フードコーディネーターの学校を作った時の話
私がどうしてフードコーディネーターの学校をやっているのか?という質問をとっても良くされます。
昔のことを語ったりするのは好きではないのですが、皆がいうから(笑)
書いてみますね。
36歳の時、自宅で料理教室、そこから5分位離れた人通りがないところで(家賃が安かったので)ケーキハウスをオープンしました。
初めは10坪で、3年後には30坪に広げました。
ケーキハウスは字のごとく「何でもケーキのことはお任せください」と言うことで、出来上がったケーキは勿論、カフェ、食器、ケーキの材料、道具、作り方、失敗相談、電話相談、年中無休でやってました。
武蔵小金井の商店街から離れた所でしたがクリスマスやバレンタインの時は駅からぞろぞろ行列が出来る程の繁盛店になりました。
何故か?
それは私欲を捨てて、ケーキの便利屋に徹しました。
作りたいけど計るのが面倒な人にはケーキごとに材料を必要なだけ計って、必要ならケーキ型もセットにしてキットにして販売しました。
又教えたい人、沢山作りたい人には粉を25キロの大袋を買ってもらって預かり、好きなだけ必要なときに取りに来れるように 。(これは、お酒のボトルキープからヒントを得ました🍷 )
ケーキは食べるのだけ好きな人にはカフェで食べてもらって、お土産も買えるように、お客さま中心、商売に徹しましたよー!!
大理石の麺台から大型のミキサー迄販売して、独りで車で配達しました。売れましたねー。大理石を運ぶときは割れてしまって、大理石やガラスは立てて運ぶといいことも学びましたね😆
今でこそこういうお店はありますが、その当時何処にもなくて都心、関西方面、韓国などからもノウハウを教えて欲しいと言われても、ケチらないで丁寧に教えました。それがあとから、企業のメニュー開発等に繋がりました。
「商い(あきない)は飽きずに続ける❗」
ことですね!!!
ここには簡単に書いてますが
波あり!谷あり!涙あり!苦難の連続でした。
言えるのは、「経験は金(きん)」ということですね❗
またつづきを書きますね!
#ばあばのOL#祐成陽子 #祐成陽子のいずれいく道 照らします。
#商いは飽きずに続ける#経験は金