顔に奇形のある男の子の『友達』『姉』『姉の彼氏』も主人公~WONDER~
大好きな本『WONDER』について。主人公のオーガストは顔に奇形をもって産まれてきた。この本の映画版のタイトルは『ワンダー 君は太陽』。このタイトルを聞いたとき、「奇形をもちながらも頑張るオーガストの明るさを、周りは太陽のように思い希望を抱いている」みたいな話なのかと思った。しかし、この本を読むと、オーガスト以外の様々な人間にも焦点が当たる。オーガストの親友、クラスメート、姉、そして姉の彼氏まで。オーガストは確かにその見た目から周囲の注目を集めがちだが、世界はオーガスト中心に回っているわけではない。オーガスト以外の子供にも人生がある。好きなことが、嫌いなことが、いろんなできごとや悩みがある。障害のある少年を前にしたとき、「あの子のほうがよっぽど大変な思いをしているんだから」という言葉でかき消されてしまうようなことも一つ一つ拾って物語が進んでいくことに、なんだか安心感を感じた。私も、オーガストの周りの人たちみたいに、世界の中の一人として生きててもいいんだ。感情をもっていてもいいんだなって思えた。
ふつうってこと
オーガストは、アイスクリームを食べるし、自転車に乗るし、ボール投げをするし、ゲーム機を持ってる、つまり、普通の子としての一面を持っている。でも、「ふつうじゃない」部分ばかり捉えられがちだ。家族さえも。オーガストのパパとママはオーガストのことを特別ないい子だと思っているけれど、それは、障害があるからというよりは、どこの家でも親は自分の子供を特別だと思いたがるということ、つまり「ふつう」のことなんじゃないかと思う。
ブラウン先生の格言の授業
ブラウン先生はとてもすばらしい国語の先生。「格言」をとても大切にしている。WONDERシリーズにはブラウン先生の格言ノートという本もある。そんなブラウン先生が授業の初めに生徒に大事なものとはなにか問いかける。生徒たちはいろいろな例を挙げていくが、一番大事なものは誰も答えられなかった。先生の考える一番大事なものは「自分」だった。もちろん、オーガストはたとえ奇形があったとしても、それ以外の部分も含めたオーガスト自身のすべてを大切にすべきだ。それとおなじように、オーガストを取り巻く人たちも、オーガストに気を遣う部分だけではなく、それ以外の自分らしさ、自分の気持ちを大切にして良いのだ。オーガストだけが特別じゃない。
オーガストの姉「オリヴィア」”「わたし」イコール「奇形の子のお姉さん」といつも定義づけられたくないだけだ”
この本の良いところは、オーガストを始め、オーガストを取り巻く人たちが順番に自分自身の言葉で語っているところだ。なかでも、オーガストの姉のオリヴィアの話は共感するところが多すぎて、全文を引用したいくらいだ。
”手術をしたばかりのオーガストは、小さな腫れた顔を包帯でぐるぐる”巻きにされ、たくさんの点滴や管につながれて、やっと生きていた。そんな目にあっている弟を見たあと、ほしいおもちゃを買ってもらえないとか、母さんが学芸会に来てくれなかったとか、文句を言えると思う?”
オリヴィアは、初めて学校に行ったオーガストを心配して、「意地悪な子はいなかった?」と声をかけるが、「なんで意地悪されると思うんだよ?」と返されてしまう。障害者の家族は、障害のある人の普通の部分をわかっていても、外からの目が気になって、ついつい守りたくなってしまうところがあると思う。普通の部分を知っているからこそ、その部分を大事にしてあげたいと思いすぎてしまう。
オリヴィアは、医者が遺伝学の話をするのが好きだ。科学っぽい感じ、わからない言葉でわからないことを説明するのが好きらしい。その部分には、背伸びをしてわからないことをわかったような気分になるのが好きなのかな?と子供らしさを感じて微笑ましくなるが、最後にドキッとする一文を残す。”「生殖細胞モザイク」「染色体再配置」「遅発性突然変異」といった言葉で説明されてしまう人は、かぞえきれないほどいる。そのためにこの世に生まれる予定のない赤ちゃんも、かぞえきれないほどいる。わたしの赤ちゃんみたいに。”オリヴィアはきっと真面目に将来のことを考え始めているわけではなく、ぼんやりと自分にもオーガストと同じ遺伝子をもっていることを気にしている程度だと思う。でも、将来、オリヴィアは結婚相手にそのことを説明しなくてはならない。オリヴィアが本当は子供をもちたいと思っているかどうかは定かではないが、妊娠、出産を考えるときに少し踏みとどまってしまう要素をもっていることは紛れもない事実だ。私としては、ジャスティン(オリヴィアの彼氏)がこのままずっとオリヴィアのそばに居てくれると思っているが、オリヴィアはジャスティンに対して健全な子供を産めないかもしれないということを申し訳なく思うだろう。ジャスティンはそんなことを気にする人じゃないけれど、オリヴィアは簡単にはそれを理解できないと思う。
オリヴィアは学校に行きたがらないオーガストに対して、”だれだって学校がいやになるときがあるの。わたしだって学校に行きたくないときはある。友だちに会いたくないときもある。そういうものなんだよ、オギー。ふつうに接してほしいんでしょ?これがふつうなんだってば!いやな一日もあるけれど、みんな、それでも学校に行かなきゃいけないの!””だれのいやな一日が最悪か、競争してるわけじゃないでしょ。大事なのは、どの人もみんな、いやな一日をがまんしなきゃならないってこと”本当にその通り。実はオーガスト以外の人もみんな、いろんな事情を抱えている。ジャスティンは家族が不仲だし、緊張するとチックの症状が出てしまう。オリヴィアの友達だったミランダも最近親が離婚して、不安定な母と一緒に暮らしていて、父親は再婚して、行きたくなかったキャンプで弟に障害があるなんて嘘をついちゃったり・・・。そういった部分が描かれているからこそ、「自分も大変だけどオーガストは頑張ってるから見習わなきゃいけないんだ」と思うのではなく、「みんな悩みながらも毎日頑張っているんだ。私も悩みながら存在していていいんだ」という気持ちで、自分を否定せずに読むことができる。
ジャスティン
ジャスティンはとんでもなくスパダリで、もう本当に全ヤングケアラーの元に派遣されてほしいと思う。ジャスティンは見た目がテニプリの忍足(氷帝)に似ててイメージがずっと忍足。ジャスティンが民族音楽が好きという話で忍足の趣味が鉛筆でトーテムポール作ることだったのを思い出した。
ある日、オリヴィアはジャスティンの前で泣き出してしまう。ジャスティンはなぜオリヴィアが泣いているのか知りたがるけれど、オリヴィアはジャスティンのせいじゃないとしか言わない。結局は自分がひどい人間だから、と言った。弟のことをみんなにばれたくなかったから。「奇形の子のお姉さん」ではない自分で居られるのが心地よかったから。でも、結局はオリヴィアはオーガストを大事に思っていて、周りの人にオーガストを隠し続けることはしないと思う。(実際に自分の劇にオーガストを連れてきている)弟を思う気持ちはとても尊いのに、オリヴィアが抱える葛藤は理解されなくて、またすぐに周りから「奇形の子のお姉さん」だと思われてしまうんだと思う。それがきっと一生続く。それでも、ジャスティンはオリヴィアのことをオリヴィアとして見てあげることができる人だと思う。ジャスティン素晴らしすぎる。ジャスティンが「人間らしい気持ちを抱くことさえ、弟に申し訳なく感じる姉さん」とオリヴィアを表している部分がある。オーガストの顔を見て、驚いてしまうのは人間らしいことだ。小さい子供がオーガストを見て怖がり、夢にでてくると話すシーンもある。子供の親は、「こら、見ちゃいけません。」とか「ひどいことを言ってはいけません。」と言うとは思うが、オーガストの顔を見た子供の「怖い」という感情は全く自然なもので、オーガストの存在が否定されてはいけないのと同じように、否定されてはいけないものだと思う。オリヴィアも、いつでも弟を大切に思う美しい気持ちだけを持ち続けることはできない。時には弟に対していらだつことや、弟の存在を知られたくないと思うことがある。きょうだい児は、そんな気持ちを周りに許してもらいにくい。それも大事な、尊重されるべき個人の気持ちなのに。この本ではそこを認めていて、そしてジャスティンという最大の理解者もいて、読んでいる側も救われた気持ちになる。
まとめ
なんども書いたように、オーガストだけではなく周りの人間の置かれている様々な環境、様々な感情にも焦点が当たっていることで、自分もこの中の一人になっていいんじゃないかという安心感でいっぱいになれる本だった。これからも自分の気持ちを大切にしたいときに読み返したい。