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小さくNOを言う練習

ここのところ、小さな違和感を雑に扱わないよう気をつけるようになった。きっかけは、いつも人との距離感の取り方がいいな、と思っていた知人が、自身が主催するとある集まりで、小さく、でもハッキリと、「それは私は違うと思うので、今後この場所ではそういったことは控えてほしい」と発言する姿を見たことにある。

私より一回りほど年上のその人は、大人の落ち着きとナチュラルな明るさを備えていて、一言でいえば感じが良かった。
他人との適度な距離の取り方や、ポジティブな表現を心がけていると思われる言葉選びに、凛とした意志を感じさせる。
その場所はいつも穏やかな空気が流れていたので、その人の普段と違う姿に驚いたのは私だけではなかったと思う。

帰り道、自分が指摘されたわけでもないのに、うっすら心に張ったもやが晴れない。
彼女がやめてほしいと願ったことはとても小さなことで、私なら全く気にならないことだったからだ。

価値観は人それぞれ、というのは承知しているつもり。ただ、あくまで「私にとって」の小さなことにNGを出すだけで、好きな場所の空気が一瞬沈んでしまったような気がした。正直に言えばそこまで言わなくても、と、残念に思ったのだ。

でも、いつもきちんと考えあって行動する人だから、一瞬でも場がヒリついた空気になることは承知の上で、口に出したのには理由があるんだろう。

歩きながら考えているうちに気づいた。

これは、掃除と似てるんじゃないか。

心地良い空間を作るには、こまめに片付けることが必要だ。
見ないふり、気づかないふりで、後回しにしていたホコリや汚れの一つひとつは小さなものでも、いつの間にか積もって、ある時我慢の限界を超える。
散らかった部屋で「あーもう、こんな状態は嫌だ!」と全てを放り投げたくなった経験があるのは私だけじゃないはずだ。

小さな違和感や嫌悪をスルーして作り笑いすればその場は凌げるし、黙って離れていくこともできる。でもそれをしなかったのは、場を大切に思い、これからも心地良い集まりを続けたいと考えた結果。真摯に人に向き合う姿勢なんじゃないか。

振り返ってみれば、嫌だなと思ったことを我慢し続け、ある時怒りや悲しみが爆発してしまったり、急に限界を迎えて相手との縁を切ってしまったことが私にはあった。小さな違和感を抱え続け、自家中毒を起こしてしまっては誰も幸せになれないのに。

軽やかにNOと、ハッキリ言う。
そのタイミングは、多分、思った時が一番いいんだろうな。反射神経や小さな勇気が必要な“それ”ができていたら、あの人ともあの人とももっとうまく付き合えたんじゃないだろうか。

大きなわだかまりに発展する前に距離を置いたり、理解するために違う価値観に寄り添ったり。そのきっかけになるNOの表明は、悪いことではないのだ。

そんなことを考えていたら、家に帰り着く頃には、すっかり気持ちも晴れていた。

その集まりは今も、心地良い雰囲気で続いている。


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