番外編:『田中』を信じたワケ
入院した初日に起こった、ちょっと信じられない出来事。さらっと書き進めてしまったけれど、もしかすると読んでくださる人によっては
「なんでそんなにあっさり信じるの?」
と感じるかもしれない。
いやいや、私だってそんなに簡単に受け入れたわけではない。
何度も(この状況を信じていいのか?)と思う瞬間があったし、言いかたはヘンかもしれないが(ちゃんと一旦疑っておかないと…)という気持ちは常に持っていた。若いころから素直すぎるために色々ダマされてきた私。イヤな思いもたくさんしたし、たくさん損もしてきた。そもそも、十年前の私だったら信じる信じない以前に、この状況をとてもじゃないけど受け止めきれなかっただろう。
スピリチュアルな話は約20年前に職場の同僚から聞くようになったのがはじめだと思うけど、その当時はそういう話が怖くて怖くて「お願い、やめて~」とお断りするくらいだった。自分の人生には縁のないものと思っていたし、必要性を感じていなかったもの。
それが徐々に変化していったのは、子どもが出来たころからだったかもしれない。それまでおカネのためだけに派遣で働き、ヘラヘラ遊び歩いていた私だが妊娠を機にまずどこで産むかを調べはじめたところ、自然と助産院にたどりついた。そこでは当然のように
「出産って満月や満潮時に多いのよー」
「赤ちゃんってね、生まれるときにお父さんにもいてほしいと思えばちゃんとお父さんがいるときに出てくるから」
「いま逆子でも、元の位置に戻ってって言い聞かせてたら戻るよ」
なぁんて先生が言ってくるし、そうでなくても妊娠という経験を通して
・いかに人間って頭で行動してるかってこと
・だけどそもそも人間も動物だってこと(おなかの中で別の生き物が動いてるというのはなかなかエグイ経験だ)
を認識してきてたこともあって、どうやらこの世には頭では理解できない事象があるようだと、もう抗えない何かをそこに感じていた。
また、そのあたりから自分の感覚が研ぎ澄まされてきたというか、いざってときには直感がビビッと働くようにもなってきていて、そこからの人生はそれまでに比べれば「不思議体験」をまあまあ受け入れられるカラダになっていたともいえる。
そのあとは、以前も書いたが、ママ劇団を立ち上げるきっかけにもなった出来事、離婚を切り出されて抵抗するのに疲れてOKしようと思ったときに起こった出来事(これはまだ書いてない)など『見えない力』の存在を少しずつながら、でも強烈に感じるようになってきていた。
そして、見えない存在が見える人たち(←ややこしい)から
「あなたのするべきことは他にある」
と言われつづけて無視して……で、結果こうなったのだ。
私が今回『田中』の主張を受け入れられたのは、そうやってこれまでも同様のことを聞かされていて、いわゆる土壌ができていたからともいえるし、正直マネージャーになるためのステップをひとつひとつ進めるなかで
(ホントにこれでいいの?合ってるの?)
って思いながらだったことも否定できない。合ってる?っていうのもおかしな話だけど、実は私は店での仕事もそれなりに楽しくやっていたのだ。もちろん経済的なことを考えるとだいぶキビシイし、体力的な面からだとホントに周りに心配されまくっていたから、決してベストな選択ではないのはわかってるけど、店で私は自分なりに自分の役割を見出していたんである。
ちょっと元気のない子へのフォロー、モチベーション落ちてるなぁと思った子には少しやる気がでるような声掛けをしたり、もっと評価されてもいいと思う子がいたらそんなことを上司に進言したり。店でのオペレーション自体では大した戦力ではなかったけど、小さくても自分なりに自分のできることをやれているという自負があった。だからもしかしたらこれでもいいんじゃないかと思ったのだ。
だけど、そうじゃなかった。そしてマネージャーの最終テストを目前に控えたあの日、もういよいよこれは……と思ったかどうかはわからないけど、コロナ感染から入院という形のなかから
(そうじゃないよ、目を覚ませ!!)
と強烈にメッセージを送ってきたのだと思う。高熱にうなされることで夢と現実のはざまがわからなくなった私に。
あのね、この世には”頭では理解できないこと”が間違いなく存在する。そう思っといたほうがいい。そして、その出来事は決してアナタを悪いようにはしない。その時には一見悪いことのように思えるかもしれない。私だってそういうカラクリを知っていなければ
シングルマザーでコロナにかかり無職になってしまったどん底のヒト
である。だが、それはアナタに何かを報せる信号だ。ときに見えない存在はとんでもないショック療法を仕掛けてくる。だから(ん?)と思ったときはなるべく素直にそれを受け入れたほうがいい。
それは、アナタを守るために、”見えない味方”が送ってる信号なのだから。