白藤

好きなもの、大切にしたいこと。そしていつの間にか旅立ってしまっていた自分自身を取り戻す…

白藤

好きなもの、大切にしたいこと。そしていつの間にか旅立ってしまっていた自分自身を取り戻すために。 その過程を書きます。

マガジン

  • 完璧じゃない日々

    毎日更新される日記・エッセイです。 【自分との約束】 ・できるだけ毎日、3行でも書く ・良い文章でなくてもよい ・嘘は書かない

  • 私をつくる"好き"を取り戻すために

    自分を取り戻す活動記録

  • 本棚

    読了した本たちについて

最近の記事

  • 固定された記事

私はどんな風に文章で生きたいんだろう

優しいまま、柔らかいまま、それでも強く光り輝いている人や場所、出来事を文章で伝えて残したい。 自分の言葉やイラストをまとめたZINEを出したい。 今はまだぼんやりとしているけれど、これが私の指針になりそうだ。

    • コピ・ルアックの呪文(2024/10/26)

      コーヒーを淹れる時に必ず脳裏に浮かぶのが、映画『かもめ食堂』のワンシーン。「コピ・ルアック」と言いながら粉の真ん中に指で小さな穴を開け、そこへ少しずつお湯を注ぐと美味しいコーヒーが出来上がるという。 小学生だったか中学生だったか。初めて『かもめ食堂』を観た日から虜になって何度も見返しているが、コピ・ルアックがジャコウネコのフンからとれる、高級豆の名前だと知ったのは大人になってからだった。 呪文や魔法の力を心の底から信じられたのはいつまでだっただろう。社会人になってからは目

      • 心のかさぶた(2024/10/25)

        "無理をする"ができなくなって10ヶ月ほど経った。 1月に退職して、資格の勉強をしたりしながらエネルギーを溜め、少し持ち直したと思ったところに祖母が亡くなった。本当に息をするだけでも精一杯だった頃のような振り出しにはもどっていないけれど、やはり頑張れていた頃に比べると色々なことが怖いし、お腹に力を入れて大地に立つことができていないなぁと感じる。 自分の内面には心の小部屋があるようなイメージだ、とこちらの記事 でも書いたが、同時にエネルギーを貯める器のようでもあるなと思う。

        • 真摯に向き合い、やり続けること

          2024/10/22に開催された、文章で生きるゼミ第2回。今回の登壇は、藤原印刷の藤原章次さん。長野県松本市に印刷工場を持ちながら、東京神保町に営業所を構え、個人/法人問わず発行するクラフトプレス(ZINE)などの相談に多く乗られているとのこと。 今回のお話の中で最も自分に深く根付いた言葉は【非合理の先の合理・答えのない問いを考え続ける】だった。 藤原さんは、インターネットなどの雑多な情報を大事にするのではなく、ただひたむきに目の前のお客さんと、その顧客との間に発生する出

        • 固定された記事

        私はどんな風に文章で生きたいんだろう

        マガジン

        • 完璧じゃない日々
          11本
        • 私をつくる"好き"を取り戻すために
          3本
        • 本棚
          0本

        記事

          小さな大丈夫を積み重ねて大きな大丈夫にする(2024/10/24)

          夜の繁華街を歩けた。 夜の電車に乗れた。 新幹線に乗れた。 複数人と食事ができた。 高速道路の車内が平気だった。 人に自分の現状を落ち着いて話せた。 そんな、“ふつう”の出来事が、今の自分にとっては大きな一歩。それを着実に積み重ねて、自分を裏切らないで、大切に日々を過ごしたい。いつまでかかるか分からないけれど、その先に大きな大丈夫が出来上がることを信じて。

          小さな大丈夫を積み重ねて大きな大丈夫にする(2024/10/24)

          毎日日記を書いて〜1週間目〜(2024/10/23)

          10/16から毎日エッセイのような、日記のようなものを書くようになって少しずつ変化が生まれているので書き残したい。 1.自分の脳内に言葉が溢れすぎていたことを知った 私は脳内で考え事や今日あった出来事の再生、聴いた音楽、好きなキャラクターの台詞なんかがずっとぐるぐる渦巻き続けているんだなと改めて分かった。社会で今何が問題視されているか、すれ違った犬のしっぽ、過去の友達の台詞なんかが等しく言及したいものとして残っている。それらをひとつひとつ文章にして出すことで、「ああ、これ

          毎日日記を書いて〜1週間目〜(2024/10/23)

          世界から隠れる(2024/10/22)

          「かくれが 〜かくれてしまえばいいのです〜」というサイトが好きで、心がしんどくなるとよく訪れる。 全体がイラストで構成されており、ツリービレッジとでも呼べる空間の中で“むかんけいばあちゃん”の部屋に入り浸り、こわばっていた気持ちがふっと柔らかくなるような言葉を読んだり、“むかんけいロボ”(AI)とチャットをしてなぐさめてもらったりする。この、“むかんけい”という、突き放すのでも変に元気づけるのでも、寄り添いすぎるのでもない距離感が好きだ。ヨシタケシンスケさんの絵柄も、文字も

          世界から隠れる(2024/10/22)

          あの世に近い世界線(2024/10/21)

          祖母が亡くなって2ヶ月が経つ。 ふとした瞬間に、旅行先からお土産を持って帰れないのだ、電話をしても誰も出ないのだということが痛く胸に迫って、涙がこぼれる。楽しい出来事があればあるほど、影絵のように悲しみが立ち現れてくる。 ここ2ヶ月、外出すると、喪服で連れ立って歩く方と駅ですれ違ったり、飲食店で隣り合った方が最近誰かを亡くしたという話を耳にする機会が非常に多い。ただそういう物事が目につきやすくなっているだけかもしれないが、まだ自分はこの世の中でもあの世に近い世界線にいるのだ

          あの世に近い世界線(2024/10/21)

          胸いっぱいの森(2024/10/20)

          約1年ぶりに長野県 軽井沢を訪れている。都内よりもかなり気温が低く、夕方になると11℃ほど。昨日は上野の街を汗だくで歩いていたよな…?と身体が大きな疑問符を抱えているのをまぁまぁ…と宥めながら過ごしている。(現地の方も、今日から急に冷え込みましたね〜とのこと。) 夕食には、フランスの山間部料理を楽しめるレストランを予約した。店内の大きな暖炉で焼かれる滋味深い肉料理に舌鼓を打つ。オレンジ色の光に包まれた柔らかな店内は、ログハウス然としており、天井には大きなファンが静かに回る。

          胸いっぱいの森(2024/10/20)

          目の前のものを見つめる(2024/10/19)

          上野の国立西洋美術館で開催されている モネ 睡蓮のとき を鑑賞した。 モネが睡蓮の連作を描き始めたのは50-60代であること、妻の死や白内障に侵され葛藤しながらも描き続けたこと、最初から睡蓮のみを描いていたのではなく池の周辺の柳の木やアイリスの花、藤棚などを入れ込んだり単体で描くこともあったと初めて知った。 私なぞは、同じモチーフを描き続けることで飽きが生まれ、作品のタッチが平たくなってしまうのではとも思いがちだ。しかし展示されていた作品は同じ構図でも時間帯や季節、描き方

          目の前のものを見つめる(2024/10/19)

          世界から3mm浮いている(2024/10/18)

          ドラえもんは、地面から3mm浮いている。土足で家に入っているのは良くない、とクレームがあって生まれた設定だとどこかで読んだことがある。(覚え違いだったらすみません。)じゃあ、机の引き出しから出てきたり、とんでもなく小さなプロペラで体を浮かばせられたり、どんな場所にも出入りできる扉があるのは気にならないのか?そんな戯言は置いておいて。 ふと、文章を書くのも、世界から3mmくらい浮いていないとできないかもしれないと思った。その人らしい文章を書くのは、の方が正しい表現だろうか。

          世界から3mm浮いている(2024/10/18)

          正しさのものさし(2024/10/17)

          “正しさが正しい”世の中になったのはいつからだろう。 おそらくSNSや監視カメラが浸透し、相互監視社会とも呼べる状況になった頃からだろうか。それ以前は以前で別の苦しさがあったのだろうけど、人目に触れずに曖昧なままでいられる場所が広かった気がする。 人に認められる、お金が稼げる、PVが上がる、いいねをもらえるものでないと「価値がない」と断罪される恐怖から、清廉潔白で完璧な姿を皆が追い求めているように感じる。そして粗を見つけては石を投げる。投げている間は、自分は標的にならないか

          正しさのものさし(2024/10/17)

          われもの注意シール(2024/10/16)

          祖母の遺したキャラクターマグカップをメルカリに登録したところ、すぐに購入者が現れた。「捨ててしまおうか」そんな言葉が出ていた物を引き継いで「使いたい」と思ってくれる人がいたことに救われる思いがした。 その、サンリオのキャラクターをあしらったマグカップは20年以上前もので家を訪れた孫達に喜んでもらえるようにと祖母が用意していたそうだ。どこまでも他人を喜ばせようと考える人だったなと改めて思う。 コンビニで発送手続きをし「壊れ物なので」と言うと、「われ物注意のシールを貼っておき

          われもの注意シール(2024/10/16)

          「打席に立って失敗数を増やすこと」が腑に落ちた日

          2024年10月15日。 「打席に立つ、失敗数を増やすことが大事」 この言葉がしっかりと腑に落ちた記念日として、感想ともメモ書きとも言えるようなものを書き残しておきたい。 この日は、日本仕事百貨さんが主催する"文章で生きるゼミ"の初回だった。 文章や編集を生業にしている方々が登壇され、主に「文章で生きる」ことを目指す人が集まるゼミで、私はオンライン参加をしている。 今回は、株式会社マガジンハウス〈こここ〉編集長で、株式会社きてん企画室代表の中田一会さんが登壇。ご自身の経

          「打席に立って失敗数を増やすこと」が腑に落ちた日

          わたしのコーピングリスト:認知行動療法の練習

          認知行動療法の中に「コーピングリストをつくる」というものがあるらしいと知った。 とのこと。さっそくやってみることにした。 心だけやられて体は元気な時 森の中を散歩する 季節の匂いを感じる 気の向くままに1万歩くらい歩く 行きたかった喫茶店に行ってみる 頼んだことのないメニューを注文してみる 映画館に行く 自転車で気の向くまま走る 書店で好き勝手に本を買う 新しいコーヒー豆を買う 無印良品に行く 新しい服を買う 美味しいカレーを食べる 山に登る

          わたしのコーピングリスト:認知行動療法の練習

          喉に石が棲むようになった話。あるいは心の小部屋の話。

          息をするのに力が必要になったのはいつからだっただろうか。 意識して「すぅ〜」と呼吸をしないと、体に酸素が入っていかないように感じる。背中には常に重く固い鉄板が張り付いているようで、自分で剥がそうとしてもうまくいかない。ストレッチとも呼べないような不恰好なポーズで肩甲骨のあたりをなんとか伸ばしてみると小さくボキッと音がする。 仕事中、背後で大きな声で電話をされると動悸がする。意識をそらすように、耳に音楽の流れていないイヤホンをそっとはめる。少しは外界が遮断される。 プロジェク

          喉に石が棲むようになった話。あるいは心の小部屋の話。