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事実は一つじゃない

最近、週刊誌の報道で、どこまでが事実なのか、どこまでが嘘なのか分からないような報道が続いています。
当事者同士しか分からないにもかかわらず、他人がとやかく言い始めるので、問題が混沌としていくことが多々あります。

こういったことは皆さんの身の回りでも起きているのではないでしょうか?


事実はねじ曲げられる!?

例えば、AさんとBさんとの間でトラブルが起きたとして、Aさんと仲の良いCさんがAさんの話を聞いたとします。

Aさん「Bさんが私のことアホって言うたんやでー!」
Cさん「マジでー!?Bさんひどいな!」

こうやってAさん視点の1つの事実が出来上がっていきます。
Cさんは違う誰かに言ってしまえばAさん視点の事実はどんどん広がってしまってそれが真実のように語られていきます。

そこで、「Bさんがそんなこと言うわけない!」と思ったDさんはBさんに聞きました。

Bさんはこう言いました。
Bさん「Aさんがルール無視してたからアホみたいなことしたらあかんでって言うたんや!」

Bさんはあまり多くを語らない人で、それを聞いたDさんはBさんを擁護することもできず、Bさんの泣き寝入りは確定しました。

こんなことは皆さんの身の回りでもきっとたくさん起きています。

誰が事実が言っているのかは本人しか分かりません。
本人が間違ったことを事実と思い込んでしまっていれば、もはや事実など分かりえません。

皆さんは事実かどうか分からない話に振り回されていませんか?

事実は解釈の数だけある!?

人の関わりが増えると関わった人の数だけいろんな解釈が加わって、その解釈の違いで思わぬ方向に話が進んでしまうこともあります。

例えば、「ルール無視のようなアホみたいなことしたらあかん」について、以下のような解釈が生まれます。

  • ルール無視は間違っているからアホみたいと言われても仕方がない。

  • ルール無視は間違っているがアホみたいと言うのは行き過ぎだ。

  • ルール無視の理由も聞かずにアホみたいと言うのは間違っている

  • そもそもルールがおかしいのだから無視して当然だ。

  • Bさんはいつもルール無視をしているから責められて当然だ。

  • Aさんは言い方がキツ過ぎる。

ざっと思いつくだけ並べてみました。
冒頭で「事実は当事者同士しか分からない」と書きましたが、それを見ていた第三者がまた違う事実を知っていたり、話を聞いた他者が新たな解釈で事実に気づくこともありえます。

たかだかこんなことでも、これだけいろんな解釈が生まれるのです。
厄介なのは、それぞれの言い分にはそれぞれの感情が関与しているということ。

Aさんを嫌いだったり、Bさんを嫌いだったり。
そうなると感情の強いほうに話が流されていってしまいます。

そんなときはどうすればいいんでしょう?

「ミステリと言う勿れ」久能整的解決方法

某ひろゆきさんならこう言うと思います。

「それってあなたの感想ですよね」

核心をついてますが、そんな言い方をリアルですると必ず炎上します( ̄∇ ̄)

では、どういう対応がいいのか?

個人的には漫画「ミステリと言う勿れ」(ドラマ化、映画化もされました)の久能整のように「○○かもしれないし△△かもしれない」と捉えるのが最善だと思います。

いろんな解釈があることをみんなで共有していくんです。

多くの人は視点を変えれば事実が変わってくることに気づきます。
視点を変えれば全部正論なのです↓

「○○かもしれないし△△かもしれない」で多くはうまくいくと思うのですが、時々ウザく思われることもあると思います。

めんどくさっ…て(¯―¯٥)

実際「ミステリと言う勿れ」のなかで久能整は結構ウザがられてるシーンがありますし、ウザがられるのも理解できます。

仮にウザがられたとしても、久能整のような存在は集団のなかで必要だと思っています。

偏った見方をする人たちのなかで事実がねじ曲げられて誰かが攻撃を受けるとしたら、それは避けなければなりません。

事実と違うことで苦しむことになるのって、どう考えてもおかしいですから。

「○○かもしれないし△△かもしれない」というふうに考えていくと、多くの場合誰か一人が悪いなんてことはありません。

それぞれに落ち度があって、それぞれに反省すべきことが見えてきます。

お互いに「ごめんね」で済むことが意外と多いんです。

VUCAの時代の事実の捉え方

今の時代は、VUCAの時代と言われています。

  • Volatility 変動性

  • Uncertainty 不確実性

  • Conplexity 複雑性

  • Ambiguity 曖昧性

今の時代をうまく現していると思います。
何が正しいかは分からない時代なのです。
それは多くの人が感じ始めていることだと思います。
だからこそ「○○かもしれないし△△かもしれない」の考え方が大事で、それぞれの事実が視点を変えれば正論なんだと捉えて、それぞれの立場から「ごめんね」でいいんじゃないかって思います。
明日からまずは自分から素直に謝ってみましょう✨

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