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人それぞれ

「人それぞれ」って聞くと、個人を尊重してる、個性を認めているという意味で捉える方が大半なのではないでしょうか?

人は一人一人違うから、それを認め合いましょうというのは、素晴らしいことです。

しかし…
いい意味をもった言葉でも使う用途を誤ると、どうなるでしょう?

例えば、以下のようなことがあるとします。

・複数の仲間で、決められた時間に、集合する

ほとんどの人は、決められた時間に、所定の場所に集まっている状態の中かと思いますが、決められた時間をすぎても、集合できない、遅れてきた人も出てくるでしょう。

(遅れること自体が常習化してるとか、迷惑をかけられてるとかない人が遅れてきたのを前提で)
こういう時、「どうもすいません。」等、一言添えるだけで、待たされた方は、いちいち怒るのも疲れるし、何かあったのかな?と気配りしてしまったりで、怒ることなく「あー、いいよ。」などとなり、事を荒立てることはないかと思います。第一気まずくなりますしね。
中には厳しい人もいるでしょうが・・・
集まる際に、時間を決めておくけど、特に急ぎの内容がなければ、事を荒立てることもないですけどね。

約束をしていて破ってしまった時は、普通謝るへきなのは当たり前のことですけど、それが、「人それぞれだから」なんて言われたら、どう受け止めますか?

・・・私は謝るのが当たり前だと思っていますが、もしそれが違うのであれば、読んでいただくのはここまででいいです。ありがとうございました。

自分だったら、こう思ってしまいます。

・たいした用事じゃないんだし待たせたっていいじゃんって言いたいの?
・時間にルーズなのも、個性だから尊重して。って言いたいの?

仕事でこんなことがあったら、まず上司から注意うけるでしょうし、相手先にもお付き合いするのは、やめようと思われても仕方がない状況になりかねないですね。

ちょっと極端にいうと、これで社会がまかり通ってしまうことで、締め切り守らなくても個性、違反しても個性…となってしまい、収拾がつかなくなってしまいますね。

言葉って、使う用途、立場によって、印象がだいぶ変わってしまいます。
簡単そうでむずかしいですねぇ。

以下のような場合も、尊重や認めているという意味合いからずれてしまうこともあるでしょう。

・安易に多用する
 →あまり興味がなさそう、会話が苦手なのかな?
・自身で色々と体験、経験してきてないからと評価している人が使う
 →何を以ってそう言っているのか?なんかよくわからない
・論破したい時、面倒だからさっさと結論だしたい時に使う
 →そこから先は考えないんだと捉えられても致し方ない状況になる
  加えて、周囲の思考も停止させてしまうことも

・・・ということがあるので、私自身、あまりこの言葉を使わないようにしています。

最近多いなと感じるのが、この一言で周囲の思考も停止させてしまうことです。
思考もですが、会話も終わらせてしまうことです。

長文となりました。
読んで頂きありがとうございます☆


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ひろりん
ありがとうございます(/・ω・)/ コツコツ頑張ります。