『コーダ 私たちの多様な語り 聞こえない親と聞こえる子どもとまわりの人々』を読んで
2月10日 生活書院より発売 『コーダ 私たちの多様な語り 聞こえない親と聞こえる子どもとまわりの人々』を拝読しました!編者は成蹊大学文学部現代社会学科教授 澁谷智子先生です。
はじめに
最近「ヤングケアラーとしての経験談を話してください」と依頼をいただいて自分のケア経験を話すと、「ヤングケアラーについてよくわかりました」と感想をいただいたり、「ヤングケアラーって◯◯ですか?」「ヤングケアラーにこんな支援をしたいんですがどう思いますか?」と聞かれたりして、確かに元ヤングケアラーとしてその場に呼んでいただいてはいるものの、あくまで自分は自分の話をしているに過ぎず、ヤングケアラーの代表ではないのに…と小さなモヤモヤを抱えていました。
そんなこともあって『私たちの多様な語り』というタイトルにまず惹かれました。
「私たち」は「コーダ」の一員だけれど、それぞれが多様な経験をしてきている。
また、「コーダ間だけでなく、ひとりのコーダの中でも、自分の経験を多様な視点から語っている」という風にも捉えました。
私自身も、自分の経験に対していつも同じように感じているわけではないので「この前言ったことと矛盾してるかも?」と思うことがよくあります。「この本で出会うコーダの皆さんの語りは、そんな矛盾も肯定してくれるのかもしれない」という期待を抱きながらページをめくりました。
第1章 コーダであることの捉え方の変遷 會田純平さん
コーダtv【耳が聞こえない両親を持つ子どものチャンネル】 - YouTubeを運営されている會田さんは、それだけコーダというアイデンティティに強いこだわりをもっていらっしゃるのかなと思っていました。ところが、読み終わった後に感じたのは、なんというか、あふれる情熱というよりもむしろ「さわやかさ」でした。
もちろん、コーダというアイデンティティをとても大切にしていることを第一に感じたのですが、それだけではなく「コーダであること」に縛られ過ぎず、柔軟に向き合っておられる様子を感じました。
これだけうまく(失礼ながら)「コーダ」と付き合って、ご自身のご経験から感じられたことを"「聞こえる世界と聞こえない世界の両方に接点を持つからこそ特別な経験をする存在」"、”「能動的にコーダになる」”、”「受動的にコーダにされられる」”などの多彩な表現で言語化できるなんてすごいことだなと感じました。でもこれらは、本文でも語られているような多くの葛藤があった上で得ることができた言葉の数々なのだろうとも感じました。
會田さんは今後について「就職を期に手話のコミュニティから離れることで、コーダに親近感を抱いていなかった過去の自分に戻ってしまうのではないかと焦っている」とおっしゃっていました。
會田さんのご不安を想像する一方で、勝手ながら、もし手話やコーダと距離を置くことになっても、コーダとしての自分を様々な角度から見つめてきたしなやかな視点は、たしかに會田さんの中に残り、社会の様々な場面で活かされていくのではないかなとも感じました。
第2章 コーダ三姉妹――それぞれの視点から語られるコーダの経験 安東明珠花さん
私はきょうだいがいないので、「コーダ3姉妹」のインタビューはとても斬新で、興味深く読ませていただきました。岡山弁混じりで、家族らしく素直に姉妹が会話しているターンと、姉妹の共通する点と異なる点を冷静に分析するターンが小気味よく、とても引き込まれました。
特に手話通訳者をどう思っていたかについての話題が印象的でした。学校に親と手話通訳者が一緒に来ると友達から「どっちがお母さん?」と聞かれることや「進路や成績についても聞かれてしまうのはちょっと嫌だ」と思うことなど、コーダ視点からみた手話通訳者について、初めて知ることも多かったです。
安東さんは「コーダ経験を共有できる姉妹がいてよかった」とおっしゃっています。私はひとりっ子で、ずっときょうだいがいなくてもいいかなと思って過ごしてきましたが、たしかに身近に経験を共有できる存在がいたらどんなに頼もしいことだろうと想像し、ちょっとうらやましく思いました。
第3章 対話とともに変わった家族像 井戸上勝一さん
僭越ながら、文章からとても丁寧で真摯なお人柄を感じました。井戸上さんのこれまでの人生を振り返りながら、世界の見え方が変化していく様子が細やかに書かれています。
今の社会にある「あたりまえ」のルールや基準が誰を前提として作られているのか?とモヤモヤした気持ちを抱えてきた井戸上さん。私自身もそうしたモヤモヤを感じることは小さい頃からよくありましたが、仕方がないと諦めてきました。ところが、井戸上さんは”身体感覚の違いから「当たり前」を疑うこと、またその世界特有の文化を残していくことに、今はワクワクしています。”と述べておられ、なんてたくましい方なのか!と感じ、勇気づけられました。
井戸上さんは最後に”誰かの世界の見え方が変わるきっかけになっていれば嬉しく思います。”とおっしゃっていますが、私もこれから、新たな視点で世界を見ることができそうです。
第4章 コーダから見た情報通信技術の進化とこれから 田中 誠さん
聞こえない親とコーダの自分がこれまでに使ってきた通信機器について、時系列でまとめられています。思えば、通信機器の歴史をろう文化やコーダの視点から考えてみたことがなかったので、とても勉強になりました。キャプテンシステムや文字電話など、聞いたことがなかった通信機器も登場し、興味深かったです。
田中さんは、情報ツールに限らず新しく出たものにはなんでも触って、自分で調べて、わかったことを人に伝えることを無意識に行っていたことも「コーダだから身につけた行動」だと振り返っていて、また新しい視点からコーダについて知ることができました。
情報通信技術の発展により、聞こえる世界と聞こえない世界の間にいるコーダたちも、より楽しく過ごせるようになることを願っています。
第5章 コーダの言語獲得と仲間との出会い 遠藤しおみさん
私が遠藤さんのお名前を存じ上げたのは、『ヤングケアラー わたしの語り――子どもや若者が経験した家族のケア・介護(編:澁谷智子,2020,生活書院)』でした。私は第2章を担当させていただき、遠藤さんは第5章を担当されていました。
子どもの頃から、聞こえる世界と聞こえない世界の狭間で「私はろう者にもなれないし、聴者にもなれない」と感じて生きてこられたという遠藤さん。私もよく「障害のある母は自分と一緒に健常者の世界で生きることはできないし、自分が障害のある母と一緒に障害者の世界で生きることも許されない」と感じていました。
そんな遠藤さんが手話を獲得し、他のコーダに出会い、”私はろう者にも聴者にもなることはできません。ですが、今はコーダとして生きています。”とお話しされるまでの道のりは、私を含め、今現在”私はいったい何者なのだろう”という悩みの渦中にいる人たちの世界を広げてくれると思いました。
第6章 聞こえない親の看取り介護と向き合うとき 中津真美さん
私は大学生の時に、ヤングケアラーという言葉よりもコーダという言葉を先に知り、障害は違えど、自分と同じように「障害のある親をもつ子ども」とは一体どんな子どもなのだろうかと夢中になって調べていました。その時も自分との共通点が見つかると「自分だけじゃなかった!」とほっとするような気持ちになったものですが、やはり介護のテーマとなると特に、思わず自分を重ねてしまう部分が多かったです。
なかでも”自分が決定しなければならないということ”の話題が一番印象的でした。親のことを子どもである自分が決定しなければならないというのは介護の大変さの中でも大きなウェイトを占めていると感じます。介護の場面に限らず、子どもの頃から親に代わって様々なことを選択、決定してきたコーダもいることだと思います。想像ですが、それはコーダにとって通訳よりも心を砕くことなのではないかと感じました。
中津さんご自身のお父様の看取り介護のご経験と、介護経験のあるコーダからの様々な経験談がまとめられたこの章は、コーダではない私にとっても”自分なりの家族の形を見つけていくための、ひとつの手立て”とさせていただきたいお話でした。
さいごに
この本には『聞こえない親と聞こえる子どもとまわりの人々』という副題がついています。
私は特にコーダと「まわりの人々」との関係を意識しながら読ませていただきました。それぞれのコーダが自分の中の「コーダ観」みたいなものを形成する要素として、聞こえない親との関係だけではなく、社会のあり方や、まわりのろう者や聴者との関係も大きな影響を与えていると感じました。
そのような中で、コーダにとって自分以外のコーダと出会うことは、より人生を豊かにすることなのだとも感じました。住む場所も年代も違う6人が、1冊の中でそれぞれのコーダとしての語りを聞かせてくださったことで、ときに狭く、ときに広く、独立していて、だけど連帯している不思議な「コーダのつながり」の一端を感じることができました。
私自身はコーダではありませんが、自分自身の「多様な語り」を大切にしながらも誰多様な多様な語り」を大切にすることは可能で、それでいてお互いに繋がりあうことができるのだという、希望あるヒントをいただきました。
いつかまた、ぜひ今回登場された皆さんの「続きの語り」も伺ってみたいです。