懸命に生きる、いのちで書く
胸がじわじわと温かくなって、体がときほぐされていくような感覚をどこから言葉にすれば良いのか迷っていたら3日も経ってしまった。少しずつ、文章で生きるゼミ第4回の感想を書いてみたいと思う。
今回は 影山 知明さんが登壇された。影山さんは大学卒業後コンサルティング会社、ベンチャーキャピタルを経て2008年にクルミドコーヒー、2017年には胡桃堂喫茶店をオープン。まちの寮"ぶんじ寮"の運営や、地域通貨にも取り組まれている。
その時その時の縁に身を任せてきたとおっしゃっていたが、根底にはスッと通った自分軸があって、そこはぶらさずに生きてこられたのを感じた。だからこそ、これまでの経験が散り散りにならずにすべてが重なって見えるのだろう。行き先をすべて見通さなくても、自分がブレなければ、道は繋がっていく。
影山さんは「言葉はいのち」と何度も言われていた。「時間も言葉も、たどるといのちである」。
確かに、その人がひとつの言葉を発する時に、人となりが透けて見えることがあるなぁと思った。その人の生き様が書き言葉にも喋り言葉にも、響きとして現れてくる。だからこそ面白いし、ふとした拍子に転び出る言葉が怖い。
自分を偽って別の誰かになろうとしていたり、尖った部分を削り落として当たり障りなく生きようとしていたら、自分だけの面白い人生は歩めない。ひいては面白い言葉も書けない。誰かに響くような一節も出てこない。まさに今、足並みの揃った社会から脱出して自分自身を生きていこうとしている自分にぴったりのお話だった。なんとなく書くのではなく、自分が書いた文章で、たった1人でも会ったことのない誰かが救われたり、くすっと笑ってもらえたりする、それだけで良いんじゃないか。大きな声で大勢に伝えようとして一般化したり、自分を変えるのではなくて、自分と響き合うものを持っている人が、自分のための文章/言葉だと感じてくれたら、それだけで十分なのだと、そう思えた。
私には描いている夢がある。
いつになるかわからないけれど、自分でも文章を書きつつ、誰かの居場所になるような小さなお店を出して、温かい飲み物を飲みながら本をすすめたりお客さんの話を聞いたりしたい。ここに来ると楽に息ができる、そんな場所をつくってみたい。
こうして未来の姿が描けていても、どうしても、そんなことできるの?どうやって実現するの?と自分で自分が信じられなくなる日がある。でも今回、影山さんのお話をうかがえたことで、しっかりその時を生きていれば、いのちで書いていれば、枝葉の伸びた先に道は続いていると思えた。ゆっくり、いそいで生きる。
さいごに
以前から存在は知っていても訪れていなかったクルミドコーヒーに、必ずうかがおうと思う。店内の空気を感じて、コーヒーを飲んで、そうして得たエネルギーを、また言葉にします。
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