川崎市岡本太郎美術館レポ2
ぜひ、実際に足を運んで、あの空間ごと体験してほしいので写真でのネタバレは控えめとしたい。
(気になる方はインスタで岡本太郎美術館と検索していただければ)
さて。いよ展示のことである。
一面赤で塗られたTAROの壁の先、薄暗い館内から、ぬっと現れるそれら。
赤、青、黄、黒、で構成されるいきもののようなものの絵。
なにが、なんだか、どこがどうなっているのかさっぱりわからない像。
私が特に印象に残ったのは、この展示。
『子供の時間』
部屋というほどでもない、ちょっと奥まった暗い展示スペース。ぼんやりと浮かび上がる赤。立体的な白い顔に描かれた模様。
なにがどう、子供の時間なのか正直全く伝わらない。しかし、どうしてだか、目が離せない。
しばらくこの暗がりで、立ち止まって絵を見た。
見ているうちに、強烈なパワーで迫ってくる作品に、否が応でも対峙させられるような、そんな気持ちになった。
見る、というより、体感する、といったほうが近いのかもしれない。まあ、確かに見てはいるのだけれど。それ以上に絵が五感になにかを訴えてくるような感じが私にはするのだ。
美術館を出たあとには、何だか新しい気持ちになった。
木や、池や、コケや、当たり前にそこにあるものが不思議に見えてきた。太郎先生のおかげで、世の中への解像度が上がったような気さえした。
私の前で、お父さんが子供に「コケがたくさん生えているよ、コケがあるってことはたくさん水があるってことだね、ほら、水がにじんできてるから見てごらん」というようなことを言っていて、良いなぁとしみじみ思った。
と、そこに、シャボン玉が飛んできてびっくりしていたら、お母さんが「大きいシャボン玉できた~!」と二人に向かって無邪気に言っている。
なんとお父さんとお母さんのバランスがとれていることだろう。もしもこれが美術館帰りならお子は本当に理想的な育ちかたをしているなぁ。
なんて、思いながら帰りのバスに乗り込んだのであった。
ちなみに、展示室の奥には岡本太郎の椅子に座れるコーナーもあったのだが、カップルたちがきゃっきゃっと自撮りをしていてとても座れる空気ではなかった。座りたい、しかし、カップルたちの間に入る勇気がない。
私は椅子を見るのも、座るのも好きだ。フィンランド展に行ったときには、アアルトなどが作った有名な椅子に片っ端から座りまくったこともある(そのうち椅子のこともnoteに描きたい)いつか買いたいと思っている椅子もある。
もう一度来館して絶対にリベンジするぞと心に誓ったが、なんとラッキーなことに出口付近に置かれた椅子は空いていたのでしっかり座れた。プラスチックがなんとも無機質だったが、座り心地は不思議と良かった。
太郎先生も自分の作った椅子に、若者が座って楽しそうに写真を撮って、それをみんなが見れる媒体に気軽に掲載するこの令和を面白がっていることだろう。
いや、しかし、それにしてもあんなに若者が写真を撮りにきているとは思わなんだ。
映え、恐るべし!!
次回は企画展示について。
おまけ。
作品が、作品を見ている。