
動けなくなるときは、何かが生み出されるとき
ちょうど10日前の夜、奥歯の違和感を感じて眠りについた。
翌朝には、それが痛みに変わり、ここから10日ほど、
毎日「痛い」「痛い」と寝込み・過ごすことになる。
朝起きると、睡眠薬を飲んだ後のような、鈍い眠気が脳内にある。
漠然とした「動かなきゃ」に抵抗するようなに睡魔が遅い、
同時に…罪悪感…に似た感覚が、胸と頭に居座り続ける。
ほとんどの予定をキャンセルし、家事もそこそこに
眠り続けた10日間。
夫は、1日1回「調子どう?」の一言だけをかけてくれて
あとは何も言わずいつも通りいてくれる。
今朝は「動けない」の中の何かが違った。
”罪悪感”が居なくて、ただ「今日も寝るか♡」に変わっていた。
本当に、内側で起こっていることが、起承転結激しいドラマのように
展開される。昔は、これに振り回されていた。
今回は、寝て待った。
変化は突然。感覚でわかる変化は「確信」
ここ10日間、今まで一番頼りにしていた「仕事」の軸がブレていることに
氣づくときがきていた。
「過去の延長線上に、わたしがいる」と私は勘違いしていたようだ。
過去のわたし(=生きづらさを越えて喜んでいる私)ならそうだ。
その歩みは何も疑いなく違和感もないかもしれない。
でも、「今のわたし」が違和感を感じている。
「私の中での、居心地の良さや本当に大切にしたいことって、
何なんだろう?」
今まで、自信をもって自分の中にあった答えがぽっかりなくなっていた。
その答えみたいなものが、動けなくなって10日後の今日、
「なんだか久しぶりのコーヒーだな」と
コーヒーを半分ほど飲んだ時
フワっと体の中に風が入った。
(珍しく家の窓を全開にしてたからかな)
ずっとずっと待っていた感覚的確信が…
「氣づき」が降りてきた。
これまでの私:
「みんなにこれできるよ!」って見せていく・体現していく人間でありたい。ちょっと先を行って、旗振って見せたい。
これがしっくり来てた。
これまでの私はこの言葉が、自分の中の音ともリンクして
しっくり来ていた。
でも、
今日内側で生まれる言葉は
「ありのままでいて、うまくいく世界を拡げる」
こんな感じ。
誰でもない、自分の確信に従って生きていたら
想像以上の豊かな世界を体感できる。
この世界を見たい。
この「誰かになろうとしなくても、ちゃんと大丈夫」な体感を
得ながらの人生を過ごしたい。
もちろんスタートは、「わたし」
「誰がどんな風にありのままでいてもいい。」って思える世界の体現。
この「感覚的確信」さえあればだいじょうぶ。
さて、また、ここから。
生きてるだけでいいよ。
15年前くらいかな、この言葉を受け取ったのは強い。
ママ、ありがとう~!
あ♡先月3月8日に、書籍出版いたしました。
ご一読いただけましたら幸いです。

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