思ったら応援しよう!
