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目の前のものを見つめる(2024/10/19)

上野の国立西洋美術館で開催されている モネ 睡蓮のとき を鑑賞した。

モネが睡蓮の連作を描き始めたのは50-60代であること、妻の死や白内障に侵され葛藤しながらも描き続けたこと、最初から睡蓮のみを描いていたのではなく池の周辺の柳の木やアイリスの花、藤棚などを入れ込んだり単体で描くこともあったと初めて知った。

私なぞは、同じモチーフを描き続けることで飽きが生まれ、作品のタッチが平たくなってしまうのではとも思いがちだ。しかし展示されていた作品は同じ構図でも時間帯や季節、描き方が変わり、すべての作品に特筆点が、意思があった。黄昏時の紫、柳の木が光を反射するオレンジ、深い水中の濃紺、朝焼けのピンク。

中でも印象的だったのは、モネの作品は交響曲のようだという評と、モネの言葉として紹介されていた「皆さんは世界の見方として私の作品を見るが、私は目の前の物の見方を表現しているだけだ」(要約)というような話だった。
目の前の物を深く見つめ、表現することで、ひいては世界全体が(自分の見方で)見えるようになるということだと受け取った。

私も、まず目の前のことを見つめ、描き、世界や自分のことを“見える”ようになりたい。

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